鹿射



「青梧、これお前にやるよ」

ソファに掛けて雑誌を読んでいたら、自室から戻ってきた冬織が、何かを投げて寄越してきた。悪戯っぽい笑みに興味を惹かれ、膝の間に落ちた堅い感触へと手を伸ばす。
白い液体の入ったボトルだ。
濃い紫から藤色にグラデーションしているラベルを目で追う。

「ムスク?」
「そう。使ってみな」
「ああ…」

プラスチックの瓶を回す度、中の液体がてろりと回転する。
何の面白いこともあるまいに、冬織は俺のする仕草を眺めていた。見下ろしてくる顔を確かめずとも、目を細め、薄く微笑んでいる表情が分かってしまって、居たたまれない。
仕方なく、ひたすらボトルを転がして遊んだ。若干だが、自分の頬が赤らんでいる感じがする。女じゃあるまいし、こんなものひとつ貰って、喜んでるんだから世話が無い。


確かに俺と冬織が逢える時間は短いものだけれど、顔を付き合わせる度にやりまくっているわけじゃない。高確率でセックスになだれ込んでいるのは認めたくない事実だけれども、こうやってただ言葉を交わすだけの日もある。

今日は、そんな日だった。
大学のレポートが出ているとかで、いつもは遊び歩いている観春も、最近は大人しくマンションへ帰ってくる。
結果、冬織と逢うことが出来て、俺は数少ない幸せをスルメのように噛みしめる日々を送っていた。
真夜中12時を過ぎて約束された時間が来ても、観春の体が此処に居なければどうしようもない。実際に、飲み屋や女友達の部屋や、酷いときはラブホテルから、詫びの電話が掛かってくることもしばしばあった。

「今日は珍しく昼に出てこれてさ、コイツ、買い物の途中だったみたいで、便乗させて貰ったよ。ばれないように持ってくるの、結構骨折れた」
「へえ…、そんなこともあるのか」

夜12時から1時の間だけが恋人に許された時間だとばかり思っていたので、正直、驚いた。

「…たまにだけどな」と言って、冬織は微苦笑を浮かべた。

今まで明かされなかった故の落胆と取ったのだろう。済まなさそうな風が伝わってきて、知らずボトルを包む手に力が籠もる。
冬織が少しでも自由に出来るなら、俺に文句なんて、ない。

「…言わなかったのは悪いと思ってるけど。青梧に期待を持たせるようなこと、あまりしたくないんだ」
「…いや、別に気にしてねえし。…だから、お前も気にすんなよ」

冬織と過ごせる時間が増えたら嬉しいに決まっている。けれど、唯一の機会を賭けに出せるほどの勇気は無いんだ。
たった、1時間、それも真夜中だから、冬織と俺の関係や、冬織の存在自体が露見せずに済んでいるところはあるだろう。
万が一、観春に感づかれたら隠し通せるだろうか―――正直、自信がない。あいつは適当な男だけれども、これ、と思った時の行動力は本当にとんでもない。
おまけに妙なところで勘が鋭いのだ。
学校の友人曰く、俺はあまり考えていることが表に出ない方らしいが、観春に限っては、割と近いところを言い当ててくる。油断は禁物だ。


読みさしの雑誌をローテーブルに投げ、気を取り直して本格的に瓶の観察を始めた。冬織は――彼は風呂上がりだった――ゆったりとした部屋着を着込んだ姿で、俺の隣に腰を下ろした。ソファが幸せな重さに沈む。

「これ、石鹸か」
「ああ。ほら、開けてみ」

促されてキャップの蓋を開くと、たっぷりとした甘ったるい匂いが漂う。菓子とかの甘さとはまた、別種の代物だ。どちらかと言えば、化粧の匂いに似ている。バイト先の女の子とか、昔、付き合っていた彼女に連れて行かれた化粧品売り場は確か、こんな感じだった。俺がそう言うと、冬織はくつくつと笑った。

「確かに、青梧のあまり好きそうな匂いじゃないよなあ」
「冬織がくれたんなら使うけど」

何故こういったチョイスになるのかが分からない。貰ったものは使うけど。
開け口に鼻を近づけている俺に、ご機嫌な冬織がもたれ掛かってくる。肩へ、まだ湿り気を残した明るい色の髪が垂れかかる。彼の頭に重ねるように自分の頭も乗せて、気が付いた。

「――とおる」
「何だよ」
「冬織からも、これと同じ匂いがする」
「ばれたか」
「ばれるだろ、普通に」

ムスクの蠱惑的な芳香は、俺よりもむしろ冬織にこそ似合うように思う。現金な物で、彼の体躯を通すと悪くない気がしてくる。

「香水も、付ける人間の体臭込みで選ぶのがいいらしいぜ」
「ふうん」
「俺はいいと思うけどな。青梧に、これ。合成だけど、麝香には興奮作用もあるらしいし」

だから買ったんだ、と冬織は言う。

「何言ってんだか」
「これなら青梧と俺は同じニオイになるからさ」
「…あ?」

彼が嗤って体を揺らす度に、こちらにも振動が伝わってくる。皮や肉を突き進んで、中身ごと、揺すられているような錯覚がある。

「この前、さ、風呂でやったとき」
「……」
「アイツのニオイにまみれてる青梧が、凄く厭で、途中からぐちゃぐちゃに引き裂いてやりたくなった」
「冬織、だってあれは」
「分かってる。不可抗力ってやつだ。…青梧は知らなかったろうけどね、俺、風呂入るとき青梧の石鹸拝借してんだぜ」

観春と同じものなんて、使いたくない。低く呟きながら、長い腕が腰に巻き付いてくる。引き寄せられて、鉛丹色の頭は硬い体の線沿いに落下し、膝へと落ち着いた。そうして、彼は寸法の大きい縫いぐるみにするように、俺を抱きしめる。

「そのボディーソープ、ずっと使ってくれよ」
「冬織…」
「俺がいるときも、いないときも。…いなくなっても」
「…っ、」





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