黒澤 備の場合(5)
斎藤の一言に、一連の出来事がフラッシュバックする。
スニーカー、俺を庇うように立った斎藤の背中、繋いだ手、甘い菓子。
大江だったら、皆川だったら。
すぐに彼らと比べてしまうのは、最近の自分の、悪い癖だ。確かに情報の出元を出せば、斎藤はとても素直に受け入れる。似たような行動を取っても然りだ。
目に見えて落ち着く。それを見て、俺も安堵する。
だが、―――――自分の言葉、こころは何処にあるのだろう。
人に促されて、導かれて、漫然と、今夜歩いてきた道のように。口下手だ、不得手なのだと言い訳ばかりで、傷付けたくないのではなく、自分が傷付きたくないだけだ。
厭われることが、恐ろしいだけだ。
「俺、普通は女に間違えられること、そんな無いんだぜ」
「…っ、ああ…」
「ん、信用してないの、黒澤」
「いや、そうじゃない。…シュチュエーションの問題かもしれないし、俺と斎藤の背丈の所為かもしれない」
「うお、ざっくり言いよった」
「…悪かった」
確かに言い過ぎだったかも、と即座に謝れば、斎藤はくすくすと声をあげて笑った。
「何かそういう顔されると、怒れないよな。実際、口で言ってるほど怒ってるわけじゃないんだけどさ」
「…そう、なのか」
「そーよそーよ」
そして彼は、何でもないことのように言うのだ。
「黒澤の信頼性の為せる技だよ、うん。…他の奴らだったらボコボコだな、ボコボコ」
「………」
何かもうこれで夕飯だな、と言いながら、ほっそりとした指がデザートスプーンの柄を摘み上げた。如何に小柄でも立派に男の手だ。節の硬い、でも、何処か目の離せないそれ。
「斎藤は」
「んん?…うお、冷て。…なに?」
アイスを口いっぱいに頬張った顔がヤマネに似ている。充分に男らしい、でも同時に可愛らしいのだ、と言ったら、このひとはどんな反応をするのだろうか。
「まるで春の雨みたいだな」
「はあ?」
晴れの日に降る、ひたひたと細かく、温かな。頬や肩を優しく濡らす雨のように、望むところを潤してくれる。花片を引き連れて落ちてくる天水だ。
「男でも、例え女でも。斎藤は良い。俺はそう思う」
「……く、くろさわ…」
「何だ」
「お前、どうしてそゆことを突然言うかな!?苺ソース鼻から飲んじまった!」
「それは大変だ」
慌てて紙ナプキンを差し出したら、奪い取った斎藤は鼻を勢いよくかんだ。先ほどの店員がぎょっとした目でこちらを見ている。
さてはばれたか?オーダーが済んだ後ではどうしようもないだろうが。
迷った末に俺もスプーンを取った。此処まで来たら腹を括るしかない。
なるべくそれらしく見えれば重畳だ。斎藤にとって女と思われても、男と知られても恥になるのなら、俺は俺で為すべきことをするまでだ。これ以上、彼が辛い思いをしないように。
当座、無理を承知で、かちあった視線のまま彼女を凝視した。ぱっと顔を隠されてしまう。…なんだろうか。
涙目ですんすん鼻を鳴らしていた彼も驚愕の表情で俺を見ている。
「どうかしたのか」
「いや、なに、その、何かをやり遂げた男の顔は」
「……?いや、むしろやるのはこれからだろう」
クリスマスの悪夢の再来だ、と思いつつ銀の匙で狙いを付ける。
「男同士だったら食べられなかったから、儲けたと思えばいい」
「――――」
「斎藤は無理をしないでくれ。腹を壊す」
「…それはアイスコーヒーでパフェに挑もうとしてる、あんたの方だと思うけれどね」
小鳥のように、くくく、と斎藤は笑う。
「男前の無駄遣いだよ、黒澤」
「……?」
それからは二人で食べに食べまくった。
蟹無口、は聞いたことがあるが、巨大な冷菓を目の前にしても人は口を噤むものらしい。少なくとも、俺と、斎藤はそうだった。
俺がクリスマスのザッハトルテを思い出していたように、斎藤もこの大食いに似通った記憶があったらしい。しきりと新蒔を罵っていた。
店を出る時に「またのお越しをお待ちしております」とにこやかに言った店員の様子を見るに、斎藤の性別は勘違いされたままで済んだ様子だ。それがまた微妙だったらしく、帰り道、しばらく彼は唸っていたけれど。
結局、奢ると言ってもきかない斎藤の金を受け取って割り勘になってしまった。
『ホワイトデーも折半な』
肩を叩きながらそう掛けられた台詞は、額面通り解釈することにした。
彼から降る、言葉に含みや恐れを捜すことは、無い。自らのそれもまた同じことだ。
―――――――これが、唯一人から受け取り、贈ったバレンタインの顛末である。
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