隣人は密かに(13)



友人はおもむろにスラックスのポケットから携帯電話を取り出すと、電話を掛け始めた。迎えを呼ぶのだろうと、空いたグラスへスポーツドリンクを注いで、手早く飲み干した。

「あ、南街さん、夏彦です。そろそろ戻りますので、迎えをお願いできますか?ええ、そうです。あの天神様のところの。―――それと、これから言う生徒の学籍を調べて頂きたいのですが」

呆気に取られて彼を見れば、唇の端を吊り上げた、狐のような――心底、愉快そうな顔で、駄目押しとばかりにウインクまでされてしまった。…おいおい。

「ええ、はい。よろしいですか。匂坂、です。下の名前の読みは分かりません。美しいに、雅やかの雅。1年の、特進科です。分かり次第、メールで結構ですので。お待ちしています」

携帯の発話部分をスライドさせて閉じ、完璧に手品を終えたエンターテイナー然とした身振りで優雅に両腕を広げた姿を、若干痛む頭で迎え入れた。

「……夏彦」
「いいじゃん、これっくらいさせてよ。すぐにミメの携帯に送っから、今夜中には分かると思うよ」
「それでもって、お前も情報を共有するわけだな―――、というか、何故下の名前まで知っているんだ?」
そう言えばやたらと的確に呼び出しの日を言い当てていたが。どういうことだ。

「あ、やべ」
「おい、夏彦!」

慌てふためいた態度が、演技かはたまた真実かは付き合いのある俺でも判断つかなかったが、彼は立ち上がると荷物を持って、素早く扉へ手を掛けた。
乱雑な動作に見えて、物音をほとんど立てることなく、さっさと廊下へ出てしまう。元々、玄関まで送るつもりであった俺も、追うようにして身体を翻した。
平生は終始だるそうにしている癖に、金持ちの作法はそんなところまで行き届くものなのだろうか。

直ぐ様追い付いたところで、先を進んでいた友人が唐突に振り向いた。近い距離に思わず顎を引く。門限を過ぎた所為で、母屋と下宿生の住居を隔てる戸はしっかりと閉められており、物音も灯も絶えている。
そんな正面玄関の階段の手前はあまりに静かで、会話も自然と低く、小さな声で交わした。

「ミメさぁ、例えばさっきの子だったら、どお?……サイトウ君だったらさ」
「……っ?!」
「それでも、断んの?」

本当に、時々どうしようもない質問をしてくれるな、こいつは。

「…仮定の話には答えない。意味がないからな」
「この現実主義者め。つまんねぇの」

性懲りもなく「振ったら報告してね」などとほざいている背中を小突いて、速やかに階段を降りるように促した。階段の脇は、その、斎藤の部屋だった。
夜も更けた中、磨り硝子の填め込まれた引き戸に一瞬、さあ、とサーチライトのような白光が走る。エンジンがゆっくりと回転を緩める音がし、同じくして、すぐに前に立つ影が淡く光る携帯電話を取り出した。

「じゃあね」
「おう。……夏彦」
「何」
「今年は、ちゃんと通えよ学校。お前も、……あいつも」
「――――…ふ、……そうゆう、さぁ」

友人―――山ノ井夏彦は、薄暗がりでも尚分かる、あの狐の面相で笑う。たった17の年数の間に、冷徹と酷薄と、諦念で練り上げた面だ。
黒い目がほんとうは何処を映しているのか、俺は知らない。目の際が吊り上がった一対の虚(うろ)と闇に向かって喋り掛けるだけのことだ。
夏彦は言う、

「馬鹿らしいこと、当たり前の顔して言えるのって見目の美徳だよね」
「褒めてるのか」
「呆れてんだよ」
「それで結構」

明日な、と声を掛ければひらひらと振られた手で応答があった。
階段の一番下、柱に肩を預けながら、彼が靴を棚から引き下ろし、扉を開けて去っていく姿をぼんやりと見送った。

「さて…、……どう言えばいいものか…」

何分、男から告白されるのも、それを断るのも初めてのことだ。生徒会役員の演説を考えるより、余程骨が折れそうだ。タイムリミットは明後日まで。だが、先延ばしにする気にもなれない。
迎えの車の気配が遠ざかった後も、俺はしばらく、三和土の――――大きさも、色も、様々な、丸い石が填め込まれている筈の石床を眺めていた。ひとつひとつ異なる形であるそれは、夜の中ではどれもこれも、同じように眠っていた。





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