東明と年始のアレ
【東明】
朝起きて、眠い眼を擦り擦り階下へ降りたら居間には誰もいなかった。炬燵と、ダイニングテーブルがあるだけだ。大家のおばさんの姿も、賑やかな後輩たちの姿も無い。しん、と静かな空間にしゅんしゅん、と何かが沸く音と、軽やかな足音だけが響いている。
「……?」
冬の大江家はどことなく白い印象がある。古い旅館を解体して再度建て直したという古い家は、天井の板も、太い梁も、木目が黒くはっきりと浮き出るくらいに年数を重ねている。その他の物は、家の主の性格を反映してか簡素なものばかりだ。居間で目立つ代物と言えば、安売りで買ったとおぼしき、朱と紺の色合いの炬燵布団と、揃いの赤い座布団くらい。だから断じて、白いフリルのエプロンとか、キャラクター商品のお揃いスリッパなんてもの、ここで見たことはないんだ。
存在しない筈のどちらをも纏って、不思議そうに俺を見ているのは、後輩の斎藤だった。ほっそりとした手首は大振りのフライパンを携えている。
「あ、おはようございます。しの……、あ、」
要説明の斎藤の服装はともかくとして、俺も朝の挨拶を返そうとして、う、と詰まってしまった。相手がふわりと淡い色に頬を染めたのだ。
「工太郎、先輩」
「………!!!!!!!!!!!!」
「あはは、なんか先輩、っていうのなかなか取れないですね。済みません。あ、もう飯出来てるんで、席で待ってて貰えますか?」
「あ、ああ…え?あ、俺、斎藤に飯作ってとか頼んだっけ?」
冬休み中の飯は各自調達、と大江からお達しがあった筈だ。顔を合わせた同士一緒に飯を食うことはあったけれど、当番制にした覚えはない。くるりと背を向けた小さな姿に慌てて声を掛けると、彼は僅かに肩を震わせた後でこちらを振り返った。首だけ捻った格好で、目つきには何処かじっとりとした、不機嫌さが垣間見える。
「と、よ!」
「へ?」
「だから、とよ、ですってば!俺の名前!」
「え、ああ、…うん知ってる」
日本史にそんな名前の人物が居たな、というのが初めて聞いた時の印象。今では呼ぶきっかけも度胸もない、同じ家で暮らす後輩の名前だ、としか思えない。
斎藤はフライパンを乱雑な動作でコンロへ置くと、足早にこっちへ戻ってくる。腰に手を当て、少し爪先立ちで―――詰まるところ俺と斎藤との距離が微妙に縮まる結果になった。
怒気も露わに、ぐっと睨み付けられた。普通に慌てた。
「知ってるんだったら!ちゃんと、よ、呼んで下さいってば!」
「へ……?」
「と、よ!俺のこと、斗与って呼ぶんでしょう?忘れたんですか!」
俺だって頑張って、工太郎先輩、って呼んでるのに、と。続く微かなぼやきに、頭の中に詰まっているものが、とんでもない勢いで根刮ぎ洗い流されていった。それこそ黄河か長江にでもいっちまったんじゃないだろうか、ってレベルだった。
「もー、何度言っても直してくれないんだからさあ…。ま、いいや。はい、先輩、座るっ」
肩に手を置かれ、近くにあった椅子へ無理矢理腰を下ろされる。一方の俺はと言えば、されるがままである。何せ聞きたいことが天こ盛り過ぎて、何から質問をすればいいのか、完全にパニクってたんだ。
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