白柳 壱成
(久馬)
共有棟の廊下を足音も荒く進み、階段を上がって目的地に到着。途中、知り合いに声を掛けられたり、教師に何事かとたしなめられたりもしたが全てスルーした。頭の中がぐつぐつと煮え立つようで、他のことはどうでも良かった。
担任とサシで話していた間はまだ我慢できた。でも、隣に華奢な痩身が立つに至って、もうどうにも堪らなくなったのだ。
『白柳と相談します!』
教職員室の誰もが振り返る勢いで叫ぶオレに、剣菱はあのぼんやりとした笑顔を浮かべた。
『そうですね。たくさん話しなさい。青春は無限だが時間は有限です。……ああ、月下君』
『…は、い』
『きみも一緒に行くといい。万が一、取っ組み合いの喧嘩になったらね、そのときは逃げなさいね』
『………』
眉毛の端を落とし、頼りなげな表情をよりいっそう濃いものにした月下は、不承不承、…いや、とりあえず、といった風に頷いた。奴の反応を待たず、オレは既に踵を返している。月下が慌てて追い掛けてくるのを気配で悟ったが、それはもう二の次だ。こいつも気に食わないが、目下ぶん殴って問い質したいのは白柳の変態野郎の方だった。
「クソ柳、居るか!」
ノックなんてまどろっこしいことは無しだ。年季の入った生徒会室の扉を思い切りスライドさせると、反動で物凄い音が響く。オレの剣幕およびドアの音にびっくりした役員たちが、びしびしとこちらに視線を突き刺してくる。―――どうやら会議中だったらしい。
「…まずはノックだろう、久馬…」
「今は会議中だ、何を考えてるんだ!」
呆れたように、でもコンマ数秒で立ち直った生徒会長が深く嘆息する。地味な男だが何だかんだで立ち回りのうまい野郎である。テノールのヒステリーを被せてきたの方は同じ特進科の高遠だ。こいつは副会長。邪魔して悪いとは思うが、用があるのはこいつらじゃない。
「見目、悪い。…それから、うるせえよ高遠。きゃんきゃん騒ぐな」
「きゃ…」
絶句した高遠をふん、と威圧してやった後で、目当ての人間を探す。
「…補正予算作るなら削減と予算追加の根拠を出させないと駄目じゃね?」
会室の奥からファイル片手に現れた、こいつ。そう、お前だよ!
「クソ柳、話がある!」
「あれ、キューマ」
アナクロいロイド眼鏡に、襟足の長い髪、スタンドカラーでノータイなんつう校則無視の権化みたいな格好の男。白柳 壱成(ハコヤナギ イッセイ)。ぱっと見、所作だけは優等生然としているのだが、中身は相当えげつない。今も、「何故怒鳴り込まれたのか分かりません」みたいなツラをしていやがる。速攻思い出させてやるぜ、覚悟しろ。
「…久馬」
「なんだよ!」
オレの名前を呼んだのは不思議そうに立ち尽くす(間違いなく演技だ、)白柳…ではなく、会長の方だった。事務用の椅子にゆったりと腰掛け、こちらを検分するような目で見つつ顎のあたりを擦っている。
「言葉の乱れは心の乱れだぞ。…あまりクソクソ連発するなよ」
(「…お前も言ってんじゃん…」)
突っ込みは心の内だけに留めておいた。こいつ怒ると結構面倒臭いからな…。理解を示して無言で頷いて見せると、会長は次に高遠を呼んだ。
「向かいの耐火庫の鍵を貸してやってくれ」
「えっ」
「皆、休憩だ。十五分くらいかな…話の続きはそれからだ」
「やったー」
「あー、自販機行きてー…あ、かいちょー、買ってきますよ。ポカリでいーですか?」
がたがたと立ち上がる役員たちを避けるように、高遠副会長殿がやって来た。とてつもなく不満顔だ。
「悪いな」
「………」
無言のままタグ付きの鍵を押し付けられる。視線で人を射殺せるなら、三遍くらい殺られてそうだ。
その高遠の背後から、するりと友人が現れた。肩を竦めて処置無し、といった態を装っている。すべての元凶はてめぇだろうが。
「こいつ借りてく」
「時間厳守で頼むよ」
会長の声を背に受けながらドアを開いた所で、ようやくというか、やや冷静になった頭で、置いてきぼりの存在を思い出す。
所在無さそうに、廊下の壁へもたれていた月下ががばりと体を起こした。怯えた目線がオレの顔を撫ぜ、すぐに鎖骨あたりへ移動する。俯くでも正視するでもない中途半端さに、苛立ちがぶり返した。
「……っ!」
奴の驚きは仕方ないことだったろう。いきなり腕を掴まれ引っ張られたら、大なり小なり誰でもびびる。月下は感電したみたいにびくん、と全身を震わせた。触れたオレにも伝染しそうな、感情のぶれ―――ちょっとした恐慌状態。
ハコが小さくオレを呼んだが、華麗にシカトする。
「お前はこっちで待ってろ」
「…きゅう、まっ」
悲鳴混じりで月下はオレの名を口にし、その呼び掛けごと突き放すように奴を会室へ詰め込んだ。「うわっ」と言ったのはおそらく会長だろう。面倒なんてもんは掛けたらひとつもふたつも同じだろ。
扉を隙間無くぴちりと締めたら、斜め後ろから深々と溜め息が聞こえた。
「…んだよ」
「驚いたのは充分分かったからさぁ、もうちょっと落ち着いたらどーなの」
「全部てめぇが根回ししたんだろ、ハコ」
「根回しとかって人聞き悪りぃなあ」
言いながら、ハコは掌を突きだしてくる。
「ほいよ、鍵寄越せ。耐火庫で話そう」
金属製の扉を一枚、二枚と開くと、黴臭さがむっと襲ってきた。薄暗い照明に照らされた部屋は、たくさんの金属ラックと奥にぽつりと置かれた事務机で占有されている。書棚の背表紙を見れば、校史や生徒会の資料が並んでいた。
ハコは勝手知ったる様子で部屋の最奥へ向かい、机上の電気スタンドのスイッチを入れた。友人の腰から肩がぼんやりとした光に覆われる。オレは大分離れたところで立ち止まった。威嚇するように睨み付ければ、ハコは堰を切ったように、
―――爆笑しやがった!
「…ぶっは、はははははは!」
「てっめ何がおかしいんだよコラ!殴んぞ!」
「だってさ、すんげーキレてんだもん久馬」とハコ。「たかだか校研の班決め風情でバッカじゃねーの。餓鬼じゃあるまいしあほくさ」
「…言ったな…?」
そうなのだ。
白柳という男はこういう、口が悪く、性格もビミョーで性癖だって最悪な、えげつないやつなのだ。大事なことだから二回言ったぞ!
オレはにっこりと微笑みながら、ぎちぎち拳を握り締める。まずは一発。それからじゃねえと何も話す気にならねえ。
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