カンパネラ



(久馬)


ハコほどじゃないが、俺も随分喋り過ぎだ。御陰でリピート再生のスイッチがぶっ壊れてしまったらしく、5限、6限の時間をたっぷり使って、先ほどまでの醜態を延々と思い出し続けている。
基本的に俺の辞書に後悔の二文字はないのだが、今日ばかりは撤回すべきかもしれんな。何せ、恥ずかしさのあまり、勢いあまってトイレの扉を回し蹴りしてしまったんだから。あれでドアが外れて、中から月下が出てきたらどう始末を付けるつもりだったのか。残念ながら思いつかねえよ畜生。
人間に当たるのはともかく、物に当たるのは良くない。抗うことが出来ないから。第一俺は、抵抗出来ない奴に当たったりはしない。ちゃんと人選はしている。例えばハコや十和田なんかはうってつけの好人材だ。粘り強さといい、気色悪いまでのタフさといい、最高。

「…どうしたよ久馬」
「あー?」

隣に座る橿原は、組んだ脚を揺らしながら、むっつりと黙りこくっている俺を苦笑った。選択音楽の時間は、目下、ビデオ流しっぱなしという剣菱的やる気の無さで消費されている。急遽、担当の教師が欠勤とかで、自習になってしまったのである。…まともな授業じゃなくて助かったぜ。

「心此処に在らず、って感じだな」
「…放っとけよ」
「ああ、…うん」

周囲の面子の中でも抜きん出て大人びていて、卒のない男だ。俺の機嫌をきちんと読み取って、それでも、興味深そうな目で時々こちらを見ている。確かに俺は短気だし、すぐ手が出るが、長々と苛つきを表に出すことは、そうはないのだ。

ローマ劇場のような扇形の恰好をした教室に物悲しい音が響いている。正面のスクリーンではヴァイオリン職人がせっせと楽器の胴を赤く塗っているところだった。刷毛で丹念に塗られているその色は、彼の妻の血だ。ジャンル的にはホラーじゃなくてヒューマンドラマだと言うのだから恐れ入るぜ。

「白柳あたりが好きそうだな」

女の裸(あくまで芸術的に)が出てくる度、ぎゃあぎゃあと喜ぶ馬鹿の塊に溜息を吐き、橿原は独り言のような、そうでないような口調で言った。彫りの深い横顔に、くっきりと陰翳がついている。奴の態度に捨て置く気配が無いのを知って、俺もこれ見よがしに嘆息してやった。

「あの、血液塗ったくるところとかな」
「愛の形ってやつだろ。…俺には理解出来ないけどな」
「俺も、そういうのはねえな」

我が親友の趣味が全体的に問題多数ってことを、こいつは知っているのだ。橿原も日夏の中等部出身で、しかもハコとは昔から付き合いがある。時間だけなら俺よりも長い。

「最近お前らが揉めてたのって、月下のことなんだろ」
「……」
「別に詮索するつもりはないけどさ、」と橿原は弁明するように付け加えた。「…久馬が誰かをシカトするなんて、前代未聞だったし」
「そういうのが既に詮索って言うんじゃねえの」
「…まあ、…分かってる」

うおおおおお、と雄叫ぶ声が一層激しくなって、何かと思えば、女の上に跨りながら、長髪の男がヴァイオリンを狂ったみたいに弾き鳴らしている光景が幕いっぱいに映っていた。おいおい、これ教材に遣っちまっていいのかよ。オカズとしては大したもんじゃないが、騒ぐタイプの連中には恰好の餌だろうに。

「……」

浅黒い女の膚がびくびくと波打っている。顎が上がり、癖のついた豊かな髪は艶めかしさ以上に、不安と狂乱を予想させた。重い吐息はスピーカーで拡声され、こちらの腹を揺さぶるようだった。ここには居ない誰かさんの影に姿が重なり、俺は反射的に顔を背けた。必然的にかち合ってしまった橿原の白目の部分が、映像の光を浴びてつやつやと光っている。

「収拾、着きそうなのか」
「…誰に聞いてんだよ」と吐き捨てる。余程、その話題に触れたいらしい。「…俺が出張ってんだ、何とかなるに決まってんだろ」
「俺は、月下のことは心配してねーよ」
「―――…は?」

自分のものながら、芯を欠いた声だった。橿原は殊更にゆっくりと喋った。まるで、形をとった言葉が、本質とずれることを避けるかのように。

「久馬に対してならともかくさ、…白柳が他人に対してあそこまで入れ込んでるのって初めて見たから。大丈夫かな、って思って」

―――白柳が。

「大丈夫か、って…。……なんだ、そりゃ」

よりにもよってハコに対して「大丈夫か」なんて、そんなの、愚問だ。すぐに返そうと思った答えが、妙なことに喉から先に上がっていかない。

例え殴り合いの喧嘩をしたって、あいつは翌日には切り替えてきた。何でもないように笑って、だから、俺もそれを受け入れたし、自分も同じく無かったことにした。冷静になれば処理できる諍いごとなんて、大したことじゃねえから。
確かに城崎を初めとして、ハコと気の合わない奴は、少しはいる。でも、そんなの当たり前だ。ハコから噛みつくことなんて皆無に等しく、大概が一方的なやっかみで、友人はいつも冷笑でそれらを蹴散らしていた。興味のないものに対する奴の態度は、ある意味、俺以上に酷い。
目に見えて動く白柳の感情は表層のもので、あいつのほんとうは、冷え固まった溶泥のように底に沈み込んでいる。俺と遣り合うときはそこが少しだけ、融けるのだ。…融けて、また、元の形に戻る。
橿原は言った、

「だって何かあいつ、最近、楽しそうだったし。久馬と居るときとはまたちょっと違う感じで、…その、…なんて言えばいいかな…」
「――…浮かれてる」
「そう、それだ。…『浮かれてる』。」

同級生は納得したよう首肯している。角のはっきりした、理知的な顎が頷く様を、俺はちりちりとした焦燥感に炙られながら見た。

「俺、こないだ比扇の車で帰った時に見たんだ。白柳が、月下を車に乗せてやってるのを。ドア、開けてやって、中に入れて。で、そん時に首突っ込んでさ、…キスしてた」
「―――」
「月下の顔は見えなかったけど、白柳、すっげえフツーに笑ってて。あ、こいつこんな風なカオすんだな、って思ったわ。つうか、吃驚した。中等の時からつるんでたけど…違ってたんだ。…うまく言えないけど。…でさ、久馬」
「あんだよ…」
「この間のホモ発言、…あれ、一般論じゃないんだろ本当は。俺、ちゃかしたけど、…本当は違うんだろ」


『…好きになった奴が好みだから、俺。もしそいつが男だったらどうしようもねーじゃん』


橿原は、輕子とキノの暴走を止めるべく、俺が割って入ったときの台詞を蒸し返し出した。周囲が映画に夢中なのを良いことに、威圧を隠しもせずに低い声で唸る。

「…違ったら、どうだってんだよ」
「キノが、電話してきて。纏が…輕子が、面倒臭いことになったらアレだから、あいつが埜村に告られたこと言うなって。そんで、…久馬がああいうこと言ったのも、黙ってろって」

城崎め。…余計に面倒なことしやがって。あいつは良かれと思ったことが思いっきり裏目に出るタイプだよな。しかも本人よりも周囲に被害が出る、より面倒っちいタイプ。

「久馬がホモ云々って言ったとき、初めは白柳を庇ったのかって思ったよ。…で、次に月下を庇ったんだって思った。でも、」
「でも?」
「今は正直よく分からなくなってる。…お前が、本気だったってこと以外は」
「…橿原よお」
「……、」

俺は手を伸ばし、喉元をきっちりと留めている、奴のネクタイを掴んだ。橿原の張った喉仏がごきゅり、と動く。
努めて穏やかに、クールにと、己に言い聞かせる。そうでなきゃこの男前に頭突きをしてやりたい欲求が抑えきれない。むかつき半分、…モヤモヤが解消した喜び半分だ。

「俺がああいうこと言ったら、例えでも事実でも、百パー本気なんだよ。…覚えてろよ」
「…あっ、…ああ…」

さっきとは打って変わって、ぶんぶんと激しく頷く橿原に笑いかける。失礼なことに、奴はひっと声帯を震わせた。お前は月下か。

「ごめんなさいってゆえ」
「…ご、ごめん…」
「分かればいーんだ分かれば。でも、まあ。礼は言うぜ。目から鱗が若干取れた」
「――えっ?」

つまりは、橿原がそうと悟るくらいに、あいつの行動は分かり易く――正しく変化していることを、俺は、今更ながら気付き始めていた。



あらゆる意味で濃密な二時間が終わり、授業開始の葛藤が僅かに解消した俺、そこそこ疲弊した橿原及びその他大勢は教室に帰還と相成った。美術と書道クラスの奴らも戻ってきて、少ししない内に担任が現れた。
ホームルームが終われば(俺も月下も今週は清掃当番じゃないのだ)、約束の放課後である。何処で話をするか、そういや決めていなかったな。うってつけなのは社会科準備室のあの部屋だけれども、話の内容が内容だから、まさか剣菱に貸してくれ、とは言えない。この教室でなんて言語道断だし、部室も駄目だ。大体俺、今日練習休むんだし。

「あ、」

そうだ、あそこにするか。見目か高遠か、…それこそハコを連れて行けば軋轢なく借りられるだろう。流石俺。冴えてるぜ。
冴えてるついでに、先ほどからひとつ、不審に思っていることがある。前述の通り、既に剣菱は教卓についている。教務日誌をぺらぺらと捲りながら、分厚いレンズ越しに生徒の頭を念入りに数えている。

「おい、キノ」

前の席に据わっていた城崎が、弾かれたみたいに振り返った。俺は後方の座席二つを顎で示した。

「お前、書道だよな。…月下はどうしたんだ」
「…なんでオレがあいつのこと把握してなきゃいけねーんだよ…」
「質問にこ、た、え、ろ」
「あいたたたた!」

額と顎をそれぞれ手で上下に引っ張ると、猿顔が垂直方向に伸びる。ははは、面白れえツラ、――とか、楽しんでる場合じゃなかった。

「な、なんか、…居なかった!」
「…ハア?」
「だから、居なかったんだってば!」とキノは引き攣った声を出した。「月下、二時間とも休み!保健室か何かじゃねえの!」
「……安納」
「…えっ?」
「ハコ、選択美術出たか」

俺らの遣り取りを間抜けた顔で見ていた安納が、僅かに背を逸らす。どんなに押さえ込もうと思っても、根深い焦りが蓋を押し上げる。それが外に出ちまってるんだ。橿原と話していたときに感じたそれは、どんどん色を濃くしていく。


「や、休み、だったよ…」


瞬間、思考が真っ黒に塗りつぶされる。チャイムが鳴る筈の無い教室で、俺は確かにその音を聞いた。


警鐘だった。



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