(2)
斎藤がぱたぱたと動く度、ジーンズにボーダーのセーター―――この前一緒に飯を食いに行った時に着ていた奴だ――の上、白いエプロンのリボンがひらひらと後を追う。肩や裾のところにもふんだんにフリルが使われていて、男の俺から見ても可愛い、と素直に言えるデザインだった。しかも斎藤に良く似合う。物凄く似合う。何故今まで着てこなかったんだ、と言いたくなるくらいのマッチングだ。
台所と居間を往復し、おかずやら皿やらを運ぶ姿を眺めている内、ようやく正気に戻った。
「わ、悪い。俺も手伝うよ」
箸立てから箸を取り出し、冷蔵庫から漬け物類を取り出していると、腰の辺りに、ちょん、と柔らかい感触が。恐る恐る見下ろすと、屈み込んだ栗色の髪が俺の腰を押している。
「―――――!!!」
「ほら、スリッパ履いて下さいよ。足、冷えちゃいますから」
白い犬と黒い犬が仲睦まじく連れ添っている柄のそれは、一足は斎藤の足にはまっていて、もう一つは俺の足元へと差し出されていた。何だか色々とあり得ない展開に呆然となる。後輩に促されるまま、それを履くと、「うん!」と斎藤は満足そうに頷いた。…上目遣いプラス全開の笑顔付きで。
何だろうか、これは…。まさか、自分が気付かない内に死んで、天国に行ったとかそういうネタなのか?
「工太郎先輩は目玉焼き、堅焼きの方が好きなんですよね」
「おっ、おお!」
「ふふーん。ちゃんと堅焼きにしときましたから。味わって喰ってくださいね」
「あ、りがとう…」
「どういたしまして。さ、喰いますよ−」
一通りの用意を終えたらしい斎藤は、椅子を引き出して腰を下ろした。食卓には味噌汁、白い飯、茹でた人参の付け合わせと目玉焼き、コロッケ、納豆、漬け物が出ている。俺には野菜ジュース、自分には同じ物と牛乳を用意して、まるで柏手でも打つような雰囲気で「いただきます」と彼は言った。俺も恐る恐る、唱和する。
「な、なあ、斎藤」
「……」
両手を合わせたままで再びガンを付けられた。う、うう。名前で呼ばないと返事をしないぞ、と顔に書いてある気がする。無理だ。そんなハードルの高いこと、朝一から俺にはクリアできそうもないんだが。つか、そのような取り決めをした覚えが信じがたいことに全く無い。部屋のカレンダーに印でも付けているだろうか。
斎藤は小さく溜息を吐き、手をテーブルの上に置いた。
「…いいですよ。無理されても厭だし。でも俺、もう斎藤じゃないから早く頑張って下さいね」
「わ、悪い…。なあ、悪いついでに教えて欲しいんだけど――――って、は?」
何だか今、凄く理解不可能な発言を聞いたような気がする。
『斎藤じゃない』ってどういう意味だ?ぽかんと口を開いた俺へ、彼は小さく唇の先を尖らせ、眉尻をきっと吊り上げて言ったのだ。
「東明!俺はもう、東明斗与なんですから!!そこんとこ、ちゃんと分かって下さいよね」
「――――……………」
「結婚してまで斎藤、とか呼ばれる俺の身になってくださいよ。先輩はさあ、まだ自分の名字だし?いいかもしんないけど。つうか、第一、俺、ちゃんと工太郎先輩、って呼べてるし…」
「斎藤…」
「だから違う…って、もう、面倒臭さ。はい、何でしょう?」
「俺と、斎藤、結婚してるんだっけ」
「しましたよ。俺が18歳になるのを待って、そこの天神様で地味な神前婚」
親指をくいくい、と社のある方角へ指している彼の顔は、どこからどう見ても真面目そのものだ。それで、完全に気が抜けた。体に付いている栓という栓が一気に抜け落ちた感じがする。
「……そっか、これ、夢だな…」
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