翳ろうの恋(5)



理由もなく僅かな緊張を憶えながら、ノックをする。軽く、出来るだけ何気なさを装うようにして。一回、二回、と叩いたところで、中からくぐもった誰何があった。

「由旗だけど」

すらりと躊躇いなく引き戸が滑って、見下ろした先には、いつも通り透徹とした風のある彼が立っていた。
僕の背が高いから見えてしまうのだけれど、後頭部に寝癖がついて、栗茶の髪が一房跳ねている。寝てたのかな。

「ねてたの」
「ううん。あ、でも帰ってからすこし」

ううん、って。寝ぼけてるのか、と顔をまじまじと見たけれど、静かに瞬きを繰り返す双眸はどうみても、覚醒していた。
制服を脱いで部屋着になった斗与は一層、華奢な体躯が目立つ。Tシャツの丸襟がよれよれで、鎖骨が丸見えだ。
白く青く、静脈を透かせて隆起したそこに釘付けになる。垂れた生地を掻き寄せたい。でもやったら絶対怒られる。

はた、と気付くと手は無意識に伸びていた。斗与は黙ったまま、不審気に僕の動きに合わせて視線をずらしていく。
なるべく自然さを心掛けて、掌で後頭部を撫でつけた。
擽ったそうに閉じられる目蓋が少し、しんどい。

「寝癖、結構凄いよ」
「後で風呂入るからいい」と斗与は言った。「お帰り。遅いのな」
「うん。あ、そうだこれ」

鞄のジッパーを引いて、弁当箱をごそごそと出す。
地学室には準備室が隣接していて、小さな台所がある。そこで洗わせて貰ったので、中は奇麗だ。差し出すと、斗与はありがとう、と言って受け取った。

夕ご飯はちゃんと食べたのかな、ご飯を抜いたりしたら、ばあちゃんがうるさいから、きっと食べたのだろうけれど。無理に食べても、食べないでいるのも、心配だ。

「……あのね、斗与」
「なに」
「見目先輩、帰ってきてるよ」

外から見たら、水場の隣の部屋は明るかった。靴の数も足りていたから間違いはない。

姑息に反応を窺ったけれど、彼の表情はあまり変わらなかった。そう、と言うように瞬きが一回。

「手紙、渡した?もし、渡さないなら、明日、僕が特進に」

そこでようやく、由旗、と。斗与はゆっくり発音する。
いつもの気易い呼び方とは違う、僕の奥底を鷲掴み暴くような声だった。

「もうそんなに迷ってない。大丈夫」
「…うん。……ごめん」

同じこと何回も言わない、って言ってたのに。結局また、繰り返させてしまった。
鬱陶しいと思われたかも、と不安になる一方、こんな遣り取りひとつで動揺する自分が物凄く厭だ。

馬鹿か、謝るなよ、と斗与は苦笑した。やや作り物っぽい顔立ちが途端に柔らかくなる。


お前は黙ると少し怖い顔になっちゃったよな、と彼はからかうけれど、そう言う斗与自身はどこか人形めいた感じがする。
彼のお母さんに似た、清楚で、少し硬質な感じのする容貌。でも、優しいし、短気だし(痛いのは厭だと言う癖に、僕を殴る早さは電光石火だ)、図体や外見こそ僕の方が骨っぽいけれど、余程決然としている。


(「……ああ、」)


やっぱり、好きだ。どうしよう。

「飯は?」
「これから。…一緒に下に行かない?林さんたちいるよ」
「さっき逢った。黒澤と、酷い目にあった」
「……え?」

斗与がしまった、という風な顔をした。いまだに髪を弄くっていた僕の手を掴んで下ろすと、(多分)無意味にぶんぶんと振る。楽しいからいいけど、何か、こう。

「や、なんでもない。下は……いいや。風呂もあるし」
「うん?…うん、わかった」
「ユキ」
「何?」


斗与は薄く笑う。


「ありがと」
「……………」


手を繋いだままで、黙って目を閉じた。彼と目が合ったら、欲を押さえ込んでいる堤が決壊してしまいそうだった。
でも離すのも、厭だ。


階下からばたばたと駆けてくる音がする。木の玉が連なった簾が巻き上げられる音もする。
斗与の手がぴくり、と小さく震えて、今度は僕がしっかりと握り直した。

逃げないでくれ、逃げないで――――お願いだから。

彼の手が諦めたかのように力を失って落ちたそのタイミングで、人の形をした暴風がやって来た。




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