(2)



現れたのは小柄な少女、だった。

豪奢な縫い取りがなされた黒の長衣を翻し、靴音も高く、広間の一段高い上座の端から歩いてくる。淡い黄金の髪が衣の上にふわりと落ちる。二つある玉座の右に腰を下ろすと、その黄金に挿された頭飾りが涼やかに鳴った。

「…蝋梅の、蜜月(みづき)である。北君(きたのきみ)の御命により百花を拝命しておる。これより娶せの儀を執り行う故、皆、心して臨め」

鈴を振るような高い声は、どうしたって稚く、可憐な少女のそれだった。十歳か、そこらくらいにしか見えない。大きな瞳に白い膚、まるで人形のごとく整った容貌は僕の立つ所からも明かだ。

庭の王たる百花に逢うことなんて、僕は無論のこと、花護でもない限りは、例え旗人たちでもないことだ。従って、広間に居る全員が些かぽかんとした風情で、壇上の少女を眺めていた。蜜月は、静まりかえった新米花護をしばし睥睨していたが、手にしていた扇をぱちん、と閉じると、剣を振り下ろすように僕たちに向けて突きつけた。

「聞いておろうや!」
「…ちょ、長揖(ちょうゆう)!」

役人が叫び、僕らも慌てふためいて言われた通りに頭を下げた。床と見つめ合っている内に、しゃらしゃらと金属の飾りが揺れる音と、「…今年の花護は不作かえ」と呟く少女の声が聞こえた。
許されて姿勢を直した時には、玉座はまたしても空になっていた。




謁見の間の隣にある部屋へ移され、呼ばれるまでは此処で待機しろ、と命じられた。何十人かは玉座の部屋に留まり、早速「娶せの儀」を受けているようだった。並んでいた順番とは関係が無かったらしく、礼戴は早速第一陣として居残っていた。緊張に強張っていた顔が脳裏に浮かび、そっと微笑む。僕が駄目だったとしても、彼であればきっと大丈夫だと思うのだが。

「…余裕だな」
「……」

声のした方を振り返れば、仕立ての良い袍を着込んだ男が立っていた。
先ほど僕と友人を馬鹿にした連中の中に彼の姿があった気もする。濃い灰色の衣から察するに、正灰旗の出だ。冬園の旗人で最も位が高い家柄である。

「いえ、…そんなことは」
「ふん」

無礼だなんだと難癖をつけられても面倒だったので、最低限の礼は失しないように返事をする。礼戴とあんな軽口をきけるのは友人だからこそ、だ。

「貴様、探花(たんか)らしいな。…名前は」
「…北央県の、跡俐と言います」
「…北央は随分と田舎になったようだ。平民風情が国試を受けられるとは」
「……」

ふんぞり返って雑言を叩く相手を、感慨もなく見返す。
その平民よりも低い成績で此処にいるのは誰だろうか。平然と子が捨てられ、土を食べ、泥を飲んで生活しなければならない庭にしているのは、一体。

己を不幸だと思ったことはない。親を憎んだことも…あまり、ない。そういう庭(くに)に生まれてしまっただけだ、ということ。
義務を忘れ権力を振りかざし、ひとの幸いを顧みることなく彼らの上に胡座を掻いている愚かさが、この庭を造った。それを悟りもせず、また、ひとを貶めることで自分の立場を確かにしようとしている。―――これが、正灰旗か。冬園の筆頭の、旗人なのか。



怒りよりも、胸中を占めていたのは失望だった。
冬園には長らく執政が居ない。僕が生まれたときには、人と花精、それぞれに宛がわれた玉座は、右の――花精の椅子のみが主を有していた。老師に聞けば、彼が生まれる前から、冬の庭は人の王を欠いていたのだと言う。冬園は神が決めた「人花によって治めよ」という玉条に背き続けている。それこそが国が痩せている原因なのだとも。


「…古くから、正灰旗は優れた執政を輩出したと聞き及んでおります」


先ほど百花王が「不作か」と呟いていたことを思い出す。
確かにその通りかもしれなかった。旗人の筆頭がこれで、国試三位の成績である自分も、この為体(ていたらく)なのだから。

「その血が真に確かであれば、左の玉座も埋まり、…冬園もよくなりましょう」
「…なんだと?」

話を打ち切るべく背中を向けると、上擦った声が追い掛けてきた。靴音。肩に乱暴な力が掛かる。

「貴様、今のはどういう…」

揶揄に説明がいるのは、僕の言葉の拙さか、彼の愚かさか、果たして、どちらなのだろうか。襟を掴まれ、無理矢理正面を向かされる。憤怒に、赤くふくれあがった顔と出遭った。今にも噛みついてきそうな面構えだ。何ともまあ、面倒な。

「寛容に口をきいてやればつけあがりやがって…!!」
「……」

どんな返事をしても火に油を注ぎそうだったので、取りあえず黙っておいた。詫びは、論外だ。僕は当たり前のことを言っただけなのだから。

「―――次、二十番から三十番。ついて参れ」

「放してください」

力が籠もり、紅に変じた拳をそっと退ける。扉の前に立つ役人が射貫くような眼差しでこちらを見ていた。彼の方へと意味深に視線を遣ると、正灰旗の男ははっとなって手を放した。儀式の前に摘み出されてしまったら互いに元も子もない。
「娶せの儀」は原則、国試の度に開かれる。臨時で行われることはそうはないから、花精のない花護はその間、無役(むやく)で過ごすことになってしまう。旗人の御曹司であれば、到底許されないことだろう。

「…狗尾が、…覚えてろよ、」

身を離す瞬間、忌々しそうに男は吐き捨てた。何だかもう、溜息しか出ない。将来こういう人間が高官になるのなら、白い柱の前で泣く子どもの数は増える一方だろう。



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