七夕@大江家




(東明)

目が醒めたら、白い土の天井が目に入った。
何度瞬きしても、見慣れた景色にはならない。あの、木目の浮き出た大江家の天井には。


「…?」


起き出してみれば、幅の狭い木の寝台に、俺は横たわっていた。
ごわついた布の下からは藁が大量にはみ出ている。身体の上に掛かった掛け布団も、綿が入ったものではなく、毛羽だった分厚い布一枚だ。
そもそも、服装がおかしい。この間の体育祭で造ったクラスTシャツが寝間着代わりなのだが、跳ね上げた上掛けの下にあったのは、似てもにつかない別物だった。


なんじゃこりゃ。


初めに連想したのは、世界史の教科書に載っていた、古代中国の絵巻だった。
俺は、漢服―――中国の民族服に、酷似した服を着ていた。色は果てしなく地味な利休鼠。
ええと、…そうそう、確か袍服って種類のやつだ。記憶のそれに比すると少し短い丈ではあったが、たっぷりとした袖とか、腰に巻かれた帯はまんまだった。裳、と呼ばれる裾の広いズボンみたいのを、穿いているところまでばっちり。何だこのコスプレは。
思わず目のあたりを掌で叩いたら、有難いことにレンズの硬い感触が返ってきた。眼鏡は顔の一部だからな、失くすわけにはいかないのである。

突然の状況に、所在なく辺りを見回す。俺が寝ていたこの家、どうやら、一間しかない平屋建のようである。下宿部屋にある筈の、大事な蔵書が詰まった本棚、勉強机、林の馬鹿コンビが開けた穴を塞ぐポスターですら、影形も無くなっていた。
日曜大工で造ったような、気合を入れれば一瞬で破壊できそうな机が一つ部屋の隅にあって、その脇にでかい桶があるだけだ。とてつもなく簡素だった。
それから、妙に獣臭い。どうどうと水が流れる音に混じって、低いくぐもった鳴き声が聞こえ、びくりと肩が震えた。



意を決して寝台から降りると、地面は剥き出しの土だった。もうこの時点で大江家じゃないことは確定である。あそこは確かに古い建屋だが、少なくとも床は板張りだった。幾ら何でも、みみずとすぐにでもこんにちは出来る状態には、ない。皮をなめしたような黒ずんだ靴があったので履いてみる。案の定、履き心地が悪い。
覗き込んだ桶の中身は、水だった。
蓋の上に柄杓が添えてあったので、僅かに躊躇ったが、取りあえず掬って呑んだ。喉を温い水が通り抜けていくと、少しは気分が落ち着いた。落ち着くと、おぉう、もおぉう、と聞こえていたものの正体が判明した。
…この匂いといい、鳴き声といい、あれだ、牛だよ、牛。
因みに下宿の近くに畜産農家は居ない。もっと山の方まで行けば、あるいは何頭かお目にかかれるかもしれないものの、少なくとも河浦近郊に偶蹄目ウシ亜目は不在の筈だ。
どなたの家か存じ上げないが、俺は思わず素手を桶へと突っ込み、ばしゃばしゃと顔を洗った。勿論、眼鏡はずぶ濡れになった。顔の一部だから仕方があるまい。人間混乱したら眼鏡をつけたまま顔を洗うくらいのことはやってのけるのだ。仕方なしに袍服の袖で乱雑に顔を拭った。で、納得した。


「うん、…こりゃあ夢だな」


是非、夢であることを積極的に期待する。つうか、そうでなきゃ困る。
今週から期末考査だってのに、何処とも知れない場所で中国コスプレをして油を売る余裕なんぞ、俺には皆無なのだ。内部推薦落としたらどうしてくれるんだ。三年間の努力がぱあじゃないか。勘弁してくれよ。
仮に、夢じゃなかったとしたら…どうしたもんか。この展開が、世にはびこっている異世界系小説とかの導入だとしたら、俺は限りなく主人公に向かない人材の筈なんだが。普通に人選ミスだろ。元気で言ったら林、見た目で言ったら黒澤、総合力なら見目あたりを投入して貰いたいなあ。

そんなことを考えながら、まだ湿り気の残る顔を顰めて外を眺めた。
硝子の嵌っていない、ただ壁を四角く切り取っただけの窓の向こうは、暗い空が拡がっている。人工灯らしきものは何処にも見あたらない、深い深い夜だった。
机の天板に手をついて、枠から身を乗り出さんばかりに覗き込めば、この家が川沿いに建っていることが分かった。理由不明ながら、ほんのりと淡い光が草地を舞っている。地面そのものが発光しているようにすら思える。

丈の短い緑草が繁る先には川が流れていた。軽いノイズみたいなのがひっきりなしに聞こえていたのだけれど、正体は雨音だった。途絶えない糸のように、宙から水面めがけて、滴が落ちていく。水流が激しく響いていた理由はこれだ。増水しているのだ。
川幅はそこまで広くないように思えるが、見たところ橋の類は掛かっていない模様である。雨のカーテン越し、向こう岸にも建物がぼやけてあるが、渡って確かめるのは至難の業だろう。

「…―――い、」
「え?」
「し・・あけ、せんぱい…!」

満潮と、台風や大雨がぶつかると、下宿裏の川も氾濫して、道路が水浸しになるんだよなあ、なんて眼前の光景と重ね合わせていたら、雑多な環境音に混じって、かぼそい―――しかし、俺にとっては何にも代え難い声が、耳朶を打った。

「…っ?!」

踵を返し、建て付けの悪そうな木の扉へと特攻、
思い切り跳ね返される!痛てぇ!

「クッソ、これスライド式かよ!」

眼鏡のブリッジに鼻頭を打たれ、しばし悶絶してしまった。が、めげているいとまは無い!素朴な把手に手を掛け、勢いよくスライドさせると、果たしてそこには予想通りの人物が立っていた。

「…さ、さいとう?!」
「しのあけせんぱい!」


――――え。
お前そこで何してんの?




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