(3)



謁見の間に戻るまでの廊下で、項垂れた数名とすれ違った。腰に刷いた剣鉈の束をおぼつかない手で握り締める者、「そうである筈が、そうである筈がない」と幾度も繰り返す者。その姿だけで、彼らが花精を娶れなかった花護なのだと分かり、僅かながら暗澹とした気分になる。僕だって駄目だった時のことを考えなければならない。膂力だけは強いのだから、役夫の仕事でも探してみようか。老師の脛を囓る選択肢だけは、ない。

(「…あ、」)

つらつらと物思いに耽っていて、囚人のように俯いて歩み去る一団の中に礼戴の姿が無いことに気付いた。

友人は、番を見つけたのだ。

頬がふうっと綻び、我知らず微笑みが漏れる。
礼戴に対して、そこまでの感情は自分に無いと思っていた。たまたま碩舎で一緒になって、話しかけられて、共に過ごすことが多くなっていた。でも、彼は旗人だし、僕は拾われ子だ。僕らの関係は礼戴の気紛れと僕の無関心で形成されていたのだと、ずっと思っていたのに。

「…ここで、呼ばれるまで待ちなさい。…君、」

礼戴はどんな番を得たのだろうか。「可愛い女の子(花精に言うならそれは雌だ、と突っ込んでやっても一向に聞く耳を持たなかったのだ、彼は)だといいなあ」と夢見がちに語っていた姿を思い出して、またにやついていたら、案内の役人が目の前に立っていた。壮年の男だ。百花王の先触れを出していた官吏とはまた別の人物だった。

「あ、…はい」
「今回の探花だと聞いている。…その袍は、」
「…私は、旗人ではありませんので、」
「そうか」と官吏は言った。「…そうか」
「……」

次に言うべき言葉を考えていると、皺のはしる顔に、穏やかな色が浮かんだ。

「…私も下つ方の出だ。君のような優秀な成績では無かったがね。―――冬の神、玄様のご加護を。良い花精と出逢えることを祈っている」

体格からすると武官だろうか、右肩を二度、軽く叩かれた。どっしりとした衝撃以上に、何ともいえないひとの感情が流れ込んでくるようだった。

「…ありがとう、ございます」

ようよう、礼を述べると、男は重々しく頷き、「まずは君からだ」と扉を押し開いた。僕は混乱した頭のまま、再び大広間へ足を踏み入れることになった。



立て続けに人の悪意と好意とに晒されて、幕が上がる前から疲れてしまった。
侮蔑も期待も、いらない。欲しいのは飯の種。そう考えれば、自分もあの正灰旗の男と大差ないのかもしれなかった。庭の為ではなく、己の食い扶持の為にだけ働こうとしている。
…そんな花護を戴いても庭はよくならないだろう。大義名分なんて、この方思いつきもしなかったのに、今更そんな罪悪感に囚われて、気が滅入る。
正方形の紋様に区切られた床を進み、一つだけ、黒曜石が填め込まれた所で跪く。剣鉈を片膝の前へ置き、頭を垂れた。

「―――北央県、跡俐で相違ないか」

あの、鈴の鳴るような少女の声が、頭上に降ってくる。

「はい」
「ほう、探花かえ。そなた。―――おもてをあげよ」

口を引き結んだまま面を上げると、玉座の肘掛けに肘をつき、興味深そうに此方を見下ろす視線と出遭った。間近で見た彼女の双眸は金で、黒い円環の模様が浮かび、瞳孔は鮮やかな碧の色をしていた。…「蝶の目」だ。神に選ばれた百花王だけが持つことを許されるという。

「妾の目が珍しいか」
「初めて見ました」
「道理じゃな」と蜜月は首肯した。

僕は段々と、相手の年齢が外見で推し量れないことを悟りつつあった。自分より余程落ち着いている。
彼女は言った、

「『蝶の目』はひとつの庭に一花精のみ賜るもの。百花王は複数たてられるが、中でも『蝶の目』を持つものはひとりだけじゃ。
秋廼を見よ。彼方は百花王を三人擁しておるが、目を有しておるは、銀木犀のみなる」
「本で、読みました」
「…よい。機会あらば、秋の庭へ足を運ぶがいい。学ぶことも多かろうよ」

蜜月は足を前へ出すと、段を幾つか飛ばしてすとん、と降りた。
これには僕も吃驚してしまって、許可も無いのに、思わず立ち上がった。失態に気付いて慌てて額ずこうとしたら、またもや「よい」と言われた。
声は、近い。冬園の百花王は僕の数歩先に居て、抱っこを強請る子どものように両腕を伸ばしているところだった。呆気にとられた僕を余所に、彼女は淡々とした表情でいる。

「目を、閉じよ。これよりそなたの番を視る」
「は、はい」

畏まって瞑目しようとしたら、ふふ、と小さな笑い声がした。

「…その前に、他に聞きたいことはないかえ。無役で終わればそなたが妾と逢うのは三年後じゃぞ。惜しいとは思わぬか。それとも自信があるのか、探花の子よ」
「え…」

紅を引いた口脣には、悪戯っぽい笑みが微かに浮かんでいる。
花精とはこういうものか、と卒然たる思いが僕を支配した。

僕は何処かで彼らを道具のように考えていた。まっとうな花護にしてくれ、超常のちからを操る力の素になる存在。足元に置いた剣鉈と同じく、力の行使のみに必要なもの。ただ、それだけ。

でも眼前の少女は、何処も人間と変わらない、怒り、笑い、呆れ――そういった感情を持っているように思う。もし、番を得ることが出来たら、そういった相手と一生に近い時間を過ごすことになるんだ。「娶せの儀」は、娶りの儀式。妻を、取る、ということ。

「…の、あの、」
「何じゃ。遠慮はいらぬ。疾く言え」
「…百人も視てると、疲れたりしませんか」
「……」

少女の柳眉が見る間に寄せられていく。些か険のある眼差しで蜜月は僕を見上げた。口脣の先を尖らす様も、今にも地団駄を踏みかねない雰囲気も、やはり可愛らしい子どものそれだった。思わず笑ってしまうと、「屈め」と命じられた。言うとおりにしたら、…殴られた。

「…痛い…」
「そのような愚かしいことを考えておったのか、小童め。…くだらぬ。くだらぬぞ。これが探花か。三位か。…やはり今年は不作じゃ…」

そのまま、がっと頭の左右を掴まれた。初めの稚さが嘘みたいな、乱暴な手つきだった。

「目を閉じよ!」
「はいっ」

無意味な意気込みをもって今度こそしっかり目蓋を下ろす。
小さな掌が当たる箇所――こめかみが、じんわりと熱をもってくるようだ。初めて感じる温かさに、段々と気負いが抜けていく。そんな筈はないのに、懐かしい、と思った。

冬園にも僅かながら暖かな時季が存在する。
瞬きに近い間、大地はみどりで埋め尽くされ、先を急ぐように花々が咲き誇る。雪は息を詰めて僕らの上に降る日を待っていてくれる。脳裏に浮かんだのは、そんな短い季節のことだった。





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