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「兎我野さんは何の仕事をしてるんですか」

 取り出したペットボトルの水を舐めながら問うた。彼は一瞬きょとんとした顔つきになって、それから空になったビール缶を他の残骸の上へ放り投げた。

「営業。印刷会社のエーギョー。刷り物の原稿取ってきたり、校正したりすんの」
「営業の仕事ってそんな髪でもいいんですか」

随分とリベラルな会社だ。

「あ、これ白髪だから」
「えっ」
「このメッシュみたいの、若白髪ね。染めきれなくて出てくんの。ここんとこだけ植生すごいみたいでさー、美容師もビックリ」
「はあ…すみません」
「その全く謝ってない感じがいいよ、ヤマシナ君」と兎我野さん。「おれに興味持ってくれたんだ。おれ、馬鹿だけどお得意様には評判結構いいんよ。でもその代償がこれね。禿げるよかマシだけど」
「そうなんですね…」
「…ヤマシナ君、無理してるでしょ」
「少し」
「あ、やっぱそう?つか、君のこと何か話してよ。喋ってもいいんだけど、納期がどうとか、あのインクはトクショクだとかそういうことばっかだよおれ」

 突然現れた人間に気の利いたトークをかませ、と要求されても、自分にそんなポテンシャルはないのだ。普段も圧倒的に聞き役の方が多いし、周りに俺の話を訊きたい、という相手が居なかったこともある。話せることと言ったら、樹のことくらいしかない。あとはコンビニで今何が売れているか、とか。

「…そう、だ。兎我野さん。今日みたいな天気は、『養花天』って言うんですよ」
「ヨーカドー?」
「……」
「分かってて言ったら殺す、って顔!怖ッ」
「俺の話はもういいです」
「えー、嘘嘘、話してよ。そのヨーカドーが何?」
「ヨウカテンです。花曇り。特に春の花が咲く頃の、こういった天気のこと―――」
「ふうん」

 俺は再度空を見上げた。予報では何とか持ちこたえると言っていた空は、乳を垂らしたみたいな茫とした色を成している。そこに薄紅色の桜が混じって、まるで溶けていくようだ。もし冬織と俺が見られるとしたら、養花天の桜でもなく、晴れの日の佇まいでもなく、夜に白々と咲き誇る花になるのだろう。それすらも観春の機嫌次第だ。

(「…今夜、あいつは帰ってくるだろうか」)

 取りあえず言われた通りに席取りをしているが、こと観春においては、約定破りなんて日常茶飯事だ。責めても勿論、効果はない。元より分のない賭けだと分かってはいた。過度の期待も、落胆も捨てなければ。

「ヤマシナ君、だいじょーぶ?」
「…っあ、はい、大丈夫です」

 すっかり兎我野さんの存在を忘れて自分の世界にトリップしていた。いけない、と首を横に振っていたら、くつくつと、堪えた笑いが耳朶を打つ。

「なんか、今は、ちゃんと君が十代に見えたよ」
「…それって俺が老け顔ってことですか」
「いやそうゆうのとは若干違うねー。なんだろう。…なんかね、んー、色々諦めてます、って顔してる」
「……」
「別に辛気くさいわけじゃないのにね。でもおれ、君と同じくらいのときはもっと何も考えてなさそうな感じだったよ」
「褒めてるんですか貶してるんですか」
「はは、どっちだと思う?」

俺がますます難しい顔になり、何故か兎我野さんはやたらと嬉しそうになった―――ところで、

「あれ、なんかビービー言ってない?」

 言われて、バッグを見遣るとそこから音が聞こえる。音を発するものといったらひとつしかない。乱暴な手つきで携帯を掴むと、明滅する光の中に「中村観春」の文字が浮かんでいた。知らず知らずの内に話に夢中になっていたかもしれない。慌てて耳に押し当てる。

「も、しもし」
『……遅い』

 低い声。またしても機嫌が悪い観春のお出ましだ。集話器からはさわさわと遠い波みたいな音が聞こえる。かつかつ、と鳴るのは彼自身の靴か。

「ごめん」
『公園いんの』
「うん、居る。場所も取れた。ロータリーの手前の、ほら、時計塔のあるとこだよ。そっちは?」
『あー、俺、今、大学。呼び出しあって』
「そっか」

 背後のざわめきは構内で響く人の声みたいだ。時計を見れば、三時半を回っている。一時間強は待った計算だ。

「来るの、五時だったっけ。…観春が来るのか?それともほかの…」
「ヤマシナくーん。カノジョ−?カノジョから電話ぁ?」
「いいえ!」

 放ったらかされて退屈を覚えたのか、兎我野さんが俺の名前を叫ぶ。通話のところを軽く手で抑え、こちらも、声を張り上げて返事をした。子どもか、このひとは。もう、怒鳴り合って喋る必要はないのに、思わずつられてしまったじゃないか。





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