les deux V



数分後、ソファの上には、全体的によれた恰好で座る僕と、白柳が居た。やや温くなった紅茶を一気に飲み干すと、少しは落ち着いた。
しかし事態が好転したわけでもない。僕の痩せた体躯は白柳の上に乗り上げていて、彼は、ちっとも重くありませんとでも言うように、平然とした顔でこちらを見ている。

押し倒されるのが厭なら押し倒してよ、だなんて、一体どういう論理なのだろう。それでも、是と答えなければその後の展開は明かだったので、僕はやむなく彼の命令に従ったのである。そうすれば話の続きをすると白柳は約したのだ。
直截にしろ、暗黙の内にしろ、まま、僕らは駆け引きで物事を進めた。白柳の要求は時に赦しであり、僕の譲歩は甘えだった。見せかけの支配と恭順。不安定な対等性。

指を舐めたくることは止めたものの、白柳は相変わらず僕の手指を弄んでいた。
骨が浮き出た手首を、その円周を計測するように掴んでみたり、内側の皮膚の薄いところに軽く歯をたててみたりしている。エナメル質の牙が静脈付近に食い込む度、僕は刺激を拾い上げて身震いした。痛さよりも擽ったさが勝る。でも、それ以上に腹の裏あたりがふつふつ熱くなってくる感じがする。紛う方なき性感だ。
向かい合わせに座り、投げ出された友人の長い脚の上に跨った恰好は、先ほど反応し掛けた欲をまた揺り動かされそうで、怖い。体勢は逆転し、今は僕が白柳を押し倒すように体重を掛けてしまっている。僕の下半身は彼の太股に乗っている。些細な変化など、すぐにばれてしまう。
ソファの背もたれに突っ張っている左腕と――――そこだけが独立して脈打っているような下腹部とに、ぐっと力を入れた。視線を感じる。一挙手一投足を、観察されている自覚はあった。けれど、いつ彼の気が変わるとも知れないのに、沈黙し続けるのは無意味だ。白柳が真剣に僕を引き倒そうと思ったら、抗しきるのは難しい。既に経験済みの話だ。

「あの…、…前から、聞きたいと思ってたんだけど、」
「うん?」

意を決して切り出すと、白柳は慈悲深く微笑みを浮かべた。指先が続きを促すように軽く握られる。

「どうして白柳は僕と付き合おうなんて、思ったの…」
「…へえ、そんなこと気にしてたんだ」
「……――うん」

とってつけたような質問に思われたかもしれないが、ずっと聞こうと思っていたことだった。
だって僕は男だし、外見だって凡庸で貧相で、大した取り柄もない。唯一変な力を持っているけれど、白柳に役に立つものとは思えない。この部屋に来れば誰しも、彼がすべての点において、僕よりも恵まれ、優れているのかが分かるだろう。
そんな彼がどうして僕を?
僕を忌避しているらしい久馬に対する厭がらせとかなら、まだ分かるけれど、二人の仲は通常営業に戻っているように見える。そもそも久馬に与える効果だって怪しいものだ。久馬にとって僕は路傍の石以下で、鬱陶しくあれこそすれ、何の影響にもならない存在である筈だ。そう思わなければ、自分自身が耐えられなかった。彼に憎まれるだなんて、想像だけで死ねる。

白柳は上品にカップを傾けてから、腕を伸ばし、器を丁寧にソーサーの上へ据えた。僕という錘を乗せていながらも、テーブルに置くまでの一連の動作は流れるように奇麗だった。

「本音と建前、どっちが聞きたい?」

かしゃん、という澄んだ音に紛れて秘やかに彼の声が響く。

「え?」
「ホンネと、タテマエ」と、今度ははっきりした発音で白柳は言った。目線は茶器に留めたままで。「…君が知りたい方を教えてあげるよ、サカシタ」
「……――両方」
「…へえ。…そういう返事もするんだねえ」
「……どっちかって、言わなかったじゃないか」

正直、久馬だったらそう言うんじゃないかって思ったのだ。だから、言った。
かつての僕であれば、あるいは有り得ない台詞だったかもしれない。多分、悩んで終わりだ。

(「…いや、そもそも質問すらしなかったかも」)

白柳は柳眉を寄せて、少し考えている様子だった。至近距離であることも手伝って、彼の表情の変化が良く分かる。無論、物理的な距離に加えて、精神的なそれも近くなったからこそ、だろうが。

「確かにさっちゃんの言うとおりだ。言わなかったな、俺」
「…うん」
「分かった。聞いてどれほど気が済むかは知らないけれどね。ああ、でも、月下自身は、どういう風に思ってたワケ?俺が何故、月下と付き合いたいなんて言ったのか」
「…久馬…」
「…久馬が?」
「久馬から、俺を引き離したいのかと思ってた…」
「…あー…」
「それか、喧嘩の一環で厭がらせ、とか」
「幾ら俺でも、興味のない奴と厭がらせ理由で付き合ったりはしないわな。しかも男と」

流石に呆れたように白柳は言い、僕はしゅんと頭を垂れた。やはりそれは無いらしい。

「…ごめん」
「責めたわけじゃねーんだって。…で、それだけ?」
「……」

もう一つ浮かんでいた疑念があったが、言葉にするのは憚られて、僕は口脣を引き結んだ。以前から聞いていた白柳の噂。僕は久馬の「彼女」じゃない―――だから、この『仮定』はない。
友人は僕の腰にするりと手を回し、いっそう引き寄せた。僕らの身長差はさしたるものじゃないが、比べれば背が低いのは自分の方だ。こうして白柳を見下ろす姿勢でいるのは珍しくあった。答えを待っていると、彼は首を伸ばして僕の口の端にキスをした。身を竦めても構わず、顎の線に、首に、柔らかくしめった感触が押し付けられていく。

「本当に、ちゃんと見るし、…ちゃんと喋るようになったね」
「…僕は、…っ、」

男同士で口吻をするだなんて、気持ち悪くないんだろうか。でも、白柳は全く躊躇わず、僕も突き放したりはしない。自分の中で、何かが少しずつ欠けていく気がするだけだ。
閉じた口脣の継ぎ目を舌でなぞられた。ぺろり、と赤い肉が彼の口の中に引っ込んでいく。

「建前。初恋のひとに似てた」
「初恋の、ひと…?」
「友達のオンナ。細っこいとことか、折れそうなとことか、その癖意外と言うこと聞かない感じが似てる。で、ちょっかい出してみようかなって。まあ、性格の方は結果論だな。月下が頑固だって知ったのは、最近のことだし」
「…きっと似てないと思う」

確かに酷い痩せだけれど、女性に間違われるような体つきじゃない。それに白柳が見惚れるくらいなんだから、その彼女は相当な美人だったろう。僕とは全然違ってる。
見当違いの評価に半ば悄然としながらも反論すれば、白柳は宥めるように、僕の額に掛かっていた前髪を後ろへ撫でつけた。

「あとは久馬が気にしてたから、さっちゃんのこと」
「え、」
「知ってるでしょ?俺の噂。…久馬の彼女を片っ端から喰っちゃったハナシ」
「――……」
「あれ、本当だからさぁ。あいつが珍しく他人に拘ってるから、何でかなって興味本位」

飽くことなく髪を弄る彼の調子は、至って軽かった。自分の行状など、歯牙に掛けた様子も無かった。レンズの奥の冷徹な眼差し、そして、僕の身体の脇を囲うように立つ左脚の先を順に見遣った。黒く焼け焦げ、友人の足首を戒める縄を。

『アイツ最悪だよ』

いつか彼が居ない折、城崎がそう吐き捨てていたことを思い出す。

『当たり前みたいに寝取るんだぜ?ホイホイついてく女もありえねーだけど、何より白柳だろ、最悪なのは』

「…なんで、」
「ん?」
「…なんで、久馬の恋人を、盗るような真似をするんだ…?」

これだけは無いと思っていた『仮定』を掠める発言の所為で、僕の声は僅かに震えていた。白柳は、僕が久馬の「モノ」だと思って、手に入れようとしたのだろうか?
賢い彼ともあろう人が、…そんなの、初恋の人の姿にだぶらせる以上の大誤解だ。

衝撃に喉を詰まらせたのを何と思ったのか、きれいな手はするすると下に降りてきた。顎から首の筋へ、襟を乱し、濃紺のタイが引き抜かれる。また凶行に及ぶつもりかと、自然、身体が硬くなった。腰を押さえられているので、容易に身動きが取れない。焦り始めた僕の拓かれた胸元に、白柳は顔を寄せた。

「…っう、」

鎖骨にちり、と痛みが奔る。それから、温く肉の感触。

「月下って皮膚が弱いよな。痕がよくつく。色白いし」
「……も、やし、って…言われるよ…」
「そう?…俺は屍蝋みたいで素敵だと思うよ」
「シロウ…?」

白柳は僕の胸に顔を押し付けてくつくつと笑った。その振動は体躯の中までも揺らすようだった。
哄笑いながら、彼は言った。

「久馬にのぼせてる奴を見てるとさ、その熱情が欲しくなるんだ。同じ扱いを、俺にもして欲しくなる。そういう相手なら、俺も少しはマトモになるんじゃないかってね。でもどいつもこいつも駄目なんだ。全然話にならねえんだよ、

――――――サカシタ以外は。」



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