覚醒



(月下)


「……、」


ぐるぐると周遊するひかりの破片が次第に消えていく。代わって視界を埋めたのは薄暗い、闇だった。訳も分からずにぼんやりと、目蓋を開く。灰色の世界。すぐに思い出したのは、白柳に誘われた、あの、狭い部屋だ。友人は、きっと怒っていたのだろうと思った。裏切る、という表現は必ずしも適当じゃないのかもしれないけれど、多分、僕のしたことは背信に近かったのだ。

瞬きを幾度か繰り返しているうち、景色が―――僕を囲む周囲の輪郭が、はっきりしてくる。薄暗いことには変わりなかったが、天井に届く高さそびえたつ本棚や、ファンの旋回音がやかましい空調、骨を想起させる蛍光灯のしろさは、どこにも見あたらなかった。
背中が触れる部分はひどく軟らかい。冷たいコンクリートの床とは大違いだ。

「…あ、…あれ…?」

掌が触れたところを擦る。顔をずらせば、電灯がついていなくても分かる、軟らかくて、清潔そうなシーツが目に入った。僕の頭は枕の上にあり、身体には掛け布団が掛けられていた。幾何学模様のカバーに包まれたそれ。自室のものじゃない。僕の母は、こういう柄は買わない。
しかもだ。僕はちゃんと服を着ている。手の甲が隠れそうなくらいに大きいロングTシャツと、スウェットパンツ。こちらも見たことがない代物だった。

「……」

呆然としつつ、上体を起こそうと試みた。肘へ重心を掛けただけで、首や肩のあたりがびきびきと軋み、腰から下が鈍く疼く。歯を食いしばり、身体を少しずつ壁際へずらしていく。

「う、…っく、…くそ…」

背を壁へつけて、それを支えに起き上がる。大した動きじゃないのに、僕の身体は一斉に非難の声をあげた。白柳がつけていったしるしは、拘束するものが消えた後も明らかだった。首から始まり、手首、胸の下、脚の付け根、足首。そして性器と後孔。
ずくずくと痛みを訴える部分が、しかし、出来うる限り清められていることに気付く。べったり付着していた薬液も、精液ですらもきれいに拭ってあった。慌てて手首を見た。ぼうと浮かぶ白い帯―――包帯が巻かれている。

「……ここは…、」

僕が乗っているのはベッド。正面にオーディオラックと、薄型のテレビが置いてある。
窓際には勉強机があり、背の低い本棚には雑誌と、少年漫画の単行本が並ぶ。天井の高い作りになっていて、頭上はロフトのようだ。カーテンは引かれている。仮に遮光性のものだとしても、外はあまりに暗い。きっと、夜なのだ。
居心地の良い程度に雑然とした、誰かの部屋。観察を続けて、つい、あっ、と声を漏らす。

棚の空いているところに、普通のスニーカーにしては分厚い底の、ごついシューズが鎮座している。

心臓が喧しく鳴り始める。どく、どく、と勢いを増して血が流れていく。シーツに酷く皺を作りながら、シューズにつられるようにして僕はベッドから降りた。正しくは、落ちた。

「いっ!」

尻餅をついた途端、脊髄を伝って激痛が奔った。まさに電撃みたいだ。

「…う、いた…」

情けない叫び声を上げながら、けれど、突き動かされるように進む。四つん這いに近い、獣の姿勢で棚の前まで膝行(いざ)った。

照明がないから、はっきりした色はよく分からない。白地に赤いラインの入った、大きなシューズ。如何にも早く走れそうな、靴自身がちょっと自慢げにしているように見える、それ。
言葉もなく、しばらくの間とっくりとシューズを見つめ続けた。幾らでも、何時間でも見ていられると思った。皮膚を突き破りそうなくらいの興奮が僕を充たしている。とても整理しきれない感情、想い。泣き腫らしてはれぼったくなった目はまたしても熱を持ち、あらゆるものが潤んだ。耳の奥が、鼓動でじんじん震えている。

棚から、視線を下へとずらす。僕自身の足へと。
棒きれみたいな足首から伸びる縄のシルエットは、ドアの敷居をくぐり、扉の向こうへと消えている。




- 92 -
[*前] | [次#]


◇目次
◇main



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -