(4)



「…これは」

優しい幻想を破ったのは、蜜月だった。目を開けて見ると、彼女は手をとっくに離していて、でも相変わらずの顰めっ面で考え込んでいる。分かり易い不満顔に、僕は首を傾げた。

「…あの、」

番が、居なかったのだろうか。そのたびにこんな膨れっ面になるのであれば、無役になった花護も少しは報われる…かもしれない。百花王に惜しんで貰えるのなら、慰めくらいにはなるだろう。僕は普通にへこんだけれど。

「――黙れ」
「え、」
「…納得がゆかぬ。しかし、…妾の見立てが違おうはずもない」
「……」
「…ええい、しようのない!」

長衣をざっと翻すと、この小柄な身体によくも、と思う大音声で彼女は呼ばわった。


「ショク!ショクはおるか!早う来やれ!」


天井の隅々にまで凛とした声が反響し、それが消えていく頃、玉座の脇に据え付けらえた扉がゆっくりと開いた。きい、と鳴った音の方角へ、ぎこちなく首を向ける。人影があった。僕よりも高い、長身の。緞帳の影があまりに深くて、見えない。目玉をひんむいた所で視界が明かになるわけでもないのに、僕は食い入るようにそちらを見つめた。

「―――癇癪起こすな、蜜月。可愛い顔が台無しだ」
「煩い。喧しい。早う、来い!」
「…はい、はい」

低い、でも、やわらかな声。

かつ、かつ、と踵で床を叩きながら、そのひとは、やってきた。

まず、はっきり見えたのは長い脚をくるむ長靴だった。その上にはぴったりとした黒い下穿き。緩い線の同色の衣。腰に赤い玉を連ねた帯をしている。袍と呼べるかも怪しい上掛けは、円形の意匠が縫い取られていて、彼の動きに合わせて軽やかに揺れた。
蜜月ほどではないが、白い膚。短髪は黒く、――双眸は血のように赤い。

「…あ、…」

言葉を失った僕に、からかうような仕草で、彼は首を傾いで見せた。

「…なんだ、雌じゃなくてがっかりしたか?悪いな、若者」
「いや、そんなんじゃなくて、ですね、」
「おい、蜜月。こいつ大丈夫なのか?」と彼。

心底心配そうな口調に、…僕は心拍が怪しくなっていた。なんだ、これ。何なんだ。

「色々残念なところが否めぬが、これでも今回の探花なる。見てくれだけは悪くないな。…そなたには過ぎるくらいよ。…精々、息を切らさず足手纏いにならぬことじゃ」
「うるさいよ、自分だって大年増の癖に。行かず後家の僻みかよ」
「何じゃと!」

きぃきぃと騒ぎながら、本当に地団駄を踏み始めた百花王の頭を、青年は宥めるように撫でた。そんなことをしたら絶対怒るに決まっていて、案の定、蜜月は怒声を激しくし始めたが、彼は一向にやめない。制止する機会を窺っていた(単に取り残されていただけとも言うが)ら、赤い瞳がこちらをぱっと見た。

「南天の花精だ。名は燭(しょく)、ということになっている。…ま、宜しく頼む」
「…跡俐、です。あの、宜しくお願いします…」
「アトリ」と彼――燭は、確かめるように言った。「…分かった」


そのようにして僕の「娶せの儀」は終了したのだった。



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