(1)



「お兄ちゃん、…おにい、ちゃん」

ぐずる妹の頭を撫でながら、出来るだけ平静な声を出すように努めた。うまくいったかどうかは分からないが、彼女は大きな瞳に涙をいっぱいに浮かべて、ようやく俺を見上げてくれた。

「泣くんじゃねえよ。な?全部兄ちゃんに任せておけって。うまくいくから」
「ま、うまくいかなくてもオレが居るから大丈夫だよ」
「おい空戒」
「だから、ほら、早く馬に乗って。あまり時間がねーんだ」

軽い調子で――――でも、不思議な信頼感のある響きで友人が促すと、妹は目元を擦ってからこっくりと頷いた。所々に幼さが残るこの娘が、果たして紅旗の家でうまくやっていけるだろうかと不安になる。

「…お兄ちゃん…?」
「…っ、な、何でもない。ほら、忘れ物はないよな。落ち着いたらこっちから手紙を出すから。お前は公の言うことを聞いて、…そんで、幸せに、なってくれ」
「…ひっぅ、…う、んっ…!」

華奢な肩を軽く叩いて遣って、外套のフードを被せた。俺と同じ色合いの、淡い黄色の髪が毛羽立った布の下に隠れた。名残惜しくも手を離すと、入れ替わるように空戒が彼女の肩を抱く。
扉の向こうからは、繋がれた馬が鼻を震わす音が聞こえてくる。戸を押し開けた途端に、湿気を纏った夜の気配が部屋の中にまで充ちた。


この世界を回しているのは二つの種族だ。
一つは人間。そして、もう一つは花精(かせい)。
神、と呼ばれる存在もいるらしいが、俺は見たことがない。ないものは、信じられない。本当に神様がいるのなら、俺や妹にもっとマシな境遇を宛がってくれてもいいんじゃないだろうかと思う。


花精というのは、読んで字のごとく、花の化身だ。一つの種類に、必ず一人の花精がいる。ちょっとした違いを除けば人間と変わらない姿形をしている。むしろ総じてうつくしい容姿を持っているのが通例、らしい。
花精は人間の内から、花護(はなもり)、と呼ばれる能力者と組んで、自分達の種族を護り、繁栄させることを使命としている。人間は花精から力を受け取り、国や民や、花精を脅かす蟲たちを狩り、まつりごとをおこなう。そうやって世は動いている。

ただ、どんな仕組みの中にもイレギュラーの発生はつきものだ――…例えば俺や、妹のような。

俺と妹は、人間と花精の「掛け合わせ」だ。
父は花精で、母は花護だった。二人はもう、鬼籍のひとだ。幼い時分、蟲の討伐に向かって命を落とした。

人間と、花精――番(つがい)になった二人が婚姻を結ぶことはままあることだ。だが、種族の違いか、子の出生率は非常に低い。さらには、生まれた子どもは大抵が未熟で長くは生きない。その点からすれば、俺たち兄妹は運が良い、と言えば運がいい。二人揃って無事に育ち、数え年で妹が十六、俺が十八になるまで目立った大病すらなかった。数少ない幸いのひとつだとは思う。

親が死んだ時はどうやって妹を護っていくかで頭がいっぱいで、身寄りも資産もない俺たちを、遠戚たちが争うようにして引き取ろうとした理由なんて、わからなかった。遅まきながら理解が追いついたのは、碩舎(がっこう)で識った自分の中途半端な能力、そして―――妹の結婚が突然に決められた、その時だった。


俺たち「掛け合わせ」は、人間としても花精としても中途半端だ。生き残る数の少なさからも、生存能力の弱さが分かろうものだ。

花護になるためには、知識や身体能力に加え、地や風の声を聞き、花精の力を受け止める、生まれながらの才能が必須である。在野からぽっと出の連中も居ることには居るが、多くは「旗」と呼ばれる特権階級から輩出されることが多い。金が無いと碩舎(がっこう)には通えず、碩舎に行かなければ花護の試験も受けられないからだ。
一方の花精は、人間とは違うサイクルの中で生きている。花精はその所属する季節に対応する力を持つ。春の花精は風を操り、夏ならば火、秋なら金、冬は水と言ったような具合だ。

俺の父は眩草(くらら)の花精だった。
眩草は、黄味を帯びた釣り鐘状の白花を付ける草花だ。
花精としてはあまり強い種族じゃないが、母を愛し助け、死んでいった自慢の父親だった。その彼の血は半分に薄められ、俺の中に息づいている。

だが、「掛け合わせ」は純血の花精みたいな力を振るうことはできない。そりゃあ念じれば多少の炎も出るし、蔓草を操ることだって出来るが、手品程度の代物なのだ。妹の方がまだなんぼかマシなぐらいか。

そんな俺たちの真価――真価と呼ぶのは認めがたいけれども――は、誰かと結ばれて始めて発揮されるのだと言う。



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