邂逅



(月下)

信じられない、と思った。
そしてすぐに僕は己を嘲った。

そうだ―――これが、赤い糸のちからだったんだ。


身をもって体験するとはまさにこのことだ。意味不明、問答無用の引力。他人に降り掛かっていたときは興味深く見ていたけれど、いざ自分が引っ張られると驚きだ。
偶然ならいい。心に決めた通り、久馬に関わらないようにするだけ。でももし、糸のちからなら、僕の抵抗は蟷螂の斧よりも貧弱に、潰されて終わる。


校外研修の班がなかなか決まらなくて、担任に心配されていたのは知っていた。人付き合いをなるべく避けていたのだから、当然の帰結だろう。
でも、うまくすれば一人で回れるかもしれない。担任の剣菱先生はとてつもなく淡泊な老教師で、努力に情熱、結束、といった類いの単語とはおよそ程遠いひとだ。案じられてはいたが、無理矢理何処かの班に僕を突っ込む感じじゃなかった。だって「先生も月下君と浅草ぶらぶらしましょうかねえ。たいやき美味しいみたいですしねえ」なんて言ってたくらいだから。

それが、急転直下、久馬のグループに入る話になったものだから、驚愕を通り越して呆然となった。


剣菱先生と僕とはよく社会科準備室でお茶を飲んだり話したりしていた。部活の副顧問というのが建前だったが、それ以上に、クラスで浮いている生徒を見かねてのことだろう。居心地のよさに甘え、部活の有る無しに関わらず僕は準備室に入り浸り、先生も特段、咎め立てはしなかったのだ。
ある日の昼休みも、いつも通り準備室で油を売っていた―――先生が切り出す機会を狙っていたことも知らないで。

それがすべてのはじまり。

「白柳君とは仲良しですか」
「…え?」

唐突に出たのは久馬の親友の名前だった。人懐っこい、彼と同じ人気者の同級生。どちらかといえば、より優等生タイプかも。

「きみはよく、白柳君と話しているね」
「よく、ってほどじゃ…ない、です」

それでも確かに、うちのクラスにおいて一番会話をしている相手だ。席が近いわけでも、部活が同じわけでもない。
唯一の共通点は中等部からの持ち上がり組ってことくらいだけど、そんなやつは教室の中にうじゃうじゃいる。
なのに、白柳は僕へ必ず声を掛ける。朝に夕に、二回。一度もオーケーしたことないのに、繰り返し昼飯に誘ってくれもした。彼がそんな風に接してきたのはいつからだったろう。春は違った。…夏か?きっかけも時期も不明だけれど、思い返す必要がないくらいの、事実だった。

「そのハコヤナギくんなんですがね」
「…っあ、はいっ」

頂いたお茶を抱え込んだまま、ぼんやりしていた僕は飛び上がるほど驚いた。先生は顔の皺を深くして笑う。眼鏡の奥の瞳は優しくこちらを見ている。

「もし君さえよければ、白柳君の班に入らないか、と言ってましたよ」
「……え」
「少し話す機会がありましてね、浅草班のことで、月下君はどこのグループだろうかと、彼が聞いてきましてね」
「そんな…」

そんなこと、先生に聞かなくても知っていた筈だ。クラスの全員が分かってる。僕はどこの班にも属していない。

…いや、もっと重要なことがある!

「先生、あの、は…白柳君の班って」

―――久馬の班じゃないのか。

「学年最大の大編成部隊ですね」と剣菱先生はちゃかす。「部隊長は久馬君で、副隊長が白柳君といったところでしょうか…」
(「…やっぱり…」)

誰とでも仲のいい久馬だけれど、本当に、そして一番の親友は白柳なんだと思う。例えば同性でもあの二人に赤い糸が介在していたら、僕は納得しただろう。絵面としても存在感の点でも釣り合いが取れている。

「……」

思わずスラックスの膝小僧を掴んだ。生地を通して爪が突き立ったが構わずに力を込める。


「…わたしはねぇ、月下君」
「……」
「きみとぶらぶらするのは、もうちょっと先まで取っておこうと思ったんですよ」
「……?」
「白柳君と話してね、ああ、月下君から大切な機会を奪ってしまうなあ、と気付きましてねぇ」
「…ぼ、くは、先生と行った方が…」
「楽ですねえ」
「!」

ばっさりと切り捨てられて、僕は流石に顔を上げた。先生はいつもと同じ、少し遠くを見るような表情だ。

「でも楽なのと楽しいのは、違いますねぇ。わたしは月下君がいいなら、他の先生に掛け合ってもいいって、ほんとうに考えていました。…そうしたら、白柳君に怒られてしまいまして」

―――先生がそんなこと言うから、あいつ一人でいいって言うんですよ。

「まあ、そりゃそうですよねえ」と先生は呟くようにして言う。そうして、「……さて、月下君」
「…は、はい」
「わたしが、今日、ここでお話したのは、白柳君がきみを誘ったときに『先生と回る約束をした』と言い逃げないためです」
「………」

―――確かに、僕が言いそうなことではある。

「近い内に白柳君から話があるかもしれません。そのときは、少し考えてみてください」

何を、と明確に言われなくても分かる。先生は白柳の―――久馬のグループに入ってみないか、と言っているのだ。
僕は呆然とし、それから驚き、焦った。何としてでもこの話は回避しなければならなかった。気持ちに急かされて考えが纏まらない内から勝手に口が開く。

「…い、厭です」
「ああ、そうなんですねえ」

先生に全く動じた風は無かった。多分、予想通りの回答だったのだろう。

「しかし、何故ですか」
「き、久馬が…久馬くんが…」
「はあ」
「……久馬君が、キ、ライだから、」
「………」

せめて苛められてます、くらい言えたら説得力があったかもしれないが、流石に相手を陥れるような嘘は憚られた。彼にとって、僕はそういった対象にもならないくらいの、塵以下の存在だから。
しかも言っておきながら、僕はものすごく後悔した。咄嗟に口にした言い訳としては最悪の部類だ。友人が居ない癖に、この子はぜんたい、何なんだろうと思われたに違いない。
剣菱先生は大切な、心許せる相手だ。幻滅されたり軽蔑されるなんて、想像しただけで死にたくなった。
全身から血の気が退く感覚を味わいながら、先生を呼んだ。喋ることすら覚束ない。厭だ。僕は弱い。もっとしなやかに強く、例えば『彼』みたいに在れたら、


「…驚きました」
「…え、」



ぽかんとした顔をして見上げたら、先生は僕と似たり寄ったりの顔をしてこちらを見ていた。事務机の椅子にめいいっぱい背を預け、まるで絵描きがカンヴァスにするように距離を作った。とても、興味深そうにして。


「…きみがものの好悪を言うのを、初めて聞きました」




―――僕は今、自分で「嫌いだ」と評した人の後をついて歩いている。黒く広いジャケットの背中をひたすらに追いかける。

「クソ柳、あいつ何考えてやがる…!」

罵倒する彼の表情は分からない。それでも、そのすべてに釘付けになった。
暗い茶褐色の短髪が勢いに合わせて揺れている。ストライドは広く、大して身長差もないのに置いていかれそうだ。

(「…なんてきれいなんだろう」)

見惚れてしまう。白線の間際を駆け抜けた姿と被って胸が締め付けられるように痛んだ。

このひととは離れていなければいけない。惹かれているのなら、…憧れて、いるのなら、尚更だ。彼の為に僕が出来ることは唯一、離れることだけなのに。


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