(4)




「お前ら、もう願い事提げたのか?」

あの後、コンビニ袋に下宿生分のアイスを入れた斗与が、その数時間後に予備校から東明さんが帰ってきた。
お前はよく頑張ったよ、との労いの言葉と共に、一番にアイスを選ぶ権利が与えられて心底嬉しい。ミジンコ並の罪悪感と共に林さんたちをはたいた甲斐があったというものだ。

東明さんの問いに、斗与を除く全員が頷く。
飾り付けも悪くないけれど、やはり七夕と言えば短冊が醍醐味だろう。緑陽館の二人組なんて、手伝いもそこそこに願い事の大量生産に勤しんでいたもの。…鉄砲じゃあるまいし、数打ちゃあたるなんてうまい話にはならないと思うけどね。

「俺はこれからやろうと思ってたんで」

言いながら斗与は腰を上げた。皆、玄関や階段の適当な所に座り、アイスを囓っているところだった。
この土地の夜は風さえ吹けばとても涼しい。昼間に引き続き開けっ放しになっている玄関に張られた網戸は珍しい眺めらしく、皆川君と黒澤君は揃って興味深そうにしていた。彼らからして見れば破壊的に不用心だとのことで、僕も親と生活していた所ではここまで開けっぴろげでは無かった。大きいけれど、少し内に入れば、のんびりしている街なのだ。
外は流石にとっぷりと暗く、ドア枠から笹の葉の先が誘うように揺れているのが見える。

「じゃ、俺も行くわ」と東明さん。少し黙った後に、僕を見た。「…なあ、大江」
「はい?」
「短冊、まだ余り…沢山あるか?」
「え、あ、あると思います。ばあちゃん、多めに作ってくれたんで」
「…分かった。それ、人数分出して貰っていいか?俺と斎藤の分とは別に。…あと、短冊結わえるのに遣った紐があったら、それも束で」
「…はあ」

眼鏡の先輩はすっくと立ち上がると、行く、と言った癖に階段を上がり始めた。たん、たん、と段を上っていく後ろ姿が妙に決然としていて、呆気に取られながら廊下を曲がっていく背中を見送る。

「トーメイさん、マジ顔…」
「えー、ここはタイムリーに大学合格、とかなんじゃねえの?」

奇異に思ったのは僕だけじゃなかったらしく、ガリガリ君とスイカバーにそれぞれ歯を立てながら、林さんたちがごちた。ぼけっとしていても仕方がないので、居間の机に置いてある短冊と紐を手に取り、玄関に戻る。マジックペンと合わせて斗与に差し出すと、黄緑色の一枚が抜かれた。明るい色味の双眸がきらりと僕を睨む。先輩ほどでもないが、彼もマジ顔だ。

「…お前、見るなよ」
「…え、なんで」
「見、る、な、よ」
「…はい…」

見ちゃ駄目、と言われたら何が何でも見たくなっちゃうと思うんだけどなあ。好奇心を掻き立てられつつふやけた笑みを貼り付けていたら、頭上から足音が帰ってきた。東明さんがティッシュ箱と鋏を持って現れた。階段を降りきったところで、林さんや見目先輩、皆川君が座り込んでいるその中程に、箱をぽんと置く。僕が持ってきた紐もその隣に並んだ。

「お前ら、これでてるてる坊主作れ」
「…へ?」
「えっ」
「はあ?」
「…まさか作れないとか言わないよな」と彼は、至極淡々と言った。「俺も短冊付けたらやるから。あと、願い事、全員ひとつ追加しろ。内容はこれから俺が言うやつで」

猫背気味の感のある背を正し、上から指示を出す様に、生徒総会で見た姿がだぶった。それから入居1年目の時分の彼も。
とみに忘れそうになるけれども、東明工太郎というひとは、元々はとってもまともな人なのだ。林さんたちに揉まれた所為で、キレる十代的なイメージが付いてしまったのだと思う。昔はもっと真面目で優等生っぽくて、…もっと取っつきにくかった。正直、僕は今の東明さんの方がいい。

在りし日のまともさの片鱗を見せながらも、彼のかなり意味不明な命令をした。拾わなくても良いネタまでレシーブする林さんたちですら、アイスで濡れた口をあんぐりと開けていた。

「え、トーメイさん何て書くの。願い事」

視界の端に、玄関先で屈み込むようにして書き物をする斗与を捉えながら、僕は短冊を配った。すぐに書き上げた彼は、面を裏に伏せている。そして僕を見上げて、目つきを鋭くした。余程見て欲しくないらしい。ちょっと傷付く。

「―――『明日天気になりますように』だ」
「えっ、」
「…それだけですか?」と訝しげに見目先輩。
「おう。お前らも二枚目、それ書けよ。いいな。…そうだ、見目、ついでだから、お前は『人の恋路を邪魔しません』とでも書いておけ」
「はあっ?」
「えー、訳分からないんですけど、東明先輩」

素っ頓狂な声をあげた見目先輩、皆川君は如何にもだるそうな物言いをした。その彼の癖毛が軽く、窘めるようにはたかれる。

「皆川。お前だって願い事したんだろ。…じゃあ晴れて貰わないと、叶わないんじゃねえの?」
「そんな話でしたっけ?」と叩かれた当人は不可解そうな面持ちになった。「雨になったら織姫夏彦が逢えないだけのことでしょ」
「自分らが不幸せだったら、人の頼みを聞く余裕なんて無くなるだろうが」
「うわっ、それマジで言ってます?!東明先輩、ポエム脳ッ?!」
「うっさいよ!」

うわーうわーと繰り返す後輩を置いて、東明さんはすたすたと表へ出て行ってしまう。耳が赤かったのは、古ぼけた我が家の電灯の所為じゃない筈だ。

「…?」

くん、と手元が引かれて、見下ろすと斗与がもう一枚の短冊を引き抜いたところだった。床を机代わりに手早く文字を書いていく。伸び伸びとした大きな筆蹟が言葉を綴っていく。

―――『明日、晴れますように』。

「斗与」
「何か、まあ。…ちょっとアレだけど。逢えなくなるのって、厭じゃん。色々と」



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