(2)



観春の言っていることは、相当に馬鹿馬鹿しく、くだらない主張だ。基本、俺は彼に対して従順だが、それを差し引いたとしても酷い物言いである。同居人がしょうもなさすぎる、到底受け入れがたいことを言い出した場合は、流石にこちらも反論したり、聞き入れないで強制終了させたりする。後で殴られることもあったが、かまやしない。俺は隷奴ではないから。

けれど。

ダイニングテーブルに目を落とした。ランチョンマットの上には和風の朝食が配膳されている。自分も食べたその味を、最早思い出せないほどの緊張に支配されて、心臓がきりりと傷む。
唐突に―――ほんとうに、突然に。ひとつの目論見が浮かんだのだ。

「何。…もう出ないと間合わなくねえ?遅刻してもいいの、ショーゴ君」
「もし、俺が花見の番をしたらさ、…今夜、帰ってきてくれるか」
「……は?」
「だから、今夜」

そこで、ようやく顔を上げる。椅子の上で胡座をかいた観春と視線が重なる。彼の双眸からは何の表情も読み取れない。金茶の台に黒いひとみ。まるで鳥の目みたいだ、と思う。
寸前まで俺のことを責めていた筈が、怒りの色はなく、さりとて赦している訳でもない。ふいに、どうしてこの男は俺を傍らに置くのだろう、と疑問が沸いた。

「今夜、帰ってきてくれ。…夜中の十二時までに。そうしたら、するよ。席取り」
「あのさあ、それおかしいじゃん。俺は罰で行け、って言ってんの」
「朝飯のことは謝る。きらしたのは俺が悪かった。でも、バイトのことは、別にお前に迷惑を掛けてない。朝飯も作ってたし、休み中は基本、起こすなって取り決めだろ。…もし、そんなにパンを食いたいならこれから買ってくる。飯も作り直す…だから、」

 俯いたのは恐れからじゃない。観春の発言以上に、くだらないことを思いついたのだ。下卑た発想に対する自己嫌悪と、希望がもし叶えられたときを想像しての高揚感、そしてまた自己嫌悪、とミルフィーユみたいに折り重なった感情が、こうべを垂れさせた。
ひとつも謝罪をすることなんて無いのに、目的の前には幾らだって卑屈になる。叶う確証だって何処にも無い、それすら見ない振りだ。

「なあ、今日、十二時までに帰ってきてくれよ。そうしたら何でもする。花見の番でも、パンを買いに行くのでも」
「…ショーゴ、ねえ。…なんか話、ずれてきてるよ」

 流石の観春も呆れたような声を出した。道理だろう。あれもしない、これもしない、とごねていた奴が、何でもすると言い始めたら誰でも同じ反応をする。
調子が狂ったらしく、観春はテーブルに肘をつき、口脣のあたりに触れる自らの指を甘く噛んだ。丁度、第一関節のあたりだ。考えるときの彼の癖。あの口脣が、同じやわらかさのそれが、俺の肩を噛む感触が蘇って、ひっそりと欲情した。

「まあ、…いいや。そんじゃあ、今すぐパン買ってきて。で、俺の飯用意すんの。午後は席取りね。碌な席じゃなかったら赦さねえから」
「――わかった」
「それにしても珍しいね、ショーゴがそんなこと言うなんて」

観春は口の端の筋を吊り上げた。目は全然笑ってない。相変わらずの、猛禽の目だ。

「俺、愛されちゃってるワケ?」
「…俺、は」
「あ、返事とかされても困るし。あんま、面倒臭いこと言うな。さっきとか、普通に口答えすんなよって感じ。…今度やったら、」



殴るから。



 頷くでも、首を振るでもなく、ぼんやりとそう告げる同居人を眺めていた。アルバイト先に遅刻の電話を入れなければ、バイト先であると同時に一番近いコンビニ、そこで買い物が出来ないのなら、少し離れたスーパーまで行かなくては―――、そういった事務的なことが頭の中に浮かんでは、霧散していく。


疑問の答えはこの部屋に偏在している。広く冷たい台所に、人気のないリビングに、隔絶されたそれぞれの部屋に。

観春が俺を傍に置くのは、俺に対して何の感情もないからだ。




- 2 -
[*前] | [次#]

[目次|main]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -