(2)



二つ目と、三つ目の語意がどこか違うように思った途端、インクを吸い込んだ水面みたいに、一瞬で恐怖が沸き上がった。ソファの腕置きまで伸びた、冬織の長い体を必死で抱え返す。こうすることで、彼を留めることが出来ればどんなにいいだろうか。俺がぎゅうぎゅうと力を掛けると、恋人は姿勢を変えないまま、薄い腹のあたりにキスを繰り返した。衣服の所為で感触は鈍いものだったけれど、泣きたいくらいに気持ちが良かった。

「…あー、何で今日やらなかったんだろ」
「お、い」
「勿体ないことした」と冬織は笑った。「今からじゃ到底間に合わねえから、我慢するけど」
「雰囲気ぶちこわしだな」
「雰囲気なんかじゃ腹も膨れないし、おさまるものもおさまんねえよ」

額を冬織の側頭部にごつん、とぶつけてやる。そろそろ時が明ける。冬織が起きる間際、観春は自室で眠っていた。もうベッドに戻してやらないと駄目だ。

「冬織」
「何」
「好きだよ」

鋭角な印象が目立つ貌の中で、薄い色合いの瞳だけが熱っぽく光っていた。金属を溶かしたみたいな目だ、と思う。そんなことをつらつらと考えている俺に、奇麗な顔があっという間に近付いてきて、離れた。降った感触を確かめるように自分の口脣を思わず一舐めしたら、誘ってんなよ、と叱られてしまう。

冬織は俺に視線を合わせたままで、甘く、囁いた。

「俺は、時々観春を殺したくなる」

それはまるで告白の返事のようだった。あまりの内容に絶句していると、彼はなおも言った。

「アイツの目を潰して、耳も潰して、喉も潰して、両手を火の中に突っ込んでやりたくなる。青梧のことを見る目も、声を聞く耳も、呼ぶ声も―――触れる手だって、要らないな」

お前自身にとっても大切な五感で、体のパーツだろう。そんな当然の指摘すら出来なかった。冬織の双眸を彩る感情は、紛うことなき憎悪と羨望で、声だけが妙に淡々としている。もっと冗談めかして、否、いっそ怒りを露わにしてくれたら、ふざけたことを言うな、と説教できたかもしれなかった。
硬直し続ける俺に、冬織はもう一度掠めるようなキスをした。「浮気するなよ」と挨拶のように言った後、膝の上で彼は目蓋を降ろした。



「ショーゴさあ、風呂場のあれ何」
「あ?」
「ボディーソープだよ。使ってなかったじゃん、今まで」
「…ああ、あれな」

翌朝、風呂を使った観春は目聡くムスクのソープを見つけたらしく、台所に居た俺へ声を掛けてきた。二人分の朝食を作りながらリビングのテレビを眺めていたから、少し反応が遅れてしまったものの、却って、倖いだったかもしれない。こっそり胸を撫で下ろす。
何せ冬織関係の事となると、俺はいつも挙動不審になってしまうから。そして観春は変に鋭いところがあって、余計にそうした時は追い詰められる。

「バイト先の、子に貰ったんだ。勿体ないから使ってる」
「…ふうん」
「それがどうかしたか」
「別に。いきなり色気づいたから、どうかしちゃったんじゃないかと思っただけ」
「お前なあ…」

人を何だと思ってるんだ、と皆まで言わず憮然として溜息を吐いていると、さらに声のトーンを上げて観春は言った。

「あれ、中身捨てたからね」
「…え?」
「捨てたから。だって、ショーゴに似合わないし。フツーに」
「…―――」
「今まで通り、石鹸で充分じゃん。あ、あと俺のも使うなよ。勝手に使ったら、マジ殴る」

いきなり減ってたけど、もしかして使った?などとほざいている奴の隣を、足早に通り抜けた。シンクの水を出しっぱなしにしていたような、止めた、ような。はっきり覚えていない。どうでもいい。
ああ、使って遣ったよ。あの不気味なまでに透明な青い液体を、ぐちゃぐちゃに泡立てて俺のペニスと、尻の孔に擦りつけて、そうして冬織のを受け入れたんだ。お前が殴ってこようが何をしようが、必要なら何でも使う。でも、もう、二度はない。
冬織が厭だというなら、彼の数少ない望みがあるのなら、俺は全力でそれを排するし、叶えてやりたいと思う。

風呂場の扉を勢いよく開けば、排水溝の穴を埋めて乳白色のジェルが溢れかえっていた。ダストボックスの中には無造作に空のボトルが放り込んであった。銘柄を確認し、メーカーの名前を頭にしっかりと叩き込む。ボトルは迷った末、結局捨てたままにした。抜け殻を取っておくのは、いつかの終わりを納得しているみたいで怖気が走ったからだ。

(「…学校帰りに買いに行ってこよう」)




その後暫くの間、俺と観春の馬鹿らしい攻防戦が続いたことを付記しておく。
俺が買い、観春が捨て、という一連の作業は、彼が飽きるまで続けられた。全く減らない中身に不思議そうな表情で冬織が首を傾げていたが、笑って誤魔化した。


因みに俺が濃厚な香りをどうとも思わないほど愛用するまで、そう時間は掛からなかった。

まるで初めからそうだったみたいに、―――それが正しくあるべき形だったかのように。


>>>END
→V. 星奉りの夜に


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