1 hour lovers



俺がキッチンで洗い物をしていると、玄関のドアがけたたましい音を立てた。ああ、今日はかなり早いほうだな、と思う。時計を見上げれば11時を少し過ぎたところだ。日付を跨いでいないだけ、僥倖と言えよう。
しばらくあって、階下を斟酌しないボリュームの足音が近付いてくる。居間のドアが乱暴に開けられる。
ひょい、と現れたのは鉛丹色(えんたんいろ)、と呼ばれる、間違った人参みたいな色味の頭だ。

「…おかえり、」
「あー、ショーゴだ。まだ起きてんの」
「起きてて悪いかよ。つうか、帰ってくるなら電話くらい寄越せ」
「別に悪かないけど、」とそいつ――――観春は言った。小さく鼻を鳴らす。
「…ちょっとウザいだけ。その言い方、母親みたいで」
「……」

口を噤み、ぶら下げたタオルで手を拭くことに専念した。胸の中に渦巻くのは、「あいつじゃない、だから、何も傷付くことなんてない」という自己暗示。幾度となく心中で唱えてきた、お守りにも――呪いにも似た文句だ。
観春はずかずかと冷蔵庫の前までやってくると、ミネラルウォーターのボトルを取りだして一息に飲んでいた。そんな彼の姿を横目でそっと盗み見る。飢えを潤すべく上下する喉の骨のライン、その先に続くしっかりと張った鎖骨の形を。
もうしばらく触れていない、他人の体だ。

「なに」
「…別に」

さっきの彼をなぞるような返事をすると、またしても詰まらなそうに、声無き唸りがあった。乱暴に冷蔵庫の扉が閉められる。俺はそれ以上の言葉を持たない。

身を翻す、たったそれだけの動作なのに観春の身のこなしはとてもきれいだった。リビングへと向かう同居人の姿に知らず見惚れていた自分に気付いて、頭を振った。




ミハル、なんて、字も響きも男らしいとは言えない友人は、名前だけは男っぽい俺よりも余程良い体つきをしている。別段何をしているわけでもないのに、背だって高いし、肉の付き方もしなやかだ。
むしろ自分の方が中学からずっと長距離をやっている、なりに努力はしているつもりだが、観春の隣に立つと人種からして違うんじゃないか、というくらいの差を感じる。
艶やかな鉛丹色の髪と猛禽を想起させる鋭い形の目。真っ直ぐに徹った鼻梁、引き締まった体躯、長い手足。アルバイト先の喫茶店では、観春目当てに店を訪れる女がいるらしいが、それも頷ける話だ。

水切りに置いた茶碗は明日片付けようか、なんて、考えながらキッチンを出る。観春は珍しくもソファでだらだらとくつろいでいた。先の話振りを見るに、俺と喋るのも鬱陶しいという風情だったのに。また、時計を見る。11時30分。あと30分。

「…寝ないのかよ」
「なんかさー、ショーゴの方がオレのこと、余程うざそうにしてるよね。お前なんて帰ってくんな、的な?」

時折、観春は癖のように、こちらを嬲るような台詞を吐く。俺は怒りも嘆きもせず、全力で受け流すことに努める。観春と俺との会話において、大部分を占める遣り取りだ。

「…そんなことない」
「…ッは、」

彼は俺の否定をせせら笑った。端っからお前のことなんて信用していない―――そんなニュアンスすら感じる。

「いーよいーよ。なんだって。ショーゴはそうやって、掃除して洗濯して、飯の用意だけしてくれればいいから。お袋と住むくらいなら、ショーゴのが、全然マシだし」
「用意したって大概外で喰ってくる癖に、偉そうに言うな」
「…あははは」

彼が賃料をもつ代わりに、炊事洗濯の類を俺がする条件で同居を呑んだ。加えて、観春は、俺に「女避けになれ」と言った。
冗談みたいな話だけれど、見栄えの良い友人には取り巻きなんてものがいる。
彼女らはこのマンションに来たがっていて、それを赦せば、次は物を持ち込んで巣作りをするらしい。
観春は自分のテリトリーに侵入されることを酷く嫌った。俺だって(こっちだってそんな気は露ほどもないが)、どんなに散らかっていても、彼の部屋に入ることは禁じられている。

前はどうだか知らないが、一緒に住んでから後は、観春が誰かを伴って部屋に戻ってきたことはない。どうやら『同居している奴がいるから』の一言で黙らせているようだった。俺の存在も少しは効果があるらしい。
親から買い与えられたマンションだから、実質、観春にとってはタダで住み込みの家政夫を雇ったのとそうは変わらない状況だろう。



- 1 -
[*前] | [次#]

[目次|main]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -