les deux U



館の外観、内装からして明々白々なことだけれど、彼の部屋にあるものだって、すべて洒落ていて高価そうで、僕の財布じゃきっと一つも購えないと思う。

通された白柳の部屋は、面積に見合わない家具の少なさからか、何処となく空疎な印象を受ける。勉強に使っているステンレス天板の机と椅子、細かな箱を収めたシェルフ。
セミダブルのベッドは、オリーブグリーンのカバーでもって奇麗にベッドメイキングしてある。その延長線上には、この広さが無ければ収納できなかろう巨大なテレビが鎮座している。いつも勧められるソファの色も緑基調だ。手前には金属の支えを持ったガラスのローテーブルが据えてある。端にはコートスタンドや姿見が、さながら展示物のように立ち尽くしていた。

塩のように白く、ひたすらに続く壁には、唯一の装飾と言っても差し支えないであろう作品が二点、掛けてある。
一つは僕にも分かる。ミレイの「オフィーリア」。狂恋の歌を歌う口脣を半ば開いて、手足を硬く強張らせ、色鮮やかな花々を纏いながら水葬される女性の絵だ。いくらなんでも流石に複製だと思うが、サイズはかなり大きくきちんと額装されている。
もう一つは写真だ。恍惚と眠る青年が旅行トランクに収められている奇妙な写真である。
「彼」はどうやら頭、胴体、その他すべての関節から、裸身を切断されているようだった。散らかった玩具を無造作に箱へ戻したみたいに、身体のパーツが長方形の中に詰まっている。それなのに、硬く目蓋を閉ざした表情は、この上なく倖せそうだ。限りなく不気味な光景は、いつかのタイミングで甘美なそれとすり替わってしまっている。死の恐怖は「彼」の上には無い。酷い有様にも関わらず、先のオフィーリアよりも生き生きとして見える。

「よく見てるね。それ。気に入った?」
「…気に入ったわけじゃないけど」

この部屋において目を惹く物を挙げるとしたら、大多数の人間がオフィーリアと、青年の写真を示すと思う。僕だけが特別な訳じゃない筈だ。
白柳は納得したように頷き、言った。

「大抵の友人は『キモイ』って言うよ。月下は、まだ理解があるのかな」
「…痛そうじゃないからさ、だから平気」
「あー、なるほどねえ」

いつものように僕をソファに座らせた後、転がしてきたワゴンの上で、友人は紅茶を淹れていた。制服のジャケットだけを脱いだ姿が、慣れた手つきで、整然と並べられた道具を操っていく。ポットとカップを温め、茶葉を計ったり、お湯を注ぎ、ティーコゼーを被せて蒸らし時間を待ったりしている様は、割と面白い眺めだった。白柳自身が楽しそうにしているからかもしれない。まるで化学の実験みたいだ。
そんな白柳の仕事から目を離し、二つの遺体(多分、その筈だ)を振り仰いでいたら、僕が興味を持ったと判断したのか、説明をしてくれた。

「そっちの写真はオマージュ作品なんだ。焼き直しっつうか、真似っこ。知り合いが撮ったやつでさ、でも気に入ったから引き延ばして貰ったんだ」
「…ふうん。これ、本物の人間…な、訳ないよな」
「いや、ホンモノだよ」
「え!」

だってこの人、バラバラになってるけど?!

「トランクの底に穴を空けて、首を通してんだよ。手足とかは確か、石膏で型取って作ったとか言ってたなあ。白黒だからよう分からんでしょ」
「……そ…っか」
「流石にマジでやったら手が後ろに回るから。―――はい、お待たせ。どうぞ。熱いから、気をつけて」
「…ありが、とう」

芳しい香りを漂わせてカップが置かれ、促されるままに薄い磁器の把手を摘む。温かく立ち上る湯気に頬を当てると、跳ね上がった鼓動も段々と落ち着いてきた。白柳には驚かされることばかりで、さっきの言葉も頭から鵜呑みにしてしまった。久馬だったらきっと流して終わりになるところなんだろうけれども。
ふうふうと息を吹きかけてお茶を啜っていたら、白柳もカップを手にし、僕の隣へ腰を下ろした。ソファが確かな弾力をもって沈む。

「あれは二つとも凄く気に入ってるからさ。本当はごちゃごちゃ置くの好きじゃないんだ」
「ああ、うん…分かる。ちょっと驚いただけ」
「悪いね」と彼はにやりと笑った。「…家全体の雰囲気と、俺の部屋の感じが違うからちょっと変でしょう」
「慣れたら、そんなでもないよ」
「あれ、嬉しいこと言うね。慣れてくれたんだ?」
「……そう、かな。…そうかも」

屋敷の佇まいは、中世ヨーロッパに見られたような、堅牢な石造りのそれだ。でも、本人が言うとおり、白柳の部屋だけは切り取られたようにモダン様式で纏められている。まるで周囲の浸食を拒否しているみたいだ。薄く、淡く緑掛かってすら見える水色を見つめながら感じたことを伝えると、白柳は黙り込んだ。

「…どうした?」
「うん?…いいや、なんでもないよ。それよりさっちゃん、俺に何か聞きたいことがあったんじゃないの」
「その、さっちゃんって言うの止めてくれよ」
「なんでさ。…まさか、あの後輩君の特権とか言わねーよな」
「違うけど、」

…違わないのかもしれない。
と、言うか、白柳がそう呼ぶのはどうにもからかっている感じがして厭だ。はぐらかす準備をしている風にすら思える。

「疑りぶかいなあ」
「……」

日頃の行状の所為じゃないのか、と突っ込みを入れかけて、流石に止めた。少し言い過ぎだ。僕は彼の親友ではない。舌鋒を引っ込めた僕を、当人は興味深そうに眺めている。

こうやって横に来ると、白柳はしばしば、お喋りすらせずに僕を見つめていることがある。非常に居たたまれないのは言うまでもないことだ。僕は差し出される彼の言葉を聞き、返すことで精一杯で、その裏を読み取ることが出来ているかも怪しい。なのに、彼はいとも容易くこちらの裡を暴いていくような気分に陥る。

中指の背中の、第一関節に小さく歯を立てた。ごく軽い痛みが奔る。
僕はどうすべきなんだろう―――何をしたいんだろう。終わりを待つばかりではいけないのだと、もう、分かってしまった。
仮に、……久馬なら。彼なら一体どうするんだろう?
白柳と居る合間に、最近はずっと、そればかりを考えている。

「…そうやっているときは、解決しないことを考えているとき」
「え?」
「あ、やっぱそうなの?」
「……」

呆気に取られて端正な顔を見返すと、例によって観察を続けていたらしい白柳の笑みは少し歪んだようだった。そんなことまでばれているなんて、どういうことだろう。

「悩み事は何?教えてよ、イチオウ、カレシなんだから、俺」
「えと、…その…」
「どうすれば言ってくれんのかな?えーっと、」

白いシャツの腕が伸びてきた、と思ったら、口脣にもっていった手を、自分のそれより大きな手指で絡め取られる。舞踏会に誘う貴族の動作で、かりかり痩せた指にキスが落とされた。
そのまま―――、

「…っ?!…ぅ、ひぁ…?」
「…こーゆうのが一番利くよね、君には。俺も楽しいし、一石二鳥」
「…っや、はこや、なぎ、それ…!」

生温い舌がねろり、と人差し指を這った。

爪の輪郭をなぞり、軽く歯を立てながらねぶっていく。次は中指、…薬指。下唇で指の腹を擦られると、背筋がぞくん、と震えた。テーブルに置いたカップは勢いで硬い音をたて、さらに僕の恐怖を煽る。何処か欠いてしまったかもしれない、でも、これ以上気にしているいとまは無い。

「ほら、ひゃやく言っひゃいなひょ」

ちゅる、と唾液を啜る音に羞恥心がいや増した。味なんてあるわけないのに、彼は至極美味しそうにしていて、―――そんな風に考える自分の思考に、また茫然とする。突き放さなきゃいけないのに、ちっとも力が入らない!

「ん、ん…っ」

長い睫毛の下から、見上げてくる瞳と視線を合わせて後悔した。愉快そうで、同時に色めいている。あの日、トイレで捕らえられた時に、僕を射竦めた眼差しだ。白柳は時折、自分の中のスイッチを切り替えたみたいにこういう表情をする。獲物をいたぶる猫科の目だ。

「なぁに?もしかして、気持ちくなっちゃった?」
「違…っ!」

…本当は切り替わっているわけじゃないのかもしれない。常に彼の延長にあって、身を潜めているだけのものなのかもしれない。
僕は空いた手で押し返そうとしていた筈なのに、白柳の膝へ掌をついたまま蹂躙を赦している有様だ。舐められる度に肩や腰がひくひくする。一通り指を(それこそ、股まで丁寧に)濡らされた後で、彼は僕の顔の側面に口脣を寄せた。
まずい、と思ったときには遅い。

「…ひゃ…ん、あっ…!」

耳孔にまで舌が滑りこんできて、声帯から気色の悪い音が漏れた。裏返った妙な声に我が声ながらぞっとする。目を丸くした僕を、白柳は満足そうに、笑いながら抱き締めた。唾液でべたついた僕の手が自分の服に触れるのも構わず、ぎゅうぎゅうと。

「なんかもう目的どうでもよくなったかも。手段万歳」
「え…っ、ちょ…や、やめっ…、話す、話すから…っ」

耳たぶの柔らかいところを噛まれたり、こめかみの辺りに小さく口づけを繰り返されたりで、脳の処理が追いつかない。まずいと言うことだけは分かる。
現に長身はどんどん僕を押し倒しつつあって、変に折り畳んだ僕の腕は、互いの胸の間に潰されていてまともに動きやしない。床に足を踏ん張って、完全に寝転がることこそ何とか堪えているけれど、…まず、時間の問題だ。
だって太股を撫でる彼の手は、明確な意図をもって動いている―――内側へ。

「き、…聞きたいことがあるんだけどっ!白柳っ!」
「え、別にもういいんだけど」
「よくないっ、よくないっ!」

反り返った背筋が悲鳴を挙げ始めたところで、ようやく彼を止めることに成功した。腰のあたりが変に寒いと思ったら、いつの間にかスラックスのボタンが外され、ジッパーが降りていた。…じくじく疼き始めた感覚から意識を背け、僕は金具を引き上げた。



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