彼我V



(久馬)


「…っ、かっ、は…!」

しろい首に、赤い縄がぎゅっと食い込む。月下の目が驚きと苦悶に瞠られる。
とんでもなく不穏当な発言をした後、実に、まったく、マジで、有り得ないことに、

―――壱成はそれを行動に移しやがった!

「おまッ!こっの…、やめろォッ!!」
「…やめるよ。お前がここを出て行くならね」

絞まったのは一瞬だったらしく、月下はすぐにけほけほと噎せ始めた。申し訳程度にシャツを引っかけた肩が忙しなく揺れた。芋虫のように身を縮こまらせ、懸命に酸素を取り込んでいる彼を、親友は、それはそれは愛おしそうに見下ろしている。

「…っ、」

…あらゆる意味でぞっとなった。壱成が誰かをこんな風に見つめる様を、オレは初めて知ったのだった。
奴の手が、月下の首の後ろに回り(当然、細い体躯はびくりと跳ねていた)、背中へと降りていく。

「よい、しょっ、と」
「!」

獣使いが禽獣を引きずり出すかのごとく、縄が引かれる。月下の上体が唐突に沈んだ。引き摺り倒された、とも言う。後ろ手に戒められていた手首の縄を解いたらしい。
腿と足首は相変わらず括られていて、崩れた正座の要領で、両脚を戦慄かせながら、彼は床へと掌をついた。どこもかしこも、闇を切り抜いたみたいにしろかったが、そのしろい膚を赤黒く染める縄の痕もまた、照明の暗い部屋の中において、オレの目を殊更に射貫く。

「…っふ、っ、あうっ…」

折れそうな腰ががくがく揺れて、月下が小さく呻いた。と、同時に、先ほど以上にぐっと体躯が縮こまった。
湾曲する肩胛骨のあたりを、長い指がやさしく撫でる。そして手つきに倣うように、ざらざらとした声で壱成が言う。

「首締められて、イっちゃったんだね。…えらい、えらい。久馬に見て貰えて、良かったねえ?」
「――――ッ、」

思わず、細い両脚が折り畳まれているその下を見た。見てしまった。
彼は、もしかしたら「見るな」と叫んだかもしれない。魂切るような悲鳴が上がった。
それすら、音としての認識しか、出来なかった。

得体の知れない液体に、半透明の白っぽい滴が混じっている。ふっ、ふっと吐かれる荒い息に、快楽の色は薄い。月下の心情が痛いくらいに、突き刺さってくる。
「消えろ」といつか、彼は言っていた。あれは自分に対する呪詛だったのだと思う。そして、また似たようなことを考えているに違いない。


頭に詰まっているものが、…熔鉄にでもなった気分だ。

「テ、メェ…!」

我慢なんて端っからしてなかったが、その手の忍耐的な代物はすべて消費し尽くした!人をぶん殴るのに適したタイミングがあるとしたら、間違いなく、今、だ。目開けて歯食いしばれってんだ、この野郎!避ける許可はしねえ!
だん、と一歩踏み込んで殴りかかろうとした刹那、オレを真っ正面から見据えたままで、壱成は再び縄を引いた。それも、――勢いよく。

「ぅ、ぐっ…」
「…!」

正拳を突き出す寸前、一時停止を掛けられたみたいにオレは、固まった。制服姿の腰の下で、彼が呻く。ようやく自由になった手でもって、おぼつかない動作で、首を掻きむしりながら。首の皮が、縄に引き摺られて皺になっている。友人がたこ糸みてえに巻き取った部分を弄くると、絶妙な加減で拘束が緩んだらしかった。げほ、げほ、とさっき以上に酷い咳が、垂れた黒髪の下から聞こえた。

こいつ、マジで何考えてやがんだ?!

「ほら、だから言ったじゃない。近付くと、殺すよって」
「…警察沙汰になるような真似だけはしねえと思ってたがな…」

馬鹿だ馬鹿だ…じゃねえ、変態だ変態だと思ってはいたが、ここまで人外行動を取るとは思わなかった。だって、その要領で首締めたらリアルに死ぬぞ。死ななくても、窒息ってのは、脳とかに後遺症が残ったりするもんだ。これ常識。
壱成の趣向はあくまで法律の赦す範囲内で致されるもんであって、目下の状況が遣りすぎの域だってのは、友人のオレをしても明白だ。例え壱成が、同性異性人間外生死を問わずその他諸々どんとこいの悪食野郎だったとしても。

「…俺としては、究極的には真赭が壊れても――死んでても、平気、なんだけどね。俺のものになってくれれば」

とり澄ました瓜実顔を、刃を想起させる冷たく薄い微笑みが彩った。あと少し踏み出して腕を振り上げれば、横っ面を張り飛ばすことも可能な距離だった。だが、壱成は油断無く、オレの挙動を見張っていた。奴の手の中には、他ならない月下の命がある。大袈裟な物言いだと笑い飛ばせれば、どんなにか良かったか。

「知ってる?挿れてるときにね、首締めると、オンナでもオトコでも穴が絞まってさ、すごく」
「聞きたかねえし知りたくもねえよ」

ついでに月下で実演すんな。

「だから、忍にそんなことゆう権利はないんだっての。何度も念押ししたでしょ。で、今更ノコノコとかって、ねえし」
「こっからオレが出て行ったら。そうしたら、月下を放してやんのか」
「え、そんなん約束できないよ」

ねえ、真赭。
甘ったるく呼びかけながら、壱成は、脚を上げて彼の腰目掛けて、降ろした。多分、そこまで力は強くなかったと思う。友人の目的も、月下を蹴りつけることじゃなかった筈だ。

「ふっ、くうっ…、ひぁあっ」

ぶぶぶ、とあの、厭らしい音がした。それから、ぐちゅり、と重い粘液を攪拌するような音も。彼は俯いたまま、堪え損ねた嗚咽を漏らしていた。
…後孔に突っ込まれていた玩具が、押さえ込まれた身体の下でどんなことになっているのかは、あまりにも、明かなことだった。


オレは目を閉じ、―――数歩、後退った。

「壱成よお、ひとつ言うけど。…月下が死んでも壊れても、って、じゃあ、別にそいつじゃなくてもいいんじゃねえの。そんなんなったら、もう、それ、月下じゃねーだろ」

もうあんな風に笑ったり、照れたり。夢中に喋る声を聴くことも、焦がれるような視線で見つめられることも、ない。残るのは、あの細く――でも、確かによく馴染む――からだ、だけ。

それって、そんなに良いことか?

殺す、とか、壊す、とかなんてことは、オレにとっては全く以て、理解不能だ。だって先がねえじゃねえか。何にも。失って、…終わるだけだ。どこがいいんだよ。

「そう、なのかな」と壱成は言った。少し、迷っているように、首まで傾げて。
だけど、本当に少しの間で、…すぐに冷淡な表情が戻ってくる。

「でもね、忍。観念的な話だけど、――――あいするひとのいのちを手に握ってるってことはね、恐ろしいけれど、すごく甘美なことなんだよ。想像するだけで、すごいエクスタシーがある。このひとが俺の自由になるって思うだけで、いくらでも、なんでもしてやりたくなる。どろどろに甘やかすことも、傷付けることも」

掌に小鳥を乗せたことはない?生そのものが掌の上に乗っている。自分の想いひとつで、簡単に握りつぶすことができる。
勿論、可愛いし大人しいから殺したりはしないけれどね、すごく、ぞくぞくするよ、―――って残念ながらねえよ。そんな経験。しかも、リアルにやったら大変だろうが。

「…まあ、どっちでもいいよね。だって俺はきっと、月下がどうであっても構わないだけだから。
それに、忍は頭がいいから、月下が壊されるくらいなら、…俺がケーサツのお世話になるくらいなら、大人しく退き下がるでしょう?」

などと、痛い所をついてきた。
奴の指摘の二点は俺を躊躇わせるには充分な理由だった。…特に、前者は。
自分の主義主張に従って(出来れば他人に迷惑を掛けず)、壱成が教育的指導を受けるのはむしろ率先して勧めたくもあるが、今日をその機会にするつもりはさらさら無い。

深々と溜息を吐き、さらに数歩さがると、壱成の笑みは満足げに深いものになった。
足音で気が付いたのだろう、彼が、顔を上げる。口脣は、腫れたみたいにふっくらしている。目眦や頬は赤く、涙や鼻水や、説明を回避したい謎の液体で顔はべしょべしょだった。にも関わらず、妙な艶っぽさを感じるのは、オレが末期ってことなのか。

「…う、ま…」

(「…いや、違うな」)

水分をたっぷり含んだ睫毛が、やっとのことで上下に動く。黒く濡れた月下の双眸は、疲労と絶望と―――それらを受け入れた上でもなお、こちらへ、
オレへと、向かおうとする執念が、あった。

「…きゅう、まっ…、僕、ぼくは…」
「っ、…なんだよ」

掠れた声に、縋り付くような目に、ぞくりと自分の核みたいな部分が首をもたげる。
全神経に、信号が伝播される。
末期どころか、―――壱成と同じ穴の狢じゃなければいいんだが。

「待って、て…、必ず、はなし、をっ…、―――ふあっ、ひぃッ?!」
「煩い」
「…もういいだろ、壱成ッ!」

機械音が耳に痛いほどに激しくなり、思わず叫ぶ。壱成は容赦なく、足の平を押し付けていた。蹂躙された相手の方は、最早声も無い。このままいったら、目の前で犯す(いやもうほとんどそれと同義なんだが)くらいのことは平気で遣りかねない。

何を突きつけられている訳でもないのに、オレはオーバー・リアクションで、肩の上に両手を掲げ、ゆっくりと後退し始めた。埃っぽい床をスリッパが叩く間抜けた音が響く。

「おら、お望み通り…――出て行くよ」
「おりこうさんで助かるよ」

どこまでも愛想のいい面に後悔の念らしきものは、さらさら無かった。勝ち誇った様子も、ない。つまり友人の感情はあくまでオレではなく、月下にのみ向けられているということだ。ここまで愛されちまって、彼も難儀なことである。
白熱灯の輪から抜け、ないよかマシ、程度の薄ぼんやりした蛍光灯の明かりが照らす下へ後退していく。マネキンみたく、微動だにせずに突っ立っている壱成、それから、もう俯かずに必死の態でオレを見つめている月下。

「おい、月下」
「…、…ぇ」

彼の双眸が揺れる。無意識にだろう、犬がする「おすわり」の姿勢の要領で、僅かに前へとにじり出た。それを一瞥する友人の目つきといったら、ない。あと何語か月下が口にしたら、もしくはもっと前進したら、さらなる見せしめを行うことは容易に知れた。

そんなもん、もう見たかねえよ。


「―――オレは、待たねぇよ」
「えっ…」
「気、短けーからな。…待つのは御免だ」

二人は少しずつ遠くなっていく。照明が弱くなっている辺りだった。
本棚に沿ってさらに数歩、後方へ。ホールドしていた腕をゆっくり、両脇にだらりと垂らして、暗がりの中で遊ばせる。彼が、目を瞑った。きっと声もなく泣いたのだと思う。本当に泣き顔ばかり、させている。


オレは、最大限素早くかつ、静かに埃っぽい棚へと腕を突っ込んだ。指に触れた本を引っ張り出し、予備動作なしに―――ブーメランの要領で、投げる!

「壱成ッ!」
「・・ッ!」

呼ばわった時には、奴の眼前には回転する本、そしてすぐ後に、少しの助走から跳び蹴り体勢に入ったオレが飛び込んで来た。

短気だからな、オレは。だから、今、ここで。ケリなんてもんはつけてやるよ!



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