(4)




「あの、…来年、楽しみにしてます、から。先輩の好きなもの作るし、あと、洗濯とかもします!他何かして欲しいことありますか?…まだ八日まで時間あるから、考えてくださ…」

単身赴任の旦那の世話を焼く新妻みたいな台詞に、今更自覚があったのか、斎藤は尻すぼみに喋った挙げ句、恥ずかしそうに俯いた。
俺はと言えば、眼鏡に垂れかかる前髪をかき上げながら、湿った草地を踏み踏み、川に近付きつつあった。長い棒でもあれば突き立てて深さを測るんだが、ぱっと見そういうアイテムは無さそうだ。片脚でも突っ込むか。

「…え、東明先輩、な…なにして…」
「いや、そっち側行こうかなって思って」

河原がなくて、用水路みたく突然に水が徹っている。こんな造りでめちゃめちゃ深いってことは無いだろう。念のためだ、と脚を振り上げたら、流石に後輩は慌てた声を出した。

「わ、先輩、駄目!駄目ですって!」
「大丈夫だって。そんな深くなさそうだし、…それにこれ、」

夢だし。

だけど、そう言ったら、…きっと斎藤は傷付くだろう。不用意な物言いを避け、俺は無理矢理口の端を引き上げた。思い出したくもない、体育の水泳の評価は五段階で二だ。やってやれなくもないが、結果は微妙なレベル。
こけたら洒落にならないので、相当格好悪いが一回しゃがんでから脚を降ろすことにした。温泉に入るおっさんのようではあるが、致し方ない。

爪先が川面についた辺りで、彼も岸の限界まで駆け寄ってきた。
水濡れた面は蒼白である。涙は止まったみたいで、内心、ほっとした。

「すぐそっち行くからさ、落ちたら危ないから…も少し下がってな」

我ながら矛盾したことを言っているな。今から川に入ろうとしている人間の言う文句じゃない。後輩はぶるぶると首を振り、蜜色の双眸に困惑と焦燥を浮かべて叫んだ。

「怒られちゃいますよ!」
「親父さんに?…平気、俺が悪いんですって言っとく」
「親父は仙台です!」

…所々現実的な夢である。

「じゃなくて、け、見目先輩に叱られますよ!マジで!」
「………、」

はあ?

どうしてそこで見目が出てくるんだ、と思ったら、不安定な姿勢で座る俺の上に、影がぬうと、差した。

長身、黒髪、カッターシャツに、黒いスラックス。そして爽やかな笑顔と木刀。


「…見目…」
「駄目ですよ、東明さん。立ち入り厳禁でしょうに」

見下ろしていたのは、下宿の後輩、見目惺である。
ここまで舞台が整っておきながら、…外見も展開もぶち壊しだ。何故日夏の制服着てるんだよ。俺がちょっと頭あったかい人みたいじゃないか!

見目は木刀をその広い肩へと打ち付けながら、斎藤を一瞥した。視線に圧されたように、桜色の衣は翻り、数歩後退った。…で、俄然ファイトが湧いた。

「あー、東明さんってば。駄目って言ってるでしょうが」
「うるさい!」
「泳術、二だったんでしょ?溺れても俺、絶対人口呼吸しませんからね。あ、斎藤にもさせませんよ」
「くっそ何でお前がそんなこと知ってるんだよ!つか、お前とマウストゥーマウスだなんて、こっちから願い下げだ!!」

憤然と立ち上がると、奴は動じた風もなくにっこりとした。笑顔のお手本みたいな顔つきだった。但し例によって目は笑っていない。
とん、とん、と肩で跳ねていた刀の切っ先がこちらへ突き出される。喉仏の正面でぴたりと静止させた構えはむかつくけれど、様になっていた。

「大体、お前何権限で止めてんの」
「生徒会ですよ。やだなあ、決まってるじゃないですか」
「……」

この、妙なところで現実設定入ってくるの勘弁して欲しいんですけど。反応に困るだろ。

「つうか、空気読め!」
「空気は読むものじゃなくて、呼吸に遣うものです。…仕方ないなあ、強硬手段を執らせて貰いますよ」
「見目先輩、やめてください!」
「えっ?」

制止に入った斎藤の声が本当に切羽詰まっていたので、俺は思わず対岸を見てしまった。小柄な後輩は、今にも川に脚を踏み入れそうな具合で――――同じように悟ったらしい見目が、表情を変えずに「やれやれ」と呟くのが聞こえた。そのままくるりとこちらを振り向く。…目が、据わってる。怖ぇえ。


「ということで、――――チェストぉおおおお!」
「うわあああああああああ!」


鹿児島弁はお里違いだろう見目よ―――、
そんな俺の突っ込みごと両断するように、有り得ない早さで繰り出された木刀が、脳天を打った。



眩む意識の中、誰かが泣く声が、聞こえた。



>>>END? and to go ...



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