翳ろうの恋(1)



【斗与】


彼の部屋の、隣の隣の隣で、託された――託されてしまった封書を床へひたりと置いて、何かの最後通告を受けたように、白い紙の前へ控えた。まだ他の連中は帰ってきていないのか、入り口でばあちゃんと向かいの並びの先輩に逢ったきり、家の中は静かなものだった。

「……………」

勿論ただの紙なので、いきなり火を噴いたり喋り出したりはしない。それでも注意深く、指をそっと延ばして封書を取り上げる。
無理矢理押しつけられた所為で角は丸くなってしまっているし、ぴんと張っていた表面も細かな皺がついている。だけど、元々の紙の質がいいのか、酷いダメージではない。
改めてよく見れば、しっかりした、割合に分厚い封筒だった。四辺に唐草紋様が打ち出してある。黒いインクの細い線で、左端に「見目 惺さま」と書いてあった。俺が彼の名前を思い出せたのは、まあ、そうした御陰だ。だってそう関わりのないひとなんだから、下の名前なんて、憶えてない。

開け放した窓に寄って、まだ明るさの残る空へ封筒を翳してみた。剃刀的な何かを少し期待していたのだが入っていない模様である。折りたたまれた紙が柔らかな四角い影になって静かに眠っているだけだ。中の文字までは流石に読めないし、読むつもりもない。

書かれた言葉を目で見ることが叶ったとしても、多分、俺には理解できない。

この中に込められているのは、深い思慕なのだ、と思った。ひとの弱みを握って、それをダシにしてまで伝えたいくらいの、恋情とは一体どんなものなのだろうか。
それは俺が鹿生さんに対して感じたものと、同じでは無いにしろ似たカテゴリにある筈だった。けれど、もう何もかにもが不確かで、手紙の影以上にぼんやりしている。

好きになるということ。一緒にいるということ。
手を繋いだり、キスをしたり、それ以上を希むこと。
果たし状や不幸の手紙でない限り――俺がさっきユキに言ったように、この手紙はラヴレターってやつで、特進科が見目先輩に伝えたいのは、究極的に、きっとそういうことだ。

『その歳の恋愛なんてそんなもんだ、三ヶ月だって長いって言うぜ。高校でいい彼女が見つかるよ』

兄貴の言葉がふいに蘇った。
確かに中学校の時、あいつが告白した、とか、あの二人が付き合った、という話題は尽きないものだったが、交際期間の短さは二週間、とか一ヶ月、とかで、『長い』と言われるカップルですら半年だったりした。
本当はもっと長い奴らも居たかもしれないのだが、俺の周りはそんな連中ばかりだった。


俺自身はどうだったのだろう?
鹿生さんのことを思い出してみる。出逢った冬の日、白いPコートと、飴茶のバーバリー・マフラーに包まれた、華やかな笑顔は今でもはっきりと記憶に焼き付いている。
付き合って、と言われたこと。勘違いをして行き先を尋ね、頬を引っ張られたこと。引っ越しが終わって、買い与えられたばかりの携帯で連絡をして、ユキに隠れてこっそり逢いに行った。

『―――無理されても、ちっとも嬉しくない』

好きだ、と思ったから告白されて頷いた。指を絡められて手を繋ぎ、目が合って(まるで指を絡められた時と同じように)じっくり見つめられてから薄い目蓋が閉じたので、キスをした。
した、けど、何も感じない。人の体温が重なっていると感じるだけ。兄貴に転がされている時と寸分違わない感覚。

『ふつうは、女の子に触られたら、もっと―――』

鹿生さんがそう詰ったとき、ショックと納得は半分半分だった。
彼女と付き合う前に、進学塾で一緒だった女子と少しだけ彼氏彼女っぽい関係になったことがある。結構な甘えたがりでべたべた触られたけれど、一向に反応しない俺に対し激高、その後受験を理由に別れることになった。

『斎藤君にとって私は“お姉ちゃん”止まりなんだよ。それか、おかしいのか、どっちかよ』

脱いだ制服の上に座り込んで、鹿生さんは泣いた。誰もいない彼女の家、彼女の部屋。二人で――そう、さっき手紙と俺が向かい合ったように、座って。

おかしい。
俺は、でも、鹿生さんのことが好きだ、と言ったら、彼女は余計に泣いた。それから、服を着直した彼女は俺を平手で引っぱたき、出て行って、と命じた。
まだ真新しい携帯電話に別れを告げるメールが来たのは、同じ日の夜だった。

それ以来、鹿生さんとは連絡が取れなくなった。俺から掛けたことは勿論あったけれど、電話もメールも、着信拒否にされているみたいだった。

一人でやったら普通に勃つんだ、とか、エロ本見たら俺だってムラムラするんだ、とか、例え事実でも馬鹿みたいなこと、言いたくない。格好悪いからじゃなくて、そんなこと言われても鹿生さんは絶対嬉しくないし、何の慰めにもならない筈だ。
別に彼女は慰めが欲しいわけじゃない。俺と『ふつう』に付き合いたかったし、俺も普通に、鹿生さんが好きだった―――はずだ。




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