隣人は密かに(1)



【斗与】



『目が覚めた途端に忘れる夢は、何かの暗示である』ってのは、使い古された文句だと思う。でも、とにかく忘れた。みた、という感触の残滓だけが残っていて、頭とか身体を支配している。
そうして起きた時、目の前にあったのは黒澤だった。



ええと、黒澤が『ある』って表現はおかしいのか。正しくは『いる』だ。ベッドで寝ている俺の上に、上半身をのし掛からせている。肩をがっちり掴まれていて、痛い。
やたらにリリカルな表現になるが、黒澤の瞳に映る俺、は、相当驚いている。当たり前だが、凄くびびっている。心臓どころか、胃だの腸だのまで喉から飛び出せそうなくらい動揺しているんだ!
だって自室で寝ていたら、部屋に入る筈のない同学年が突然現れて、しかも片足をベッドの枠に乗り上げて、結構な握力で肩をぎゅうぎゅう締め付けてくるんだ。
俺じゃなくとも普通に驚くだろ。あまりの超展開に叫び損ねたわ!

「く…ろ、さわ」
「起きたな」

ああ、起きたさ!つうか、お前が起こしたんだろうが!!
内心で絶叫していると、流石に肩に掛かっていた力が緩んだので、ほう、と息が漏れる。

「魘されてた」
「は…?」

大きな掌――ユキよかでかかった。あいつより身長低いのに――が頬をそっと擦った。ごつごつしている感触が意外で、突然で、身震いがでた。

「あ、」

空気に触れたそこ、黒澤が擦った辺りがひんやりと冷えていく。うお、マジか。俺泣いてたのか。鹿生さん効果?いや、まさか。

「だから、起こした」

よく見れば掛け布団が剥がされていて、肩を掴んで揺すりまくったような形跡があった。何故分かったかと言えばですね、Tシャツのですね、首とか肩のあたりがですね、ユルユルになっているのですよ。幾ら丈夫なユニクロTシャツでもこれはたまらん。
非難がましく見上げると、高校1年にしては大人びた、妙に静謐な顔が若干渋いものになっていた。真っ黒な双眸は逆光で、さらに深く、沈んでいる。

「あ、ありがと」
「ああ。……夕食だ」
「はあ?」
「おばさんが、早く食えと言っていた。もう少しすると部活の連中が一気に帰ってきて大変だから」

どういたしまして、の代わりが「夕食だ」ってあんた、そんな。でも、御陰で何となく読めてきたぞ。先に居たのか、それとも俺の後で帰ってきたのか、ばあちゃんに捕まった黒澤は同じく帰宅部の俺を呼びにやってきたのだろう。部活動をしていないのは俺と黒澤の二人だけだからな。そこで、頭の中にばし、っと電気が徹った。

見目先輩と鉢合わせしたくない。

ええと、問題は片付いていない。渡すのか、渡さないのか、それすらはっきり決めていない。どうするのか決心が定まっていない内は、混乱の一端を担っている(先輩に罪はないけど)相手と顔を合わせるのは躊躇われた。
食欲は未だに戻ってないけど、さっさと食べて部屋に戻るに限る。

「食う!いますぐ食う」
「そうしろ」
「黒澤はどうすんの」
「俺も食べる」

ならば、と上半身を起こそうとした瞬間、空いた脇の下へ二本の腕がするりと入り込んできた。それはもう自然に、するりと。

「おうっあ!」

間抜けた声と共に、突然身体が引き上げられる。軽い、と小さく呟いたのは、驚きとさらなる怒りでぶるぶる震える俺の、すぐ隣にある涼しいツラの持ち主、黒澤・下ノ名前何ダッケ・忘レチャッタヨ、その人だ。俺に負けず劣らず変な名前だった筈だ、確か。

腕を差し込んだそこを起点に、黒澤は軽々と俺を持ち上げた。さすがに柵の外へまでは下ろされなかったので、ベッドで正座をするような格好になった。よれよれのTシャツとパイル地のハーフパンツがそれぞれ豪快に捲れ上がって、薄っぺたい腹と細っこい脚が蛍光灯の下で露わになる。
今はまだいいが、暑い時はトランクスで寝てたりするからな。そりゃ、女じゃないからいいけどさぁ、それでも少しは気にするぞ…。
思わず、ついユキや新蒔に言うようなノリで、ドスを利かせて唸ってしまった。

「何さらす、コラ」
「前、大江がやっていた。やってみたかった」
「やりたかったらやっちゃうのか、あんたは!」
「一般論の話じゃない」

あ、こいつ全然退かないでやんの。うちの長男陛下にそっくりだ。雰囲気からして似てるから、慣れたんだよな。
腕を突っ張ってベッドのすぐ傍から退去させた上で(安全領域確保だ)、きちんと起きた。腹をぽりぽり掻きながら、俺は嘆いた。

「そういうのは、俺の許可を取ってからやれよ…」
「大江は許可を取るのか」
「……取らない」ユキは言わなくて良いときに限って、赦しを乞う。彼の悪い癖だ。「なんかもうユキのスキンシップはカルマみたいなもんだから」

黒澤は少し考えてから「それは分かる」と言った。いや、分かられても困りますよ、黒澤さん。



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