あとさき



(久馬)


オレの身体を、細い片腕でぎゅうと抱きしめたまま、月下は、あいつと対峙しているようだった。「ようだった」と類推になるのは致し方ない。身動きがとれないのである。

見るからに頼りない、折れそうな腕の何処に、と仰天するくらい、背中を抱える力は強かった。万力みたいに、腕から背中がぎゅうぎゅうと締まる。苦しくはない。心地良い。
大概、オレも疲れているのか、そんな場違いなことを考えていた。月下の応答が妙に落ち着いていたのも、現実離れした思考に一役買っていたかもしれない。

「それ、俺に向けてやってんの」
「そうだよ、…白柳」

可動域の狭い、首を何とか捻って彼の横顔を見る。黒い瞳は真っ直ぐに相手を見上げていた。何処か熟んだ視線。擦れる頬骨やこめかみのあたりが汗ばんでいる。呼吸は荒く、体躯が触れる部分すべてが病人のように熱い。対照的なのは、やはり、声。

「これ以上、久馬も…白柳も。どっちにも、怪我なんて、…させない」
「……」

友人は、少しの間黙っていた。
月下が心許ない―――というよりも、黙っているのは性分じゃなくて、オレは微かに身動いだ。少し力を緩めろ、って意思表示のつもりだったのに、逆にぎゅう、と抱きつかれてしまった。なんじゃこりゃ。オレまで息が浅くなりそうなんだが。

「…で、どうすんの」と、ぼそりと、壱成。
「それで、威嚇でもしてるつもり?」

奴の台詞には明かに剣呑な響きがあった。ついでに背中の皮がちりちりと焼ける感覚。
少年漫画で「気」とかあんだろ、ああいうのが分かるほど愉快な体質じゃねえけど、ある程度の悪意ならそっぽを向いていても感じるもんだ。
もし見えないナイフが壱成の手に握られているなら、間違いなく後ろからずぶりと殺られているレベルの、それ。相変わらず頭に血が上ったまんまらしい。ま、オレもこんな風に拘束されてなきゃ、似たようなもんだけどよ。

しかし、月下と壱成とじゃ、旗色なんて比べるまでもない。
俺は別格としてだ、壱成は決して喧嘩が強いわけじゃねえと思うが、…月下、多分、いや絶対、弱いだろ。
ここは、オレが出て行って一発殴ったら全て終了、オールオッケーだ。
床に膝をついて、彼と抱き合っている(客観的に表現すると今更ながらこっぱずかしい)体勢から、まずは背を糺した。腹腔に力を籠めて、威圧感たっぷりに、

「…おい」


ところがだ。


「…久馬は、黙って」
「……」


制止は、月下からだった。壱成に掛けたのと同じく、冷静な、声。

「白柳と、は、…話してるのは、僕、」
「…分かった」

茫然と返事をすると、彼は小さく頷く。

「威嚇、とか、そういうの…どうでもいい…。でも、放って置いたら、君は久馬に何かしただろ」
「そうだねえ。…まあ、ねえ」

あの、制服越しにも背が焼き付いたような感じは、やはり錯覚じゃなかったらしい。何て奴だ。

「させない、そんなこと。…僕の気持ちも、変わらない。つ、伝えた通りだ。君が何をしても、多分、僕は…もう、壊れない」

そして、彼は言った。

「止めるためなら、…使う」
「…ふうん。…じゃあ、試してみようか」

「それは俺が赦さねーよ」

黙ってろ、と言われたにも関わらず、思わず口を挟む。いや、だってこれ放置できねえだろフツーに。ついでとばかりに、月下の腰に回した手へ力を籠めた。
さっきから、彼はずっとかたかたと震えていたのだ。今度は止められることなく、体重が僅かばかり、俺に掛けられた。

友人はもう一度、鼻を鳴らした。


「真赭」
「…うん」
「俺は、お前のこと、全部分かってあげられるよ。ぐちゃぐちゃしたとこも、自分で目、背けてるところも」
「……、うん」
「幾らでも楽にしてあげられるし、万難からも守ってやれる」
「うん」
「余計なこと、何も考えなくて済むよ」

彼は、こくり、と首肯した。

「…大体、そいつさァ、結構酷いよ?俺ほど、真赭のこと理解出来ないだろうし、俺様だし、変なところで鈍いしさ」
「…そうだね」
「コラァ!」

そうだね、って何だ。そうだねって。月下ァ!そこ否定するところだろうがよ!!
調子に乗った奴の口撃はなおも続いた。ひとが動けないからっていい気になりやがったと見える。

「餓鬼だし、成績良いかもしれないけど、バカだし。あ、あとムッツリスケベ。堪え性がない」
「おい、壱成。テメェ…、…いいじゃねえか、第二ラウンド、これからやるか…?」
「ほらね」

何故こうもぼろくそに言われなければならないのか、誰か説明してくれ。出来れば、オレに対する悪口雑言を否定する方向性で頼みたい。
つうか、この二人の通じ合ってる感がフツーにむかつく。俺の来る前に某かの話合い的なもん(あの変態プレイがそうとは思いたくない)が、持たれていたことは明白だった。


…いや、今日だけの話じゃないのかもしれない。
ずっと、こいつらは言葉を交わし合ってきたのだろう。オレがシカトこいたり、迷ったりしている間も、ずっと。


「――それでも、」

と、思考に分け入るみたいに、静謐な声がした。オレの耳の、すぐ隣からだ。

「…それでも、僕は、君のところには行かない」


壱成は。
今度はたっぷりと黙った。




「…はあ」

しばらくして、深々とした溜息が聞こえてきた。
かつん、かつ、と少し引き摺るような革靴の足音。月下の首がさらに上へと反った。その黒髪を、壊れ物にする慎重さで撫でる手が見える。

「これじゃあ、まるで俺が悪者じゃん」

どっからどう見ても悪者だろうよ!仮に正義の味方とか宣ってみろ、その類の連中が大挙して喧嘩売りにくるぜ。

より近くなった距離に、多少の焦りが生まれる。何を考えているのか、月下は相変わらずオレにしがみついていたので、細い体躯を突き飛ばしでもしない限りは反撃不可能だ。
で、そんな無茶出来るわけもなく、オレは彼に向かって「離してくれ」と促そうとした。

同じ台詞は、別のところから落ちてきた。


「…真赭。……久馬、少し離れて」
「誰が、…っ?!」


『久馬』


反射で言い返して、でもって詰まった。
久馬。
久しく聞かなかった気すらある、苗字での呼び方だ。

「まそお」

壱成が彼を呼ぶ声はひたすらに丁寧だった。オレが、思わず従うほど、真摯な響きが充ちていた。
月下も、スタンガンを突き出していたらしい腕を下ろし、全身からふうっと力を抜いた。つまり、二人ともそれくらいの信頼関係は構築されているわけだ。またしても少しむっとなる。


離れがたい拘束から解放されて振り返れば、友人が屈み込んだところだった。
オレが遠慮呵責なく殴りまくった頬は、赤紫に腫れている。鼻や口の辺りは切れていて、強引に擦った、かさついた鉄錆の色が散っていた。貴族的な顔立ちの所為で余計のこと、無惨に見える。
ぺたん、と座り込んだ月下と、傅くように膝を折る壱成。瞬きすら潜め、見つめ合う彼らに、つい、「おい」と突っ込みを入れてしまう。だって全然楽しい眺めじゃねえもん。

切れ長の双眸がちらり、とこちらを射た。

「…ちょっとも大人しくしてらんないの」
「今まで充分大人しくしてたろーが。つか、テメェに言われたかねえし」
「ばかたれ」と奴は、オレを罵った。「…真赭の縄、外すから。久馬がやったら絶対きつくしちゃうに決まってる」

ばかたれ、だと?ふざけんな度マックスだぜ。さっきから言いたい放題言いやがって。

「おい…!」

そんな縄、どっかから鋏でも持ってきて切れば済む話だ。
何処かって何処か、だと?
そんなん、手っ取り早く目の前の生徒会室からに決まってるだろ。
そうしたら多分、怒り心頭の高遠が追っかけてきて、…部屋の惨状がばれるかもしれない。いや、部屋なんてどうとでもなる。問題は、月下である。

「……」

駄目じゃねえの。

斯様なわけで、やむなく黙った。人道的見地からすればどうしようもない。
悶々としている間に、友人は月下の背中のあたりを撫で、両腿の下へ手を回し、時には抱きつくような姿勢を取って縄を外していた。何だ、この我慢大会的な展開は。

「…ごめ、ん、…はこやなぎ…」

奴の肩に顎を預け、時折ふるり、と体躯を揺らしながら月下は呟いていた。小さな声だったが、俺にも、確かに聞こえた。それを受けた白柳が、彼のこめかみにリップ音を立てたのも。

「―――っ」

我慢。我慢だ。「堪え性がない」の烙印を証明するわけにはいかんのだ。

「…謝罪も、―――礼もいらない。よく『ありがとう』の方が良いって言うでしょ。あれ、違うから。ごめんと大して変わらない。俺が好きにやっただけのことだから、いいんだ」
「……、うん」
「願わくは―――」
「えっ」
「…願わくは、…君が、友人の地位を残しておいてくれることを」
「んっ?!…っむ、はっ…!」

だが、現状においては手を上げたところで文句は言われないだろう。
目の前で、アホの壱成は、細い顎を摘み、己の首を傾け、開き掛けていた口脣へ一気に食いついたのだからな!舌が突き入れられているのが分かるほどのディープキス。

「いい加減にしろ、このクソ柳!」
「あ、痛ッ」

懐かしい手応えだ、と思う辺り、オレも末期かもしれん。舌でも噛んじまえ。
ぱかん、といい音をさせながら壱成の、
――白柳の頭が揺れ、それはのそり、とこちらを見上げた。心底恨めしそうな顔つきで。

「いいじゃん、これで、しばらくお預けなんだから」
「…しばらく、じゃねえ。…ずっとだ」

傲然と言い放つと、奴は「はっ」と鼻で嗤った。だが、今度は大して腹は立たなかった。
白柳から敵意が失せていた為だ。

「ほら解けた、」

手品師のように両腕が拡げられる。
月下のしろい首、太股には、手首と同じく、索条痕が浮かんでいた。赤黒いそれを隠すように彼が身を小さくする。

立ち上がった友人から月下を庇うべく、間に入って、オレも腰を上げた。



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