糸とこころとU



(久馬)


無理矢理放った巴投げは、我ながら恐ろしいくらい決まった。驚愕に目をまん丸くした壱成が、オレの頭上を飛んでいく。胴体が消え、足が消え、――――全てが消えた。
授業で教師に説明された型とは大分違っちまった。後方に倒れながら投げるところを、半ば寝転がった状態から、腕および腹筋背筋に負担を掛けて無理にやったので、後々変なところが痛みそうだ。結果オーライだがな。
…ここまではまだ良かった。
見事本棚に衝突した友人の身体が、棚にぎっしりと詰まっていた中身を振り落としたのである。本棚だけに内容物は本だ。オレが以前、壱成の頭をぶん殴ったときに使った代物。厚い紙のカバーに布張りの装丁がしてあって、背表紙は箔押し、角は固め、という凶悪なブツである。それが一気に何十冊も頭上へ降ってきたのだ、世の中には、この俺様をもってしてもどうにもならんことがまま起きる。

「――――ッ!」

あ、とか、う、とか叫ぶ間もなく、轟音と共に即座に下敷きと相成った。

(「…糞ッ」)

痛い。しかも、物凄く。
生身の部分は所々擦れ、衣服に守られている所もごつくて固い落下物の強襲を受けた。雪崩に遭った時はとにかく雪の中で泳げ!と聞いたことがあるが、相手が本じゃどだい無理な話である。取りあえず頭と顔面を腕で庇ってやり過ごし、―――生き埋めになった。壱成に蹴られまくり、投げを放って大の字に寝ていたのだ、決してオレがまぬけだったんじゃないことを付記しておく。
元から痛んでいた腹だの腿だのがさらにダメージを受けた。痺れすら感じる。痛さを通り越して、『重い』。筋肉痛なんてご無沙汰だが、あれの数十倍ゴツいのをお見舞いされたみてえ。さぞかし痣も出来まくってることだろう。

延々と寝転がっていてもどうしようもないので、落下音が落ち着いたのを待って、積み重なった本をどかした。些か乱暴な方法を取ったが、状況が状況だ、責められはしねえだろ。

「…っんだってんだ、コラぁ!」

つうか、本が落ちないようにバンドを張るとかしたらどうなんだ、生徒会。テメェらの管轄なんだろうがよ、この部屋はよ。
丈夫なオレや、殺しても死なない壱成みたいなのはともかくとして、例えば女(女でも死にそうにない奴はごまんといるが)が何か取りに来て、ハイ地震、なんてことになったら目も当てられない結果になるぞ。
四苦八苦しながら起き上がり、その動きの所為で全身に奔った激痛に罵詈雑言、それから生徒会――ってか、この場合はアタマがあいつなんだから見目だな――の落ち度にむかついて、さらに罵倒。
あー、ちょっとすっきりしたかも。うん、これで貸し借りチャラだな。鍵の礼に何か奢ってやるか、くらいのことは思っていたが、水洗便所のごとく流してやる。

堆く積もった記念誌の山に、厭な水分を含んだ靴下の足を乗せ、周囲を確認する。壱成は――、おお、埋まっとる。しばらく観察していたら、微かに手が動いて本をどかすような動きをしていたので放置することにした。あれだけ色々喰らったんだから、しばらくまともに動けねえだろ。…オレについても言えることだけどな。

「…あー、ったく…」

この際、シャツは捨てだ。捨て。なので心置きなく、腕でもってがしがしと顔を拭った。
少しは視界が拓けた気分だ。なにせ、布地に付いたピンク色の粘液が糸を引くところまでばっちり見えたからな。
…これで目潰しとかって、どんだけ卑怯大王なんだアイツは。しかも芋蔓式に思い出したけど、スタンガン使ったよな、さっき!やっぱり気絶しねえのかとか、不穏当なことほざきやがって。ダチ相手にやることかよ。まだ腕がびりびりしてるぜ。
単純な馬力だけならまずオレの方に軍配があがるわけで、対抗する為にやむなくっていうのは、百歩譲って理解してやろう。理屈としては。
だが、どうしたって納得の出来ないもんが残る。だって、フツー使うか?これ、敢えて断定は避けたかったけど…ヤる時用のローション、だろ。
正直、二度と壱成とガチの喧嘩はしたくないと思った。今回はいきなりだったから力押しでいけたけど、前フリがあったらあいつ絶対あれこれ用意して掛かってくるだろう。身体はともかくとして、精神の方に癒えない傷をこさえちまいそうだ。

無常感に苛まれ、口にすべき言葉もなく嘆息していたら―――視線を感じた。

(「…あ?」)

首を捻ると、腰を落とした姿勢でお座りをしている月下と目があった。
黒髪は額や頬骨に貼り付き、赤い目尻は決壊寸前、釦が飛んだシャツは裾やら袖やらが見るからに傷んで、俺と同じく再起不能の態だ。その下には巻き付けられた赤い縄が蠱惑的に垣間見えている。いたぶられた膚は透けそうにしろく、手首に付いた索条痕が痛々しかった。
…オレよかさらに酷い。


『僕を、…見るな』


ほんとうに、酷い目に、遭わされたんだ、彼は。
なのに、懸命に見上げる瞳はあまりにも懐かしい色を宿している。

「――……お前、…」

甦るのは、早朝の、膚刺すような寒気に充ちたグラウンドだ。こちらが恥ずかしくなるくらいの賞讃をそのままに湛えた双眸。これほどに、ひとに希まれることがあるものかと、思わせるそれ。

(「…なんか、今更、…だけど」)

壱成の物言いはムカツクの一語に尽きるが、一点だけは認めてやってもいい。気付くの遅すぎだろ、自分。
目の前にいるこの男は、オレのことが好きで好きで、仕方がありませんって、全身で示しているじゃねえの。
でもって、――オレは気持ち悪いとかめんどいとか、塵ほどにも思ってないと来た。むしろ、すっげえ気持ちいい。同時に、息苦しい。咳き込みそうだ。心臓から気管の辺りまで、ぎゅうと詰まった妙な充足感がある。矛盾する二つの感覚に眩暈がする。
思わずまんじりとしていると、月下は居たたまれなさそうに、芋虫みたいに身体を千々籠めた。

(「…マズ、」)

慌てて視線を逸らす。幾ら何でもじろじろ見過ぎだ。彼じゃない――誰だって、見られたくない状況だろうに。一刻も早く隠してやりたい。

…安心させてやりたい。

何か覆うものが必要だ。布、タオル、シーツ…は、ある訳ない。カーテンは如何にも埃っぽそう。制服のジャケット。途中で脱いだやつ、何処やったんだ?きょろきょろと見回すが、あるのはがらくたと本だけだ。役に立つ筈もない。

「アレ、オレ、ジャケット何処に置いてきたんだ…」

クソ。八つ当たりに、足の甲に乗っかっていた本を蹴り飛ばす。お袋にでもばれたらマジでボコにされるような所業だが、今は兎にも角にもこの下にあるかもしれない俺の上着の行方の方が優先である。

「…おい、月下。…あ、しんどかったらいい。返事しなくて」
「……?」

きょとん、とした彼の表情には驚くほど幼い。いつもの頼りなさとはまた別種の、蜉蝣を思わせる雰囲気にこっちが恐ろしくなる。日本語、ちゃんと通じてるよな?壱成の馬鹿野郎の所為でどっかおかしくなっちまってるってことは、ないよな。

「とにかく、そこに居ろ。いーな」

言い置いて、本格的にジャケットの捜索を始めた。最悪、オレのシャツとベストでお茶を濁すって手もあるか。こっちが上半身裸になって周囲から変態の烙印を押される可能性はついて回るけど。
しかし、掻けども掻けども本の山だ。めぼしいものは見あたらない。大体、この部屋に入った時、オレ、上着持ってたっけ?まさか生徒会室に置いてきちまった、とか。

(「あー、いいこと考えた。…壱成のセーフクでも剥くか…」)

この際だから背に腹は代えられん。仕返し代わりには具合がいいかもしれねえ。でも、作業の工程を想像するだけでげんなりするぜ。やっぱ、ねえな。あいつが自発的に脱ぐなら話は別だが。
少し動かしただけで腰が悲鳴を挙げる。それを騙し騙し、山を掘り返していると微かな呻きが聞こえてくる。ドアに近い、闇が濃くなっている辺りで、むくりと人影が起き上がった。

壱成だった。



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