(7)
一年坊主と馬鹿をやってるときの顔でもない、俺らがちょっかいかけたとき、困ったみたいにする表情でもない。
熱で砂糖が溶けるような、ふにゃっと、蕩けたそれ。
ほっぺたは部屋がぬくまっている所為なのかほんのり桜色だ。食べたケーキのソースがべたつくみたいで、柔らかそうな唇の周りを舌が一度、ぺろりと舐め回した。濡れた舌の肉がひっこんでいく様子まで、俺は食い入るように見つめてしまった。
「あ、周、これやばくね?」
「お、おうよ…ど、どした、とよとよ」
なんというか、…シモにどかんときた!
「別にぃ、どおおおもしてないっすよお?」
「……」
「……」
いや、どうにかしてるだろ、それ。フツーに。
とよとよはケタケタと陽気に笑いながら、随分小さくなった塊をまた一切れ口に入れた。だらしなく右手を動かす一方で、空いた片手は床につき、背中を反らして、すごい億劫そうに見える。
そうこうしている内に、突然、とよとよはフォークを皿にがちゃん、と音が出るほどの勢いで置いた。
「熱い」
「え?そお?」
「熱い。…便所」
熱い、と、便所、を繰り返しながら、後輩はふらふらっと立ち上がった。そこまで熱いかなあ、と首を傾げる環。うん、同意する。このぼろっちい家で効き過ぎるほど暖房が入る部屋はきっとトーメイさんとこくらいだ。
確かにとよとよの顔は赤っぽい。ガラス玉みたいな目だって、水の膜が張ったみたいに潤んでいる。そんでもって、彼は勢いよくフリースの上を脱ぎ去った。ばさっと脱いで、床にぽいっと捨てる。白い半袖のTシャツが露わになる。いやー、それは幾らなんでも寒いっしょ、とよとよ。
「あ、今、便所、備が入ってる」
うちのお袋手作りのケーキを貪りながら、ミーナがひょい、と顔を上げた。ミーナもとよとよの姿を見てぎょっとしている。
「おい、斗与、なんかお前顔赤くないか」
「そーんなわけないじゃないですかあ」
「……へ?」
「赤いと悪いの?じゃあ郵便ポストの立場はどうなるんですかあ、皆川くーん?」
「お、おい、斎藤?」とトーメイさん。魔法瓶ポットから手を離して、ボーゼンとしている。
とよとよは、そんなみんなの心配そうな視線を振り切るように、ぶるぶる、と首を振った。
乱れた栗色の前髪の下、目がじっとりと据わっている。でも、視線の方向は読めない。
「…便所行ってくる」
どう見てもふらついている足元を、何とか踏みしめながら、彼は居間を出て行った。途中、廊下の壁に手をついて、支えるようにしながら歩いて行く。
俺の脇に居た環がするっと体を動かした。
「俺も連れション」
目が合った相方はばちん、とウィンクした。お、成る程。ナイスアイディア。
「じゃあ、俺も−」
「…待て。それはあからさまにおかしいだろ」
止めに入ったのは、トーメイさんだった。彼も熱いのか、顔が紅潮して、おまけに肩のあたりが震えている。声も何だか上擦ってるけれど。
…あ、なんか分かっちゃった。俺はにやりと口の端を吊り上げる。楽しく足止めが出来るなんて一石二鳥。
「ミーナ」
「はい?」
「ちょおおおっとトーメイさんの足、突っついてくんない?」
「うわ、やめろふざけんな林!皆川、お前も来んじゃねえ!」
誰だってやるな、って言われたらやりたくなるのが人情だよな。トーメイさん、絶対わかってねえし。案の定、ミーナは持っていたフォークの柄で炬燵に入ったままの先輩の太股を「おりゃ」とどつく。途端に、トーメイさんの口からは絶叫が上がった。
「ぐっあ!」
「あーほらやっぱり痺れてるんじゃん。年寄りは無理しないー」
「うっせえ!お前らだって俺とタメだろが!」
「だったら、『さん』付けとか、『先輩』とかっていらんよねえ」
開ききった扉の向こうから、環がツッコミを入れている。見れば、小さな肩を自分の胸と腕で支えて遣っているきょうだいの姿があった。
あ、ずりい。抜け駆け禁止だろ。
「ってな訳で、ちょっくらいってきまーす」
「林」
鋭い刃が静かに差し入れられるみたいに、良く徹る声が俺の足を止めた。
肩越しに振り返ると、湯飲みをかかえた見目がじっとこちらを見ていた。張った肩によく伸びた背だけ見れば、高校生らしからぬ渋さだけど、目の前にあるのは鼠が囓ったくらいのホールケーキときたら、だっさいよ、ミメ。
「…五分だ」
「何が?」
「五分経っても戻ってこなかったら。…分かっているな」
俺は肩を竦めてみせる。そんでもって、笑ってやった。
「とよとよと環がさっさと済んだら、俺だってすぐだもん。何、ミメ、寂しいのお?ミメも連れションする?」
「…打たれたいか」
「超遠慮―」
ミメの視線は部屋を出た後も、背中にざっくり突き刺さったみたいに残ってた。それも、トーメイさんとミーナの馬鹿騒ぎに負けたらしく、階段を上り切る頃には二人を宥める声が階下に響いていた。つうわけで後はよろしく、生徒会長様。
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