融解T



(久馬)

未練タラッタラのハコを殴り倒し、もとい、追い出して、扉の閉まる音が聞こえた後も、それがフェイントじゃないことを、目ん玉ひん剥いて確認した。
暗がりに沈むドアの方角を注視している間、月下は死に別れた爺さん(実際は不明だ)に遭遇したみてえなツラをしていた。あるいは、オレがガン無視を決め込んだとき、彼がしていた表情の再現だった。
黒い双眸は虚ろ、顔色は蝋に似たしろさだ。がちがちと鳴るのは、血色を失った口脣から零れる歯だ。


確実な絶望。


「サカシタ」
「…、ぃ、…っ」
「おい。月下って。飛ぶんじゃねえ。起きろ」
「…」

あの男は既に去ったというのに、月下は、未だに白柳と対峙しているようにおののいていた。思わず舌打ちが出る。ハコめ、テメェの愛とやらは重い上に毒々しすぎるんだよ。

声を掛けても反応は薄い。仕方なく、痩せた頬をはたいてみる。ドラマとかでよく見る、雪山に遭難した人間にするような、アレだ。
幾度めかで焦点が合い、さらに一発軽く当てたところで、水の膜を薄く張った目がこちらを見遣った。

「終わったんだ。もう、大丈夫だ」
「……だいじょう、ぶ」

かみ砕くように言って聞かせると、小さな声が復唱する。頷いてやった。

「ああ」
「……」

しゃがんだまま、頽れた体躯を支えていたら、とん、と肩に重みが乗る。
微妙な液体やら埃やらで随分と汚れた黒髪が、すぐ下に広がっていた。オレとどっこいか、それ以上の無惨な態だった。
不快感は全く無い。むしろ、反射的に頭を撫でてしまう。自分の掌も節々痛み、強張っていて、思うような優しい動作では動いてくれなかった。それでも構わず髪を梳き、背中をさすった。…こんな細い身体でよく堪えてくれたものだ。

シャツ一枚を羽織り靴下を履き、後は素っ裸という姿を見るにつけて、ふつふつと怒りが再燃する。よくもまあ、やりやがったよなあ、ハコの奴。スルメよろしくエンドレスリピートでむかつけるぜ。噛めば噛むほどに腹が立つ。
取りあえずは黙って――オレにしては、黙って、帰してやったけれど、しっかりボコる、じゃない、仕置きをしないことには溜飲が下がらない。

…あ。あれにしよ。

最も手っ取り早く、かつ効果的な復讐の手段を思いつき、一瞬にやついてしまった。流石俺。超賢い。ハコよ、てめえに安息の時間などない。数時間の短い平和を、精々満喫するこった。


それはさておき、可及的速やかに彼を落ち着かせてやらなきゃいけない。
話をする、というのが当初の目的だったが、こんな場所で、格好で、出来る話なんて無い。大事な内容だけに尚更だ。
どさくさに紛れてだったけれど、冷静に反芻してみると、一番肝心なことは互いにばらし合っている状態なんだよなあ、実は。無論、改めて確かめる必要はあるけど。

(「…まずは服、だよな」)

最低限の支度ができたら、即、耐火庫から出なくては。風呂だの、もしかしたら負っているかもしれない傷の手当てなど、やることは盛りだくさんだ。
そちらの意味で、遅すぎるということは、もう無いだろう。
オレたちには時間がある。それに言葉も。


くったりと力を失ったままの月下の、薄い背中を叩く。ひくん、と震えるような反応が伝わってきた。

「…おう、大丈夫か。大丈夫なわけ、ねえだろうけど」
「…う、ん…」

ごめん、と彼は言った。そして、オレの腕を支えにしながら、寄りかかっていた姿勢を起こしていく。暗がりに仄白く浮かぶ手が、シャツの上に触れたとき、ぞっとした。服越しにもそうと分かるほど、彼の手は焼けて、体温が高くなっていたのだ。



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