黒澤 備の場合(4)
尾行をされているのではないか、と疑わしげに友人は背後を振り返る。幾たびも繰り返しているので、終いには俺も気になって後ろへ頸を捻ってしまった。余程、日々、あれこれされているに違いない。
『24+カプリース』と有名な楽曲を捩った店名に少し好感が沸く。内装は目の醒めるようなライムグリーンと黒、茶とメタル。最近よく見るチェーンのカフェのそれだった。BGMがジャズなのが惜しい。クラシックだろう、そこは。
「…どうする。軽食はあるようだ」
「黒澤の好きなコーヒーもね」
「良く覚えているな」
「約1年の付き合いですから」と冗談めかして彼は言う。
機嫌が少し直ったようで安心した。思わず口元が緩んだところで、先ほどの新蒔とよく似た服装の、女性に声を掛けられた。
「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりですか?」
「はい」
斎藤が即答したので、こちらも頷く。行き先に迷っていたところだ、都合が良いと言えば都合が良い。
「只今、1日限定で…あ、そのチラシですね。ありがとうございます。…ええと…ですね…」
急に歯切れが悪くなった彼女に、俺は首を傾げた。どうしたのだろうか。若い、二十代とおぼしきその人は、俺を見、すぐに斎藤を見、しばらく彼を観察(と言っても差し支えない程の念の入れようだった)した後で視線を固定した。
―――――俺が繋いだままだった、斎藤の手に。
途端、店員の声がワントーン跳ね上がり、解を得たように晴れやかな笑顔になった。
「失礼いたしました!どうぞレジにてご注文ください。お客様、よろしければお先にお席へご案内いたします」
混雑しておりますので、と言い足され、斎藤は俺を見上げた。それとなく手を離せば、彼は全く意識の外に置いていたらしい。すとん、とほっそりした手首が落ちた。気に留めた風もなく、「どうする?」と聞かれたので、頷く。
顔が赤くなっていなければいいのだが。
確か斎藤はブラックが駄目だった、と思い出しながら、
「カフェラテで良かったか」
「うん」
一つ返事の後、連れて行かれる華奢な影を見送る。恐ろしい程に変化が無い。偶然か?気にしていないのか、はたまた意識されていないのか、親しい故に警戒心が無いのか。どれだろう。どれなんだ?
駄目だ、頬が火照っている。飲み物は冷たいものにしよう。そう心に固く誓って、レジの列へ並んだ。
×××××××××××
斎藤に明確な変化があったのは、ドリンクとデザートを受け取って席へ着いた時だった。
チラシの内容を良く見ずに、深く考えずオーダーを口にしたのだが、出てきたものはとんでもない高さを誇るパフェだった。
チョコアイスとミルクアイス、バナナに苺に色とりどりのベリー。中の層はババロアとヨーグルトと、ベリーソース、カカオスポンジ。最下層はクランチチョコ。
止めに生クリームのデコレーションとハート形に抜いた板チョコレート。優美な細身のデザートスプーンが二つ、差し込んである。
…俺や斎藤よりも、大江や山ノ井に向いている気がする。
バランスに気を遣いつつ、斎藤の待つ座席に向かうと、帽子をテーブルの上に置き、席添え付けの小さなポップを凝視する姿に出遭った。眉根がこれ以上ないくらいに顰められている。
「カフェラテ。…あと、…名前が長ったらしかったから、忘れた。お前が今見てるそれに、書いてあるやつだ」
「ラバーズ・24プラスカプリース・スイートバレンタインバージョン、だってよ」
「……そうなのか」
「男女カップル限定だってよ」
「……そう、…え」
「……あンの…クソ、新蒔…!あとあの店員っ」
ぎりぎりと軋り合わせる歯の間から、地の底を這う声が漏れ出てくる。突っ立っている訳にも行かず、木製の椅子に腰掛け斎藤の手からポップを取り上げた。彼は前髪を上げ表情がなるべく見えるようにしている様子だ。それで見当が付いた。
「…一度は疑っていたようだが」
「それで結局間違えられてりゃ世話ないんだよ!」
淹れたてのラテを啜り上げようとして断念した模様だ。思わず、自分のアイスコーヒーを突き出すとひったくるようにして彼は、飲んだ。
「…っ、ゲホ、ゲッホ、苦!」
「ブラックだからな…」
「……ううううう…!」
噎せる背中を、腕を伸ばして擦ってやる。服の地が薄手の所為で、細く、しなやかに息づいている体躯が手に馴染むようだった。ずっと触れていたくなるような。
「あー…ありがと…。何だか、今日は俺も変…。ヒステリックで情けない…」
「疲れているだけだ」と俺は言った。「…それから、イレギュラーな事が多すぎるだけだ。甘いものを食べれば気持ちも少しは和らぐかもしれない」
「なんかそうゆうのって、余計女っぽいんだけど…」
蜜色の視線がそびえ立つパフェグラスを見遣り、うっと呻く。予想以上だったようだ。
「皆川はよくそう言って、人の部屋から菓子を持っていく。…食べないから、別に構わないのだが」
「あー、なんか、みなは言いそう」
「……」
苦笑しながら、今度は自分のカフェラテを飲み始めた彼に、俺は気付かれないよう溜息を漏らした。
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