イントロ(2)
素晴らしく不本意な思いに囚われつつ、下宿へと直帰する。勿論、コンビニやスーパーに立ち寄ってチョコレートを買うなんてこと、するはずない。クラスの女子が希釈に希釈を重ねた義理チョコをくれると知っても、全然嬉しくなかった。いや、貰えるのはいいんだ。憂鬱になった理由は振られた話題の方にある。
(「…なんで俺が」)
今年(いや、去年?)は男運が余程に悪いのか、野郎に揉みくちゃにされることはあってもその反対は無かった。恋愛におけるトピックスなぞ強いてあげたところで、彼女と別れたってことくらい。良いことなんてこれっぽっちもない。
なのに、災厄の元凶やら原因やら補強要素やらに、何故俺がチョコレートを振る舞わなければならんのだ。精神的肉体的苦痛に対する慰謝料コミで貰いたいのは俺の方だっての。実際連中から渡されたところで、のしつけて送り返すけどな。
ぶつぶつと悪態を吐きながら引き戸を開けると、居間の方から賑やかな話し声が聞こえてきた。いつもなら何てこと無い夕方の様子も、先ほどのお喋りの所為なのか、若干の頭痛を引き起こしてくれる。自然、「ただいま」の挨拶も力ないものになった。
「斗与、おかえりなさい!」
「おー、斗与だ」
「……おかえり」
三人三様の返事をしつつ、硝子の戸を開けてばたばたやってきたのは、ユキ、みな、黒澤だった。男子高校生が三人集えば、いかなでかい大江家でも狭苦しく見える。特にユキと黒澤はK点越えの身長だから、平均身長(推定)のみなですら、小さく感じてしまう。
…絶対混ざりたくない。そんなことを考えながら、部屋に行こうと階段を上がりかけ、厭に突き刺さる視線に引きずられて階下を見下ろした。友人三人が揃ってこちらを凝視している。
何なんだ。
「部屋に一度戻ってから、ってこともあるんじゃねえの」とみな。
「…斗与の性格を考えると、それはない気がする…」これはユキ。
「あまり強要するようなことはどうかと思うんだが…」と、黒澤が答える。
聞こえるか聞こえないかの声量で意味不明な遣り取りを続ける彼らに、初め首を傾げ、すぐにイラっときた。
「…なに」
「いーやいやいやいや、」とみなが苦笑う。「大したことじゃないのよ」
「ほら、だから言ったじゃん」とユキが言った。広い肩をがっくりと落とす様が、何かを想起させる。
そう、最近目にした、何か――――誰かを。
「荷物を置きに行くんだろう。悪かったな、引き留めて」
フォローをするかのように、済まなそうな表情で割って入った黒澤を見ている内、その正体に思い当たった。長身を屈めるみたいに脱力するユキと、あの調理部員の落胆顔。後はあっという間に通電した。
俺はどかどかと足音高く階段を駆け下り、こちらの一挙一動を目で追い掛けるユキの、頭をジャンプして、…叩いた!
「あいたっ」
「こんの馬鹿!ふざけんのも大概にしろっ!お前もバレンタインの回し者かぁ!」
「違うんだ斎藤、大江が悪い訳じゃない…っ!」
「へ?」
急に肘を後ろへと引っ張られ、面食らいながら振り向いたら、相手は発した声の通り――黒澤だった。見れば意志の強そうな凛々しい眉毛が八の字に垂れている。まあまあ、と気の抜けた声と動作で、みなもユキと俺の間に割り入ってくる。
「俺と黒澤も悪ノリしたんだってば、こいつのことだけ怒るのは若干不憫だな」
殴り愛ってやつかもしれんけど、だなんて阿呆な発言は、左の耳経由右の耳出口で素通りさせていただく。聞き捨てならない方は勿論突っ込んだ。
「悪ノリ…?あんたらで…?」
ユキとみな、だけならまだ分かるが、二人に黒澤が入った場合、沈静化するのが常だ。それが、三人して盛り上がるって一体何事か。説明してくれたのは、眼鏡の友人だった。
「実はさ、今日バレンタインでチョコ貰ってさ。フライングで、しかも男からだけど」
「はあ」
「…友情じゃないやつを、告白付きで。丁重にお断り申し上げたら、そいつチョコだけでも、って押し付けてこようとするし。これだけでも充分微妙なんだが、帰りの下駄箱にも幾つか、なあ」
「……へーえ…」
「……」
黙り込む黒澤は俺と視線が合った途端、すい、と逸らした。彼もブラックなチョコの洗礼を受けたらしい。特進はその手の話に事欠かないらしいし、黒澤の容姿や雰囲気なら、分かる気がする。みなだって、どちらかと言えば俺同様凡人カテゴリの顔だけど、このとっつき易い性格で、尚かつ学年主席だか次席だかなのだ、結構人気があるのかもしれない。
ま、幾らバレンタインでも相手が男だってんなら、負け惜しみ無しでおめでとう、と言えるわ。いや、ご愁傷様の方がいいのか?
眼鏡の友人は大分投げ遣りな様子で、へらりと笑う。
「もうヤケんなって、さっきコイツと貰ったチョコの数競ってたわけ。そしたら大江が戻ってきて、」
「僕は誰からも貰ってない」
そういうことは自慢しなくていい。胸も張るな。虚しくなるから。そんな友人を横目で見つつ、みなは笑みを深めて言った、
「こいつ、『斗与がくれたらいいのになー』って言ってたぞ?」
「…やっぱりお前が元凶なんじゃねえの」
「…うう…だって…」
爪先立ちになって、ユキの頸にヘッドロックを掛けているのだが、どうにもうまくいかない。畜生、縮め!
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