大江由旗の場合(3)
引っぱたかれた頭を涙目で擦る。地味に痛いんだよね、これ。斗与は力加減あまりうまくないし。彼自身も相当掌が痺れそうな叩き方をする。
「本気でそんな阿呆なことさせようと思ってるのか、一応確認しておこうと思っただけだっ」
「そうなんだ。……うん、僕は本気だよ?」
「……はぁ…」
処置無し、といった風に、斗与は今日幾度目かの溜息を零した。それくらいで諦める僕じゃあない。見ようによっては間抜けな――両腕を布団について、尻を落とした――格好で、顎だけを前へ突き出す。勿論、口の先からはプレッツェルが伸びている。
「斗与〜」
「…」
「ねえ、斗与ってば〜」
「……」
「一本だけでいいから、ほら、ね?――――おねがい」
努めて従順な、しおらしい声を出す。ねえ、と促す度、苛立ちを含んで斗与の目眦はきりりと吊り上がった。炯々と光るその中に、けれど僕は逡巡を見出す。迷っているのだ、彼は。
斗与は基本的に、甘い。そして絆されやすく、言動の割には極端に内省的なところがある。彼の長所であり、決定的な短所だ。
僕が斗与に罪を負っているように、彼も僕に引け目がある。僕の過度な依存具合は自他共に認めるところだけれど、彼自身は案外とそう思ってはいないようだ―――、
これが1年近くを共に過ごしてきて、感じたこと。
自分の方が幼馴染みたる僕に寄りかかっている、それに対して何のペイも払えていない。彼の内部にはそんな罪悪感が澱のように溜まっている気がする。
僕はそこに付け込む。卑怯だと糾弾されようとも。余裕なんてものは元から無かったけれど、君の周りにはあまりに誘惑が多すぎる。
君のことを見ているのは僕だけなんだ、と根拠もなく思っていた。君がこの街に戻ってきて、それがとんでもなく間違った認識だって分かったんだ。友情でも、同情でも、憐憫でもいい。どんな理由からでも僕を振り返ってくれたら―――浅ましいと思うと同時に、半ば開き直りに達したところもある。流行の歌のような、爽やかさやうつくしさなんて、欠片もない。どこもかしこもどろどろなのだ、僕の初恋は。
暖房がしっかりと効いた部屋の中で、妙な格好で座る僕と、胡座をかいてベッドに乗った彼とはしばし睨み合いになった。レースのカーテンは夕日をたっぷりと吸い込み、その余りが僕らに影を落とす。合わさった布の向こうからは遠き山に日は落ちて、と帰宅を促すメロディーが聞こえてくる。郷愁に満ちた歌が、僕らの沈黙を粛々と埋めていく。
「…わかった」
答えは初めから確定していたのだと思う。それでも、知らず張っていた両肩からゆっくりと力が脱けていった。
「…はあ…」
「…ユキは。力尽くでもやらせたいのか、俺が…厭がったら、最後には退くのか。ちっともわかんない」
一仕事を終えた後のように大きく深呼吸をした僕へ、斗与がいつも通りの苦笑をみせてくれたので尚更ほっとした。実際、僕にもわからない問い掛けだった。徹しきれない弱さが己の致命的な欠点だということだけは自覚しているけれども。
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