養花天



朝飯を食べ終えたところで、ようやっと観春が起きてきた。
新学期はもうすぐそこだ。春休みの課題がまだおぼつかないレベルで、五月の到来を先に、はや憂鬱な気分である。

一方の観春は俺に比べれば長閑なものだった。理系の四大で実験やレポートが多いと言っても、彼らの休みは基本的に長い。まして、観春はあまり真面目に勉強をするタイプでもない。成績のほどは知らないが、無事進級考査は通過した模様だ。あまりにも遊び歩いているイメージが強いから、シャーレに細菌のっけて反応を確かめる白衣の観春、なんて絵は全く想像がつかないのだ。
休みが長ければ観春が外泊する夜も増える。当然、俺が『彼』と逢う機会も減る。さらなる憂鬱の種だった。


相も変わらず夜行性の同居人はふらふらとダイニングへ入ってくる。下手をすると昼まで爆睡しているから、ましな方か。
そんなことを思いつつ、食べ終わった茶碗をシンクに漬けていたら、観春がさも億劫げに食卓を覗き込んでいた。

「おはよう、観春」
「……何、今日米なの」

切れ長の目を眠たげな半眼にして(そして俺の挨拶を無視して)、彼はぼやいた。分かり易く不機嫌そうだ。

「味噌汁は鍋の中に入ってる。卵焼きとか、他のおかずはそこだから、電子レンジに…」
「あー、パン食いてー」
「…パンは、ない。切らしてる。今日買ってくる」
「今すぐ買ってこいよ」と観春は吐き捨てた。「…役立たず」

鉛丹の色をなした髪が、肩口でさらさらと揺れている。苛々と歪んだ薄い口脣、開いたシャツの襟から覗く膚。どこもかしこも、馬鹿げた台詞とは真逆にうつくしく艶めいている。中世ヨーロッパの、息つくようにひとの首を刎ねた王侯貴族は、あるいは、こんな容姿だったかもしれない。

だが、自分にとっての解はひとつだけだ。冬織と、俺の恋人とこいつが、同じ顔だってこと。

深呼吸する。こいつは冬織じゃない、観春だ、と何遍も己へ言い聞かせる。だから何を言われても俺は傷付かない。
だのに、喉奥は悲鳴を上げた。息を吸い込んでいる筈なのに、どうしてか気管が、肺臓が苦しい。重石が詰まっているみたいだ。

「…俺はこれからバイトだから、無理。自分で買ってこいよ、そんなに食べたいなら」
「は?バイト?―――きいてねえし」

アルバイトをしているコンビニエンスストアから『どうしても人手が足りないので、春休みの間数日シフトを増やしてくれないか』と頼まれていたのだ。たかだか三日かそこらの話だ。些細なことだから、あまり話を訊かない傾向のある観春に、敢えて話さなかった可能性はある。報告したかしないかの記憶が、どうにもはっきりしていない。

手短に事情を話し、シフトの時間まで猶予がないことも付け加える。ダイニングの椅子へ乱雑に腰掛けていた観春は、やはりというか、全く興味ございません、といった顔で俺の話を聞いていた。彼の分と思って出して置いた箸を、整った爪先が弄ぶ。竹の棒はからからと机の上を転げ回った。

「…だから、どうしても断れなくて…、」
「ショーゴ、昼過ぎから恩賜公園に行って」
「へ?」

思わず間抜けた声を出した俺へ、観春は、さきほどの命令(それは確かに命令だった)をもう一度繰り返した。前段の文章に修正液をぶちまけたみたいだ。唐突過ぎてついていけない。

「…なんで」
「夜から花見するから」と観春は言う。長い髪の毛先を指先で引っ張りながら。「バイト、一時で終わるんでしょ。俺ら五時には行けると思うから、それまで場所取りしといて」
「はなみ」

初めて聞いた言葉を確認するみたいに、その単語を繰り返す。花見。誰が、誰と?

「うちの大学の連中だよ。朝入ってたメールで何かそんな話になってたけど、今の時期だと夕方行ったところで間に合わないじゃん」
「そりゃそうだろうけどさ。そこでなんで俺が出てくる訳」
「罰だよ」
「ばつ」

今日の観春は難解な言葉ばかり使う。簡単な響きの、どうにも内容を理解できないものばかりを。

「バイトのこと、ちゃんと俺に話してなかった罰。あと、朝飯に喰いたいもの用意してなかったのもプラス。家政夫としては致命的なミスじゃねえの?」
「……」






- 1 -
[*前] | [次#]

[目次|main]



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -