進針



(久馬)


浅草行きを数日前に控えた、ロング・ホームルームの時間。
授業をぶっ潰して事前説明を受け、教室に戻ってからは各班で予定の確認やら何やらをしている。例によってやる気のない剣菱は、通り一遍の話をした後、教卓で日誌のようなものを付けていた。ここまで放任主義だといっそ清々しいほどだぜ。

「おら、てめぇら聞いてんのか。集合は九時に河浦駅だからな、先に単独で東京駅とか行ってんじゃねえぞ」

何故俺がこんな教師みてえなことを言わなきゃならんのだ、と思いつつ、大集団になってしまった久馬班の面子を睥睨した。人徳も手伝って概ね真面目に聞いているのだが、数名心ここにあらずといった奴らが居る。大抵そういう奴に限って「やるんじゃねえ」って言ったことをやるものだ。刺せる釘は今の内に刺しておこう。

「コラァ、十和田ァ!」
「ひっ…な、何だよっ…?!」

チャラ男一歩手前で踏みとどまっている、ふやけた甘いマスクの馬鹿を怒鳴ると、十和田は携帯電話をがちゃんと取り落とした。床に転がった携帯の液晶には、揺れる裸の女の画像が映し出されていた。俺よか高い背を屈め、携帯を取るか俺を見るかで混乱を来している。この万年発情期め。

「他ん時はどうでもいーから俺が話してるときは聞けって言ってんだろーが。今度やったらテメェのケータイのバッテリー、膨らませて破裂させんぞコラ」
「それ、地味にダメージだから止めて…つかどーやってやんのよ久馬?!」
「そんなに知りたきゃ、今度実地でやってやるよ…、うぉいハコ!」

親友は十和田の携帯を持ち主よりも早く拾い、無音の世界で喘ぐ女をまじまじと眺めていた。例によって、取り返しが付かないくらいすべりまくったギャグを聞いた時、みたいなツラをしている。俺にしてみりゃハコ自身の言動の方が、余程にこんな顔に相応しいと思うんだが、誰しも己のことは棚上げらしい。がくがくと腰を振るフラッシュアニメを観察した後、ぽい、と持ち主に投げ返していた。

「トーワ、女のシュミ悪い」
「うっせえよてめーにだけは言われたかねーよ!」と吠える十和田。「なあ、糸居」
「…―――」
「こいつ目開けたまま寝てるんだけど」
「頭殴っとけ」と俺。

マジでこいつら俺じゃねえと纏められねえだろうな。一瞬、人徳よりも人材の掃き溜め的な結論なんじゃ、と疑念を抱いたが、深くは考えないことにした。

昼飯の場所、一日目の合流地点はともかくとして、後は各グループに任せている。学校行事で、国内で、しかも課題つきで、と制約はあるが、日にちが近付いてくるとそれなりに楽しみになるものらしい。椅子を並べてぎゃあぎゃあとはしゃぐ友人たちは、いつもに増して無駄に明るかった。

――――一人を、除いては。

「月下、一日目寄り道したいところあったら言ってね」
「あ、…ああ」

安納と十和田と立待が、輪ゴムの銃弾でもって、しぶとく眠る糸居の額を的にしている。その横でプリントに目を落とす彼に、ハコが優しく声を掛けていた。二人の距離は顔が触れあいそうなほどに近い。黙ってそちらを眺めていたら、俺と同じく城崎が彼らを凝視していた。キノの隣に座る輕子はガイドブックを静かに捲っている。

「…ああ、そうだ」

その尖りがちな顎がくん、と上がる。残りの連中も、一人机に身体を凭せ掛けて立つ俺を見上げた。

「今更だけど、この面子で行くからな。グループ間の移動もなし」
「これ以上増やすなっていう話?」と輕子。俺は口の端を吊り上げた。
「そういうこと」
「あれ、ひーちゃん、東京で彼女と合流するんでしょ」
「うわ言うなよ馬鹿!」
「久馬先生〜彼女はおやつに入りますか〜?」
「ナマモノは厳禁」
「はい駄目−。比扇ボツ」
「ボツって何だよボツって!迷惑掛けなきゃいいじゃんか!!」
「いやもう女連れってだけで迷惑だから。つか二日目の解散って、まさかそれ狙いかよ」
「仲良くしよーぜ、比扇君よ−」

結局何を話しても部活か猥談か彼女の話になるのだからどうしようもない。大抵は自分も突っ込みに参戦するところだが、今日ばかりは黒く濡れるような、月下の双眸を見つめた。俺がこのタイミングで視線を呉れるとは思わなかったらしい。虚ろにふらついていた彼のそれと、中空でがちりと絡み合った。

「……―――っ?!」

ばっと音がするほど顔を背けた相手は、膚身を紅く染めていた。いっそ憐れなほどだ。折れそうに華奢な首が晒され、必然的に俺はそこを眺めることになった。少し前はもやしにしか見えなかったのに、今では触れたいとすら思ってしまう。まったく、重症である。

「何。キューマ、月下のこといじめないでよね」

妙な雰囲気で黙りこくっていたら、俺と月下の間に、ハコが割って入ってきた。相変わらずの糸目だが、逆弓の形を作る口脣は、喧嘩を売る時に似た鋭さがあった。それとなく腕を回して彼を庇う様に溜息が出る。こいつ自分が手に入れた途端、可愛がりすぎて嬲り殺すタイプだよな、としみじみ再確認。

「…いじめてねーよ。人聞き悪ぃだろ」

輕子が巧い具合にちゃかしてくれたが、全員に向けて班の再編成は無い、と宣言したばかりなのだ。そんなこと誰がするかよ。表情を変えることなく傲然と言い放った俺に、ハコの笑みが歪んだ。すう、と瞠った目つきもまた、鋭い。

「何。どうしたの、忍。…それ」
「それ?何が。…別にどうもしてねえだろ」
「……」

「―――…はい、終業です。まだ終わっていない所はそのまま、話し合いが済んだ所から順次昼休みにしてください」

腕時計を見れば定時ぴたりだった。剣菱の指示に、はーい、と返事をしながら、周りの席が無秩序な騒がしさに包まれる。親友の、要領の得ない問い掛けに眉を寄せていると――月下がいの一番に立ち上がった。青白い顔がかくんと下を向く。

「…の、あの。…よろしく」
「はい、よろしくー」
「あ、イトイ起きた」
「…宜しく」

糸居や輕子が淡々と答えると、橿原や安納が黙りながらも頷きを返していた。城崎は口脣を尖らせてあらぬ方向を見遣っているが、まあ、問題ないだろう。

どうやら俺の態度に合わせて、シカト週間は終わりになったらしい。…自分としては単純に無視をしたつもりじゃなかったので、複雑な気分だった。まあ、謝罪や弁明をするとしたって、他の連中には関わりのないことだ。

月下は今にも落涙しそうな表情で同級生を見下ろし、もう一度頭を下げると走るようにして教室を出て行った。黒髪は他の生徒に紛れて、あっという間に廊下へ押し出されていった。

「はあ…」
「どうしたん、壱成」

どうやら俺に振った話題は振り逃げで終わってしまったようだ。伸びをしながら立ち上がったハコは、ようやく起き出した糸居に肩を竦めて見せている。
この糸居、俺ほどじゃないが天才肌かつ世事に疎い性質な上、先だってのマルキン会談に参加が無かったものだから、ハコの「お相手」が誰なのか、まだ知らないでいる様子だ。何人かが相当羨ましそうな目で見ている。割とマニアックな内容にまで話題がいってしまったので、反芻してぐったりしているものと思われる。

空虚にすら思えるほどに愛想良く、親友は言った。

「俺のお姫様は中々懐いてくれないな、って思ってさ」
「お姫様?」
「そう…。まあ、そこがいいんだけれどね。――あ、キューマ、俺今日生徒会だから昼アッチで喰うわ」
「分かった」

月下に続き、ハコも身軽な所作で席へと立ち去っていく。キノや立待に昼飯を誘われたが、充分に返事を引き延ばした後で、俺は、首を横へ振った。「どこで食べるんだよー」とか何とかむくれている友人へ適当に相槌を打っていると、ロイド眼鏡の男が教室を出て行くのが見えた。…よし、いいだろう。

背を机から離し、急く余りに走り出しかねない足を自ら宥めつつ、言った。

「ちょっと野暮用があんだよ」


階段を上ると懐かしき1年生の教室部分に入る。休み時間だけあって、すべての扉が開け放してあり、そこかしこで生徒たちが立ち話をしている。ちょっと前の自分も此処の住人だったのに、酷く遠いことのように感じた。景色の差違と言ったら後輩たちが締めているタイの色くらいしかないのに、何と表現したらいいか―――とにかく、空気が、違う。昔を懐かしむような歳じゃねえが、もう此処には戻れないんだな、と漠然と思う。一分一秒は既に過去だ。前にしか進めない。

前に、進むだけだ。

教室の反対側の壁にある表示を確かめ、中へ入った。
特進科は男しか居ないが、デパートのそれかと思うくらいに広く奇麗なスペースである。流石にパウダーなんちゃらとかは無いものの、手洗い台は広いし、個室もやたらといっぱいあるし、小便するところだって、隣と距離が離れている。のぞき込めないように壁まであるのは若干、やり過ぎの感があるけれど。

突然やって来た上級生に、用を足していた1年坊主どもはぎょっとしていた。構わずガンをつけ続けると、そそくさと逃げていく。処世術のなんたるかを心得ているな。偉い偉い。
個室は一番奥のひとつを除いて全てカラだった。手前の締め切りの扉を開くと、中は案の定用具入れだ。モップやバケツ、ストックのトイレットペーパーを順に見ていき、目当ての物を取り出す。『清掃中につき立ち入り禁止』の三角看板を開き、扉の前に置く。そして深呼吸をする。この際だ、吸い込む空気の精度には目を瞑ろう。
革靴の踵を鳴らしながら、最奥の個室の前に向かった。1年生のトイレの中は、しんと静まりかえっている。

俺はつるりと滑らかなドアに額をつけ、手の甲でそこを軽くノックした。
自分の鼓動が扉に伝わっていくような錯覚がある。どっ、どっ、と重く震える心音を確かめながら向こう側へ語りかけた。

「居るんだろう」


――――――長方形の空間で、誰かが身動ぐ気配がする。


「なあ、そこに居るんだろ、…月下」



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