(8)
正面玄関の階段を上がり、俺らの部屋の前を通った辺りでとよとよの歩みはいよいよ怪しくなっていた。
便所に行くには水場の脇の階段を降りないといけない。でも、こんな砕けた腰じゃあ危なっかしくてあの急な階段を降ろせそうもない。
ほんとは正面玄関から、おっさんの部屋を抜けて外回り、洗濯場から入っちゃえばいいんだけど、外には大家か居るからな。
あいつのことだから、こんなザマのとよとよを見たら、どんな緊急電話だろうがまず、間違いなく切っちまうだろ。折角のチャンスも一緒にパアだ。んな馬鹿な真似はいたしませーん。
「…なー、周ぇ」
「んー?」
「これさあ、とよとよ、酔っぱらってんじゃね?」
「あー、なんかそんな感じだよなー」
「でも俺ら、今回酒盛ってねえしさ、第一、とよとよそんな酒臭くねえんだよな」
まともに歩けなくなってしまったとよとよの腰を抱えて、左の階段じゃなくて、右の水場の方へ環は歩いて行く。
俺はそのすぐ後について、力なくこうべを垂れた後輩の、つるりとした首を見ていた。頬と同じように、そこも紅く染まっている。なんつうか、センジョーテキな色だ。
共用の冷蔵庫に小さなからだを凭せ掛けると、とよとよは抵抗もなく硬い扉へと背を付けた。両脚を床へ放り出して、口唇を半開きにしたまま、ぼんやりと視線を彷徨わせている。
うーん、ここまで連れてきちゃったけど、どうすっかな。落ち着いたら担いで下に連れてくか。階段狭いけど、二人がかりならなんとかなるっしょ。
「とよとよー、だいじょーぶかー?」
しゃがみこんだ環が、とよとよに声を掛けている。丸い肩がひくん、と震えた。
「…大丈夫、って言うな」とか細い声が言う。「大丈夫に、見えない、…なら、だいじょおぶ、なわけない…」
俺も環の隣に座り込む。そこまで白くはないけど、俺らに比べれば全然焼けていない肌は相も変わらずほんのりと色づいている。
鈍い人工灯に照らされたべっこう飴みたいな目が今にも泣きそうで、すっげえそそられる。どこもかしこもやっぱり美味そう。
後輩の顔を一心に覗き込む相方へちらりと目をやると、奴も「堪りません」って顔でサンタ衣装の裾を握っていた。
そうして、時折熱っぽい息を吐く以外は、糸の切れた人形みたいにしているとよとよへ、環はゆっくりと手を伸ばす。良く鍛えられた腕が、その先の掌が、やらわかそうな頬を包む。擦る。蜜色の双眸がひっそりと細められる。うん、可愛い。
「気持ちいい?とよとよ」
環が言うと、とよとよは完全に目蓋を降ろした。鼻の頭に皺が浮かぶ。ちらりと見えた犬歯が痛みを耐えるかのように下の歯へと突き立っている。
え。
真剣に、泣き出す一歩手前みたいな顔に、俺らは焦った。
「きもちいいか、どうか、なんて…おれ、には、わかんない」
「そんなことないっしょ!」と環。
俺も、床に膝を突いて、とよとよのもう片方の頬へ手を這わせた。肌触りがサイコー。
何よりも、ゆっくり撫でてやる度に、彼の表情が一層蕩けていく感じがいい。「わかんない」って言う癖に、しっかり気持ちよさそうだよ、とよとよ。
だらりと垂れた腕を拾い上げて、手首の内側にキスを落とした。力一杯吸い付くと、すごく簡単に滑らかな肌に紅が付く。
「…んっ、」
「あ、周。ずっるい」
環も慌てて逆の腕を取り上げ、下腕のふっくらしたところに口づけている。黒髪が擽る感触がこそばゆいのか、とよとよが小さな笑い声を上げて身を捩る。
その様を、まじまじと見ながら、俺はあるひとつの可能性について考えていた。
…これ、厭がってねえよな?酔っぱらってるけど、さっきの大家みたいに「駄目ゼッタイ」って感じじゃねーよな?
「まー、酔っぱらってハイになってるっつうのが多分にある感じだけど」
調子に乗った環は、あの淡く、誘うような色に染まった首にまでキスをしている。のし掛かられても後輩はくすぐったそうに笑うだけだ。これ、ハイっていうか酒乱っぽい感じだ。
今度は是非ともしっかり酒を飲ませてみたい。ていうか、酒の出元は一体何処なワケ?
「ほら、とよとよ。バンザーイってして、バンザーイ」
「なんで、です、かあ。にゃんにも、めでたいことなんて、ないじゃんか」
「きもちくなれるかどうか、試してあげるから、ほらほら」と環。
発言がオヤジだっての、お前。指なんてワキワキしてるし。相方はにんまりと笑ってなおも続ける。
「おにーさんたちに、任せなさいっ」
「……」
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