羅針と鍵U



『向かいの―――の鍵を貸してやってくれ』
『ほいよ。鍵、寄越せ。―――で、話そう』


差し出される手と、手。そして、月下が、まともに俺の名前を呼んだあのとき。


「…たいかこ…」
「えっ、」
「鍵…貸してくれ。…―――耐火庫の鍵を!!」

そう、そうだ。
月下と放課後話す場所の、候補の一つだった。あそこなら、邪魔が入らない。声も二重の金属扉に阻まれて外へ漏れることがない。鍵だって、掛かる。以前の見目の口調を推し量るに、生徒会執行部員には馴染みの場所なのだろう。内緒話にうってつけだと思いつくくらいには!

唐突に気勢を荒げた俺へ、会長は当たり前にぽかんとしていた。そりゃそうだろうなあ、と冷静な自分が嘆息していて、でも、現実の自分は見目のカラーを掴まんばかりに詰め寄っている。

「貸せって…何でだ」
「何でもクソもねーんだよ!緊急だって言ってんだろーが!」
「いい加減にしろ久馬!いきなり来て訳の分からないこと言って、…自分は何をしても赦されるとでも思っているのかッ!」
「んなワケねーだろ、やれってんなら土下座でもなんでもするわ!だからとにかく、鍵出せってんだよ!」

怒鳴れば怒鳴るほど、焦りが増してくる。同じだけ、推測に誤りがないのだという実感がじわじわと沸いてくる。すると馬鹿げた行動だと分かっていても、一度振り上げた手を降ろせなくなってしまう。あいつも、似たようなことになってなきゃいいんだが。
首の根元――急所に手を掛けられ、揺さぶられても、会長は驚きはしたものの、怒ってはいないようだった。俺の手首を掴み、存外に真面目な目つきで見返してきた。

「土下座の安売りはやめておけ、久馬。第一あれはそんなに勧められたもんじゃない。相手が俺では効果もない」
「…分かってる」
「理由を話してくれ。そうすれば、考えなくもないが…」

残念ながらそんな猶予はない。第一、話せるような内容でもない。妙にちらつく映像は、ハコの部屋にあったふたつの画だ。

(「…おいおい、勘弁しろよ…」)

まさか、流石にそこまでは。けれど。と、解き掛けの糸に震えが奔っていく。
水葬された女と、切り離された男の画。あいつにとっての、うつくしさの在処。


「けんもくせんぱい」

テノールにしてはやや高めの、やわらかな声がするりと入り込んでくる。会長の目線が下へ移った。高遠も。そこにはあの、小柄な一年坊主が居た。腰からこぼれ落ちるウォレット・チェーンを指で弄くりながら、意を決したように見目を見上げる。

「そのひと、…なんか急いでるっぽいです」
「そのようだな」と見目。
「…鍵、貸せませんか」
「…トヨ?」とキリン男が訝しげに言った。
「誰、探してるんですか。…俺たちのこと、助けてくれた、…あのひとのことですか」

これは俺に対する質問だ。黙って、頷く。
チビ――トヨ、と呼ばれた男は、もう一度見目を見遣った。透徹とした目。何故か年にそぐわないと思った。落ち着きか、諦念か。分からないけれど、確かめようとよくよく見たら、何のことはない、単に色味が薄いだけだった。とりなしが非常に有難いのは事実だが。

あの見目が、鉄血宰相、ならぬ「鉄血生徒会長」などという、本人不本意の仇名が付いている男が、身を翻し、壁際のキー・ボックスの蓋を開けたのだから。

「見目!」

会長の動きが止まる。悲鳴混じりの批難――高遠にほだされたわけでは、無かったらしい。じゃらり、と音をさせてぶつかりあう鍵の先を掬い上げ、目当ての場所が空であることを知ったからだ。

「…ない」
「誰か、使っているのか…?」と副会長。奴の口調からして、イレギュラーな事態だと分かる。

俺は高遠を押しのけ、次々とキー・ボックスを開けていく見目の手元を覗いた。奴はざっと視線を走らせ、小さく「妙だ」と呟いた。

「文献検索の時くらいにしか、使わないんだ。もう整理はついた。立ち入ることもそうは無いのに」
「…内輪話をするとき以外は、だろ」
「……」

沈黙はおそらく肯定だ。俺は踵を返した。

「どうするんだ」
「鍵、開いてるかどうか見に行く」

多分開いていないだろうがな。

「で、開かなかったらぶち破る」
「…耐火庫、という言葉を意味を理解して言ってるんだろうな…」
「当たり前だろうが」

それでも、何とかしねーと駄目なんだ。このタイミングは逃しちゃいけない。絶対にだ。一歩踏み出すと、接地するにも上げるにも、左脚が呼応するかのように疼いた。今はこれだけが確かなんだ。


「―――久馬」
「……っ?!」


耳の脇でひゅ、と風を切る音がする。咄嗟に、掴んだ。掌の中に硬い感触があった。プラスチックと金属が擦れて、それはちゃらりと軽く鳴き声を上げた。

「…これ、」
「お前には間接的に借りがあるからな。御陰でひとつ、部を潰さずに済んだ」

まさかと思いつつも、握った拳を開けば、「生徒会マスター」とマジックで書かれたタグがぶら下がっている。

「スペアがある訳なかろうよ。古い部屋だ。…それは、マスターキーだ。失くしたら、説教じゃ済まされん」

…言葉もないらしい痩せぎすの副会長の、肩を軽く叩いて、見目は朗らかに言う。

「だから必ず返してくれ。返さなかったら、卒業まで生徒会の為にただ働きして貰う」
「…卒業って、…お前その前に引退だろ」
「俺が引退しても働いて貰う。引き継ぐさ」

考えておく、と述べるに留めて、会室の扉へ向かう。手にした鍵は急速に温かくなっている。まるで俺の焦燥を吸い取るかのように。

「おい、…トヨ」

びくり、と身を震わせ、あの普通科生は恐る恐る俺を見たようだった。先ほど妙に大人びて感じたのは、やはり気の所為だったらしい。どこにでもいる、何の変哲もない男子高校生。しかし今の俺には救いの天使にも等しい。

「ありがとよ」

礼を言うと、彼は少し考えた後、口脣を舌で湿らせてから言った。

「俺は、あんたじゃなくて、あのひとに借りがあるから。…それから、名前呼び捨てにしないでください」
「次に機会があったら善処するよ―――サイトウ、トヨ」
「!」



サイトウがどんな反応をしていたのかは、最早知ったことではなかった。扉を閉め、会室を背にした俺の意識は、既に耐火庫へと向かっていたからだ。



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