強制力



(月下)

生徒会室のドアがぴたりと閉ざされ、二人の言い争う声が何処かに吸い込まれるまで、僕は些か自失気味で立っていた。視界に映るのは簡素な象牙色の扉だけ。小さく空いた窓が静まり返った廊下の一部を切り出していた。

「座ったら?」

離れたところから掛かった声に振り向くと、生徒会長が薄く微笑みながら椅子を指し示していた。反射的に首を捻って―――、組まれた長い脚の先に絡むモノを見てしまう。

(「…うわっ…」)

慌てて目を閉じる。馬鹿、油断するんじゃない!
眼裏に鮮やかな赤が染み付くようだ。

――…ああ、でも、

(「…このひとの先は…居ない…この部屋の、中には」)

ばっちり見えた赤い縄はドアの向こうに真っ直ぐ延びていた。それだけでも随分気が楽になるもので、今度は注意深くそろそろと向き直る。視線は顔のあたりに据えた。僕に直視できるはずはない。この手の眼力の強いタイプは殊更苦手なんだ。

「…ありがとう。でも、いい」
「そうか?」

会長はそれ以上勧めてくることはしなかった。ふうん、という表情をした後、背凭れに身体を預けて瞑目し始める。僕のことを怪訝そうに眺めていた高遠――頭が良くて学年でも有名なやつだ――も、警戒心が薄れたようで、会長の角隣の席へ腰を下ろしていた。

(「…どうしようか…」)

会話が絶えた部屋の中では僕の溜め息なんて丸聞こえだ。呼吸に混ぜて、緊張を少しずつ逃がしていく。



先生に切り出された時は驚いたし動揺もしたけど、数時間を置いてちょっとは落ち着いていたのに。まさか同じ日に久馬までもが呼び出されて、あんな話になっているとは思わなかった。
糸のちからは僕が過去見る限り、ほぼ絶対。
でも接触を最大限避ければ、もしかしたら逃げ切れるんじゃないか。先生が班決めの話をしても、のらくらと決断を濁してしまえばいい。剣菱先生は決定を押し付けてくるタイプじゃないから。

なのに、さっき教職員室で聞こえてしまったのは、ほとんど命令といっても差し支えない、久馬への依頼。

(「…これが赤い糸の強制力?…もし、そうなら…」)

ふと蘇ったのは、いつか見た恋人たちの姿だ。確かに繋がっているのに、がんじ絡めで縺れていて、何処にも行けなくなってしまったふたり。目も遇わさず口もきかず、それでもお互いが気になって苦しんでいて―――、
他人事だったけど、あんな風にいがみ合わないといけないのなら、いっそ別れてしまった方が楽だと思う。
ひとを憎むのは辛いだろう。疲れるだろう。相手が大好きだったひとなら、尚更だ。

(「…でも。僕と、久馬はちがう」)

恋人どころか友人ですらない。知人のカテゴリーに入るかどうかも疑わしい。僕は久馬を、この厭わしい糸故に避けているけど、彼はむしろ、生理的に僕を好かない感じだ。

そこまで考えて、…心臓が搾られたみたいに、ずきり、と痛む。

二言三言、言葉を交わしている会長と高遠から視線を外し、ゆっくりと自らの足下を見下ろした。無意識に息が詰まったのも、その時は気付かなかった。床の目地が視界に入り、椅子の脚のゴムキャップが見えて―――そして赤い縄が、蛇みたくリノリウムへ這っていた。先は、もうひとつの縄と共にドアの向こうへ。廊下の反対側にいる、久馬と繋がっている筈だった。絡まりや縺れなんてない。きれいなものだ。

ほっ、と思わず息を吐き、思いがけず大きく響いた呼吸音にびびって途中で飲み込んだ。


―――え。


自分で、自分の行動に愕然とする。

(「今、…安心した…のか?」)

まるで正しさを証明しているみたいに、綺麗に道をつくる、赤。

(「正しいなんて、そんな馬鹿な」)

彼のことを目で、意識で追うようになったのはいつからだったろう?
糸が見えるようになってから?それよりも前?
…――僕が、彼と距離を置くのは、置かなくちゃいけないのは、赤い糸の所為?好きになっちゃいけないから、男だから?

(「……すきになるのが、こわいから?」)

気持ち悪がられて、無視とか、されるかも。いや、その前に近付いたり告白したりする度胸なんて持ち合わせがないじゃないか。

(「…僕は、」)

段々と熱を持って視界が歪む。水の底から景色を見ているみたいに、革靴も糸もふやけて映る。

僕が恐れているのは、
どうしよう、と焦り――期待している理由は、

(「そういう対象として、久馬が、好き、なのか」)

赤い糸が、例え誤りであったとしても、彼と僕とを結んでくれる――僕がどんなに「抗った」「振りを」しても、何らかの形で僕らを縛ってくれる、
その可能性に歓喜する一方で罪悪感もあって、だから、怖いんじゃないのか。

落日を二分するみたいに走るしなやかな体躯や、よく徹る声や、乱暴さと甘さが入り交じったような笑顔なんかを、正当に自分のものにできるって何処かで信じてはいないか?

「……っ」

気持ち悪い、
吐き気がする、
浅ましい、
消えてしまえ、

(「…最悪…」)


そうだとしたら
僕は、腐っている。


リアルに襲ってきた胸焼けを押さえつけようと、口脣のあたりを掌で覆った。腹もだけど、頭もぐるぐるする。自分の為の偽善なのか、本当に久馬に悪くて、なのか、わからない。どちらも本当で、どちらも嘘に思えてしまう。

(「どうしよう、」)

もう一度よく考えなくちゃいけない。
僕は久馬が好き?いや、もっと恐ろしいことがある、

赤い 糸の 所為で

そう 思い込んでいるだけだったら?

(「どう、すれば…」)

僕が見てきたのはいつだって他人の結果だけだ。糸が先か、こころが先かなんて考えたこともなかった。自分の感情を疑う羽目になるなんて、そんなの、想像したことない。今だってわからない!
膝が踵が、骨を失ったみたいに頼りなくなって、会室の壁へ背中を押し付ける。ずん、と震動が伝わる。それだけで全身が粉々になりそうだ。誰かが僕を揺さぶっていた。ぐずぐずに崩れて小さく欠片にでもなれば、思い悩むことなんて何もなくなる。

ただ、彼に掴まれた腕だけが僕のかたちや、感情みたいなものを繋ぎとめていた。触れられた所が声高に主張している。

確かに僕は、嬉しかったんだ、って。


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