隣人は密かに(2)





通り過ぎるとき正面玄関の靴箱をちら、と確認したけれど、誰が誰の靴だか分からないのであまり意味はなかった。一人三足のルールで、革靴や運動靴、サンダルが突っ込まれている。あまり立ち止まっていると黒澤に訝しまれるので、簾をくぐって台所・兼食堂へ向かった。

食堂と言っても普通のお宅の飯食うところと大差はない。多分、違うところは居間に直結したところにひとつ、台所のスペースにひとつ、計二つのテーブルがあることくらい。居間にも脚が低くてでかいのがひとつあって、そこでも食事をすることができる。大体はばあちゃんが配膳してくれた所に座って食べる。

「お膳ばい、したけんね」

斗与ちゃん、と声が掛かった方を見れば、姉さんかぶりをした大江のばあちゃんがにこにこと笑っていた。俺と黒澤は気に入られているらしい(ユキ談だ)ので、大屋様のご機嫌も麗しい模様だ。ありがとうございます、と頭を下げて重ねられた飯茶碗を取る。飯は自分でよそうのだ。

「斗与ちゃん、弁当箱な?」
「あ…、っと後で、持って行きます」

危ね、ユキが持ったまんまだ。後で取り返して洗って洗い場に置いておこう。ばあちゃんはまだ支度があるのか、台所から出てこない。俺は茶碗を片手に炊飯ジャーを開けた。今時珍しい、保温オンリーの巨大なジャーである。

「黒澤どんくらい食うの」
「…………」
「適当によそうから、適当に増やして」

ユキが食べる分よりやや少なめに飯を盛り、後ろに立っていた男へ渡す。黒澤はどこかぼんやりとした風に受け取った。

「これくらいでいい」

黒澤はそう言って席に着いた。俺は向かい合わせの椅子を引いて腰を下ろす。自分が渡されたそれよりも随分少ない中身に、隣人は不審そうな眼差しを送ってくる。

「腹の調子、あんまりよくなくて」

良くないどころかストレスで食欲不振なのだ。
本日の献立は麦味噌仕立ての豆腐と葱のみそ汁、コロッケ、千切りキャベツ、ゴーヤチャンプルー、糠漬け、ほうれん草と蒟蒻の白和え、焼き鮭。因みに栄養バランスは斟酌されません。一番肝心なのは腹が満腹になるかどうか、だから。

「おお、焼き新蒔だ」
「…………」
「あ、そうだ。黒澤さあ」
「何だ」
「黒澤って彼女居る?」

背だってそこそこ高いし、頭も何だか良さそうだし、特進科だから家だって多分、金持ちだ。女からすれば好物件だよな、きっと。白和えを口に運びつつ目を遣ると、黒澤は丁寧に鮭の骨を剥がしていた。お、これは完全スルーかな、と思った頃に低い応答があった。

「斎藤はいるのか」
「今は、いない」多分、これからもずっと、かもしれない。「ちょっと前はいた」
「そうか」
「………って、おい、俺のこと聞いてどうすんだ。あんたのこと聞いてんだっての」
「サギサカを知っているか」
「サギサカ?」

なんじゃそりゃ。

「人の名前?なに、黒澤の彼女?」
「違う」

黒澤は、今度は鮭の皮の剥がしに掛かっている。うちの兄貴はこれが好きで好きで、どれくらい好きかと言えば、冷蔵庫に仕舞ってあった朝飯用のお鮭様の皮をだな、夜中に全部取り去って食ってしまったくらいに好きなのだ。黒澤は残すのかな。

黒澤に彼女が居るとか何とか、聞こうと思ったのは単なる興味本位だ。純然たる好奇心である。こういう、淡々とした奴が好きになる女ってどんな子なんだろう、と思った。それだけ。あの特進科が見目先輩を好きなように、鹿生さんが俺に告白したように、あるいはユキが。

「って、…まずい!」
「白和えか」
「違う、時間っ!」

食堂の時計は七時を指している。そろそろ見目先輩が帰ってきてもおかしくない時間だ。直接対決を避ける為に、黒澤の奇行にも目を瞑って慌ててきたというのに、これでは全く意味がない!
焦り始めた俺をさらに追いつめる音が、玄関の方から聞こえてきた。引き戸がからからと鳴って、騒々しい足音と喋り声が耳を賑やかす。
あかん、どうしよう。立ち上がると、流石に黒澤も箸を止めた。
食堂の後ろにある廊下を使ってトイレに逃げ込むか、失礼を承知で逆にある仏間に踏み込むか。トイレだな、うん、トイレだ。鍵を掛けてしまえば誰も入れない。俺も出られないけどな!
思い立ったがラッキーデーだ。椅子の脚に自分の足を取られながら、移動しようとした、その時。

「腹減ったぁあ」
「腹減ったあ」

ただいま、の挨拶代わりが二重奏で聞こえてきて、すぐにやかましく床を踏みならす音が二人分、やってきた。簾の玉が打ち合い、凄い勢いで跳ね上げられる。

「おっ、今日はコロッケだ!魚もある。動物性タンパク質取りまくりですなぁ」
「おー、いいッスねーコロッケ。がつがつ行きますよ。がつがつ」

良いニュースと悪いニュースは大体同時にやってくるものだ。
この場合の良いニュースは帰ってきたのが見目先輩じゃなかったってこと。悪いニュースは、大江家の問題児×2が同時にお帰り遊ばしたということである。




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