月下 真赭



(久馬)


担任に呼び出され、何かと首を傾げながら教職員室へ行ったら、正気を疑いたくなるような頼み事をされてしまった。
書類やファイルで雑然とした教職員室の中、オレは信じがたい気持ちで目の前に座る、初老の男を見た。…いや、睨み付けた。

「いやぁ、キューマ君に是非とも頼みがあってねぇ…」
「……はあ」


切り出されたのは、近くにある校外研修のことだった。

2年のこの時期、学校行事で二泊三日の校外研修がある。修学旅行とはまた別で、うちの学校――学科はその手のイベントに事欠かない。行き先も四カ所くらいある。浅草と横浜と、京都と神戸。

自由な気風を謳っているだけあってか、研修先は四択だし旅程も生徒任せだ。勿論、センセーと旅行会社の添削が入るけれど、先輩ら曰く、そこそこ自由がきくらしい。
遠足みたいなもん、と楽しむには若干重たい、さりとてがちがちに勉強するつもりは端から無い。
だったら無難な計画を立ててチェック通して、後は叱られない程度に破目を外せばいいのだ。オレはそう思っている。

「キューマ君の班、途中で少人数に別れて行動しますよね」
「…はい」
「共通テーマで関連の史跡を分担、あたって集約。取材も入っていて素晴らしい」
「ありがとうございます」

単によくつるんでいる連中が二、三、三、三で別れただけの話だ。小回りの利く、さらに仲の良い奴でグルーピングした。よそに出掛けてまでゲーセン行きたいとかいうあほには付き合ってられねえ。勝手にしろ。
友人、白柳(ハコヤナギ)はストリップ劇場の歴史を調べるとか輪を掛けてばからしいことを宣っていたのだが、笑って流して終わりにした。行く前から指導対象なんてまっぴらごめんである。

因みに二人なのは俺と白柳――ハコである。何だか…厭な予感がする。

オレは目元を険しくして、担任を見下ろした。
定年間近だという総白髪のセンセーは意に介した風もなく、白を通り越して銀に輝くそいつを、緩慢に撫で付けた。

「月下君のことなんですがねえ…」


…そらきた。


「彼、どこの班にも入ってなくてねえ、言ったんだけど『一人でいい』の一点張りなんだよ」
「サカシタ…君がそう言ってるなら、いいんじゃないですか」
「いや、そうもいかないでしょ」と担任。「学年でもね一人行動は厳禁って話になってるんですよ。二人も実は芳しくない。第一それじゃあせっかくの研修がつまらないでしょ」

つまるとかつまらねーとかそういうレベルじゃねえだろっつってんだよ。月下自身が一人でいいってんだから、個人の意思は尊重してやれよ、教師なんだからさ。
しかも相手はよりによっての月下だ。月下 真赭(サカシタ マソオ)。オレのことを蛇蝎のごとく疎んじているアイツ。曇天の日の影みたいに、ぼんやりして、でもどこまでもついてくるあの男だ。

「久馬君はうちのクラスでも皆のまとめ役をしてくれてるからね、月下君も君の班なら安心だと思うんです」
「安心なのはセンセーだけじゃん」

舌打ちと共につい本音が出てしまう。滅多に喰って掛かかることはないけれど、今回ばかりはむかついた。
オレの怒りにも教師は、昼行灯みたいな顔を晒している。

「そうなあ…先生は安心ですねぇ…。…しかし、久馬君、きみ、どうしてそんなに厭がるの」
「……別に厭なわけじゃ」

相手に都合のいい台詞を口にしている自覚はあった(じゃあいいよね、と言われるのがオチだ)。でも、はっきり嫌悪感を伝えることは流石に躊躇われた。イライラを奥歯でぎゅっと噛み殺す。


何故あいつが嫌いかって?決まってるじゃないか、あいつがオレのことを嫌っているからさ。


月下、と聞いて真っ先に浮かぶのは、あの稀薄な印象だ。男にどうかとは思うが、『儚い』って表現が一番妥当に思う。
真っ黒いストレートの髪、前髪からちらちらと覗く感情を堪えた目。膚なんて女みたいにしろいし、二つに纏めてボキッとやったらマジで折れそうに、からだは細い。声がしっかり低いから男だって分かるものの、同学年とは思えないもやしっ子ぶり。

それに、アイツ、なんか異常に暗いよな。オレに対する避け具合に比べれば大したことねーけど、クラスでもいつも一人だ。ハブられて、というよりも、自ら率先して孤立している感じ。
典型的ないじめられっ子候補生の筈なのに、見る限り虐められている風はなく、それはくだんの『情報屋』の噂の所為かもしれない。

こうやって整理するだけでも、ほんとうに、よくわからない存在だ。目立たないならオレの視界からも、きちんと消えてくれればいいのに。ハコぐらいじゃねぇの、声掛けてんのは。あの物好きめ。

「じゃあ、いいよね」と案の定、教師は言った。「それに月下君、白柳君とは時々話しているみたいだから、尚更いいと思いましてね」
「待ってください」
「…なんでしょう」
「月下本人は何て言っているんですか。そういうのって、大人の勝手な配慮なんじゃないですか。彼が希望しているならまだ分かりますし、オレや白柳がハイっていって済むような問題でしょうか」
「うーん、だからね、全員に聞こうと思ってね。白柳君にはさっき確認したんです。で、彼は喜んで、って言ってましたよ」
「……?!」

 初耳過ぎて無言になった。
あのクソ柳、何考えているんだ。人畜無害を装って微笑む友人のツラを思い浮かべ、内心で悪態を吐いた。人非人、変態、サディスト、羊の皮被りめ。俺が月下を苦手としていることを知っているだろうに。絶対楽しんでいやがる。
 月下のグループ参加を回避するためには、親友の反対が絶対に不可欠だった。他の連中はオレが話せば大抵、頷く。だけど、ハコがノーと言っていたら、正直に厭だと言うやつも出たと思う。

どうする。どうすれば。
月下が同じ班?しかも二泊三日で、常に一緒だって?
無視すればいい(オレがしなくてもあいつがそうする)、最悪休む、とか(逃げたみたいで微妙だ、第一ハコに絶対からかわれる)、むしろ気色悪いほど友好的に接してみる?

―――オレのキャラじゃねえ。

男にしては丸い肩を思い出した。水泳の授業だった。透けるみたいな肌で、プールに飛び込んだらそのまま水に還ってしまうんじゃないかと、そらおそろしくなった。
見た目に反して、月下はそれなりに泳いだ。水に濡れた、睫毛の濃い黒の目。一度、オレの上を撫でるみたいに通過していった視線を今でもありありと覚えている。同時に奔った、寒気も。

「二人一緒に呼び出して聞いたら、相手の答えにひきずられちゃうでしょう?」

ぐるぐると考え込むこちらをよそに、これ、配慮ね、とオレの発言をなぞるみたいに先生は言う。

「それに、月下君だけど、…ほれ」

 抵抗以前に、本丸へ打ち込まれたショックで思考停止していたオレは、自分の背後に現れた存在に寸前まで気が付かないでいた。毛足の短い絨毯に、人影。「しつれいします」とか細い声。



そこには月下が立っていた。







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