彼我T



(久馬)


ハンドル式の把手を掴み、取りあえず動かしてみる。確りした手応えが返ってきて、案の定、と鼻を鳴らした。

「…ま、そーこなくっちゃな」

これで開けて見たらもぬけの殻でした、ってことも充分有り得る訳だが、耐火庫の扉の前に立ってからこちら、左脚の感覚が、まるで錘でも付けたみたいにずしんと重い。何かの筋トレかと思うほどだ。試しに少し上げてみる。…単純な筋肉疲労でもなさそうだ。

冷静に考えれば、競技選手として走れるか走れないか、という深刻な問題に発展しそうな案配なのに、さらにもう一段階深いところに感情がシフトしている。
オレの勘では、この扉の先に月下とハコがいる。間違いなく。でもって、あまり歓迎出来る状況じゃないのだとも思う。そっちの方が今は余程、自分にとって大事になっている。
苦笑いをしながら、拳を固めた。

そして、ドアを、


「…っ、っラァ!」


―――殴る!


があん、があん、と金属特有のけたたましい音をたてながら扉は震える。決して八つ当たりなんかじゃない。どのみち入りゃばれるんだ。だったらこっちのイニシアチブで話を進めた方がいい。
もしかしたら使い物にならなくなるのだとしても、商売道具の足を使うのは躊躇われた、なので、拳固で数回、扉を殴りつける。握り具合に気を配れば、身体へのダメージを最小限にしつつ、音だけ派手にすることも可能だ。
これで、あいつも分かったろ。誰が来てんのかってことをな。


念のために耳をそばだててみたが、二重の障壁に阻まれて中の様子は届く筈も無かった。以前、ハコに連れられて来た時だって、取っ組み合いの大騒ぎをやっても、生徒会室は無反応だったから、しょうがないっちゃしょうがねーのか。
前置きは充分だろう。掌で弄んでいた鍵――見目から借り受けたものだ――を、一度握り締めて鍵穴へと構える。かちん、と硬質な音を立てて、錠はあっけなく解けた。

「……」

手前の扉を開き、無施錠だった次の扉も、開ける。黴臭い匂いがむっと鼻に刺さり、思わず顔を顰める。


室内は、暗かった。無明の闇と言っても差し支えないくらいに真っ暗。
先へ行くほどそれは深まっていく筈なのに、奥は、ぼうと仄かな灯りが射しているようにも見えた。覚えのある方向だ。
足元に注意して段差を降りる。スリッパのたてる足音がぺたぺた響いた。
確かここらへんにあった筈だ、と記憶に従って壁へと手を這わすと、ほどなく、滑らかなプラスチックの感触が伝わってきた。迷わずスイッチを押し込む。

真空管がじりじりと鳴く。点いた蛍光灯のひかりは大層弱く、暗がりに慣れた目にも大した刺激じゃなかった。
眼前の光景に比べたら、大抵のものは動じる対象にもならなかった。



何つうか、理解は初っぱなから放棄だ。
どこから説明したもんだか、…手のつけようがない。

「…―――壱成…、テメェ」

頭の中にドライアイスの塊を詰め込まれたみたいだ。冷たくて、熱い。
火傷しそうなくらい。皮膚の内側が焼けて、黒く焦げ付いていく。

「…何だよ」と、至って平静な声音で奴は言った。
「今更のこのこ来て。―――何の用?」


親友は、かつてオレと話した時と同じように、机にもたれ掛かってこちらを見ていた。
眼鏡を外した双眸は爬虫類的な冷酷さを帯びている。すらりとした体躯はおなじみの、スタンドカラーのシャツに、上から黒いベストを纏い、ボウタイを締めていた。下は灰色のスラックス。退屈そうに革靴を転がす足。全身、常態だ。何処か飽いた風情のある表情までもが不自然なまでに変わらない。白柳は、肩を竦める動作すらしてみせた。

…異常な有り様になっていたのは、奴の隣でぐったりと頽れている、彼の方。

電球の、ぼけたひかりで照らされた彼の体躯は現実味を失わせるくらいに細く、そして、打ちのめされていた。
白いからだにはぼろぼろのシャツがお情け程度に着せ付けられていて、有り得ねえことに、その上から赤い縄が巻き付いている。両脚の先には校則指定の靴下があったが、先にあるべき靴は見あたらなかった。着衣と呼べるものは、シャツと靴下だけだったのだ。

衣服だけじゃない。強制的にとらされている姿勢はあまりに屈辱的で――、でも、扇情的で。怒りが先行していなかったら、俺の裡に仕舞い込まれている欲が鎌首をもたげたに違いなかった。

「月下ッ?!」

自分が、想いを傾けている相手が。
欲情の矛先を向けちまっているかもしれない奴が、他人の嬲りものにされている。股を開かされ、下肢を晒して、そこを、ぐちゃぐちゃに汚している。そんなの、まともに受け入れられる眺めなんかじゃねえ!


「月下ッ、…月下ァ!」
「…っく、…ぁ、きゅ、う…ま?」


濡れた黒髪が弱々と持ち上がる。やっとの様子で首を持ち上げた彼は、たっぷりと潤んだ瞳でオレを見つめた。肚のあたりがぞくり、と震える。何が理由かは分からない。詳しく解析したいとも思わない。滑るスリッパで数歩、歩み寄りながら、なおも月下を呼んだ。

「おい、大丈夫かよ、…こっち見ろ!」
「…だ、…駄目、だ…。…んぅ、ぼくを、…僕を…み…、る、な」
「馬ッ鹿、何言って、」
「すぐ、…すぐ…、っあ、すぐっ、だからっ…!」

縛られた両腕を擦り寄せるように、彼は身を縮込めた。ひくん、と感じ入るような仕草に、低く唸る機械音の場所を探り当てる。眼裏が、一瞬にして赤くなった。


「――――――!」


男の、性器を模した、悪趣味な色と形状のモノが、月下の尻を犯していた。薄い腹が機械の振動に呼応してぶるぶると震えている。無遠慮な突きに、感応しているみたいにも、見える。周りにくっついてる白い飛沫はなんだ?…自問せざるを得ないのは、一種の自衛だ。本当は、分かってるんだ、アレが何なのかってことは。

「――ア、」
「!」

苦しげに仰け反ったと同時に、彼の牡がふるりと揺れた。頼りない灯りでも、一瞬、蝋のような身体がふわりと朱を孕んだのが分かった。

「…っは、や、…いや、…あっ、」

艶めかしい溜息と共に、とくとくと、ソレの先から半透明な液が零れて、また腹を汚していく。ばらけた前髪の合間から覗く目眦は、紅を刷いたごとくに赤く染まっていた。そして、俺を視界からはじき出すようにして、目蓋を下ろした。

呼吸の仕方を忘れそうだ。いや、いっそ喉など熱で貼り付いて二度と開かなくなった方が良かったのかもしれない。出るものと言ったら、―――すべて罵声か、叫びだ。

(「違う、」)


怒鳴るのは、後だ。一番初めにやらなきゃならないことがある。


「…壱成、…放せ。そいつを」


血流と共に全身に回った憤怒は、もう、そのままでいい。頭にキ過ぎて、まずい薬でも飲んじまったみたいに意識はクリアだ。

とにかく、月下を助ける。
ここから、連れ出す。

餓鬼臭く暴れるのも、当たり散らすのも、オレの業じゃない。だって、彼はもっと辛い。辛いなんて言葉じゃ表現できないくらい。

「今すぐ月下放せって言ってんだよ。聞こえねーのかよ」
「…『そこ』にずっと立ってるならさ、手出しすんなって言ったよな」

親友は淡々と言った。小さく喘いで、頼りない吐精を続ける恋人を愛おしそうに見下ろしながら。

「それから…、俺が自分のもん、盗られるの絶対認めないってことも、分かってるよなあ、忍」

飴色の革靴が暗がりからふっと浮き上がる。そうして、踏んだ。月下の、イっている最中のペニスを。

「壱成ェ!」
「っぁ、はぁんっ!」

小ぶりのそれは、靴底の下でくにゃりと潰れた。おそらくは軽い力で踏んだのだろう、とは思う。そうでなきゃ、あんな甘い声が出る筈がない。
床に薄い精液が散る。俺の爪先の、数センチだった。

「…いい声で啼くよね…」

長い指が、後ろ向きに反った喉を弄うように擽る。白柳の声には情欲と、感嘆が入り交じっていた。橿原ですら、気付いたコイツの変化だった。

「それに、奇麗だ。とっても。忍が来て、余計に感じてるんだよ。罪悪感と羞恥心でいっぱいでさあ。
…案外と、お前、来ちゃって良かったのかもな。真赭、もっとアンアン啼いてくれそうだし、ケツの穴も随分こなれたみたいだし」
「月下はテメェんじゃねえ。だから、テメェの遊び相手みてえにオモチャにしていい奴じゃねーんだ。…大体、恋人だってのも、お試しだったんだろーが、アァ?」
「あんな約束、端っから反故でしょ。分かってたろーよ、お前こそ」

そうだ、オレは知っていた。
ハコが、…壱成が、本当に執着したら、おためごかしの約束くらい幾らだって取り付けるだろうってことをだ。

「だからって、テメェは好きな奴にそーゆーことすんのか?教師騙して、拉致って、…強姦かよ。全く大した彼氏じゃねえの」

壱成の目を睨み付けながら、ゆっくりと進む。後、数メートル。
照明の暗さで隠されていたところが段々と明かになってくる。月下の肌が、締め付けられて腫れていること、口の端についている粘液の色、
―――半ば閉じかけられている双眸のひかりが、思ったよりも力を失っていないこと。頼りなのは、自分の膂力よりも、むしろそっちだ。
頼むから、月下。オレが、お前の手を掴むまで、保ってくれ。


「だって、俺は。本当に好きな奴のこと、…こういう風にしか扱えない」


寄りかかっていた机から身体を離し、親友は彼の両肩へ手を掛けた。月下はされるがままで、くたりと重心の掛かる方向へ傾ぐ。青白い内股が戦慄いているのが分かる。Mの字に開脚させられているそこを、必死に閉じようとしている。…どろついた感情の受け皿になっちまってる歯が、欠けそうだ。

オレの視線を、緩慢に瞬きをすることで躱しながら、壱成は戯言を吐く。

「―――隠しているところを全部暴いて、汚いとこ晒して滅茶苦茶にして。隅から隅まで俺に見せてもらって。痕のないとこがないくらいにしるしを付けて、余計なことなんて爪の垢ほども考えないようにしてやらないと、
…考えている間も、俺がその思考をすべて食ってやんねーと、駄目、なんだよ」

お前の性癖をどうにかするつもりは今も昔も毛頭ねえよ。だとしても、

「…そいつは、テメェが食い散らかしていい相手じゃない」
「忍が決めることじゃねえ」
「いーや」とオレは言った。「いいんだよ、オレが決めて」

もう一歩で、二人に触れられるところまで来て、足を止める。月下を見下ろし、友人を見遣った。力ない動作で、月下が小さく首を横に振った。見るな、ということなのだろう。人間としても男としても、正視されたくない姿だろうが、一点だけはこの変態野郎に同意する。神経が場の雰囲気にあてられたんじゃなければ、壱成の言うように、彼には奇妙なうつくしさがあった。
死の匂いがする、と思った。親友の、希みの先の。
だが、オレはそれを認めない。例え、天地がひっくり返ってもだ。


指で、示す。


「そいつはオレが好きだ」
「…、…っ」


愕然と目を見開く月下とは対照的に、壱成は黙りこくっている。なので、オレは残りの台詞を続けた。


「で、オレもそいつが好きだ。つまり両思い。相思相愛」
「…っは、…ぅ、っ…?」


嬉しすぎて過呼吸とか起こすなよ、月下。
こいつの目の前で告白とか、常識じゃ有り得ない行動だが相手が非常識なだけに致し方あるまい。それに、プライド可愛さにしくじるのはもうやめだ。
これ以上ないほど、寄り道をして、話を延ばした挙げ句、ひとを傷付けた。だったらもう終わりにしたっていいだろう?



「だから、壱成。テメェの出番はこれにて終了だ」



だが、どうしたってジ・エンドにしたくない奴が一人いた。勿論、オレの親友だ。

腰を折り、驚愕に身を強張らせている月下の、その首を撫で、絡まっている縄を優美な仕草で取り上げる。まるで薄い絹か何かで出来たドレスを掬い上げるかのように。
切れ長の目が、斜め下から俺を見る。奴はこう言った。


「今すぐここを出て行かないと、…真赭を、ころすよ」




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