les deux T



(月下)

白柳の家が裕福だということは知っていたけれど、まさかここまでとは思わなかった。

能力――――「赤い糸」のことを告白した日。
彼のプレッシャーに、僕はあっさり負けた。虚脱し、思考を放棄してしまった一同級生を白柳は攫うようにして己の家へと連れて行った。

曰く、

『あのまま放って置いたら、月下、車に轢かれて死んでたと思うよ』

などという身も蓋もないもの。その原因が自分であるという負い目はさらさら無い様子で、あっけらかんと言うのだから酷い話である。
正気を取り戻した僕が見たものは、男子高校生の私室とは思えない広さと、調度品の揃った部屋、それが備えられた家屋敷だった。

彼と「付き合う」ようになってから、僕は頻繁に白柳邸へ通っている。…通っているというよりは、送迎の車に乗せられて問答無用で連行されている状態だ。
白柳の家は非常に大きな洋館で、聞けばイギリスにあった古いものを移築してきたのだと言う。外の門扉から館の玄関に至るまでは、徒歩より車で移動した方が早い上、三人という家族構成が信じられないほど部屋数が多い。元は貴族のマナーハウスと教えられて納得した。ここだけが日本じゃないみたいだった。ドアの上でガーゴイルが睨みを利かせている家なんて、そうそうお目に掛からない。

「春夏はもっと見れるんだけれどね、今は枯れ庭」

正面玄関に向かう径の脇には常緑の低木が植えてあった。その向こうは白柳の言うとおり、確かに寂しげな色が覗いていた。ところどころに白く点々と咲く花を見つけ、名を聞けば、クリスマスローズだと言う。こんな寒い時期にも花弁を開く花があるのものか、と感心する。

「いや、あれは狂い咲きだよ」
「…狂い咲き?」

不吉な響きにぎょっとすると、友人は酷く楽しそうに笑った。

「俺はそんなに詳しくないからよくは分からないんだけどさ。あの種類の花にはままあることなんだって。初花は、本当はもっと先でね、なのに、この時期になると、数株出てきてしまう。益がないから切り取るらしいよ」
「…そんな…」

灰色の空の下で、突き刺さるような風に白い身を揺らしている姿は、健気で儚くて。ガーデニングのルールや理などは、おそらく白柳以上に分かっていない僕だけれど、必死に咲いているものを刈り取るだなんて非道い、と単純に思ってしまう。その思考を汲み取ったように、白柳の笑みは鋭く、深くなる。

「形もいびつだしね。…まあ、うちの親によれば、よくないもの、らしいから。…俺はあれがあるから、好きなんだけどね。クリスマスローズ」
「―――…え…?」
「そういう不完全さがいいんだ。盛りになったらマトモなやつも見てやって。そっちはあんま面白いもんでもないけど」

彼はそう言うと、握った手をぎゅ、と硬く繋ぎ直してから、僕を家の中へ導いていった。


白柳と僕の関係は、時期はずれの花よりもおかしいものだと思う。

校外研修が終わるまでの間、付き合ってくれ――勿論、恋愛的な意味で――と告白されて、口では言い表せないほどに仰天したし、混乱もした。彼の相手になること、それを女、と称した意味もじきに分かった。理解できなかったのは、彼の意図だけだった。一番大切な、白柳の考えだけがまったく読めないでいる。一週間経過した今も、変わらない。

「…あ、硝子ケースの中、変わったんだな」
「ああ、これね」

職業的家令さん(きちんと専門の機関に留学してきた物好きだ、と白柳は揶揄していた)が迎え入れてくれた屋敷内の、モザイクタイルの上に涼やかな影が落ちている。先日来訪した折とは異なる衣装が、硝子ケースに収められていた。
やわらかな白のドレスだ。

白柳の家は、父親が経営者、母がデザイナーとして活躍し、一代で財を成した。「プリマブランシェ」と言えば、そういった服やアクセサリに何の造詣もない僕ですら、聞いたことのあるブランドだった。その力の証が、この家であり、彼の暮らしなのだ。
水族館にでも誂えてあるような透明な箱に近寄って、首と、手のないマネキンを見上げる。白柳の親の使うマネキンはいつも首と、手が無かった。表情があり過ぎて、駄目なんだ、と彼の母親は言うそうだ。

「これは、マリエ」
「マリエ?」
「そ。ウェディング・ドレス」
「……」
「一点ものでね、何か知り合いに頼まれて作ったらしいんだけど、今様子見中。こうやってしばらく寝かせてみないと欠点が出ないんだと」

それは、丸い肩を半袖で包み、胸部に細かなギャザーを寄せた、美しい衣装だった。
アクセントに真っ白な紫陽花のコサージュが拵えてある。胸に一つ、腰に三つ、細い腰の背後にも大きなものが一つ。そこから、長く尾を引くように布地が広がっている。

「これは、トレーンね。よく餓鬼が後ろから持って歩いてくるでしょ。あれ、トレーンベアラーってゆうんだよ」
「…詳しいね、白柳」
「ま、花よかね」と彼は、少し顔を顰めて言った。心外そうであった。「うちの親、家にも仕事持ち込むタイプだから。厭でもちょっとは覚えるよ」
「ふうん…」

赤い繊毛が敷かれた階段が交差して、中央に据えられたマネキンは、まるで浮いているかのようだった。首のない花嫁を仰ぎ見るふりをしながら、僕はそっと白柳を盗み見た。眼鏡のブリッジを指で押し上げて、彼はどうでもよさそうに人形を見ている。
こんなに近い距離で居るのに、不思議と緊張はなかった。手を繋がれているのにも不快感はない。思考に全然整理がついていなくても、ある程度は反応を返せるし、人間は生きていけるものらしい。

「白柳も、服飾関係の勉強とか、したいの」
「いや、それはないな」
「即答…」
「着るのは好きだけど、…別に何か作りたい、とかないな。自分に似合う格好は分かるけど、他人が何着るかなんてどうでもいいし。…あと、制服でもねーのに、同じ服を他人が着てるのはやだ。実は制服もやだ」
「…制服は仕方ないよ…。厭なら私服の学校に行かないと」
「それはそれで面倒臭いんだよねえ」

緩やかな変化のひとつ。
白柳はよく喋るようになった。…――多分、僕もだ。

僕たちは互いに、核心に踏み込んでいないにも関わらず、繋がりだけは保っていた。しかもその繋がりを深めようとすらしている。
白柳は「お試し」という形で、僕に猶予を設けたが、真意を伝えないでいたし、僕は僕で、相変わらず久馬が好きだった。が、白柳を完全に拒絶するところまでは至らなかった。彼の作り出したモラトリアムに、乗っかったのだ。
このままではいけない筈だった。白柳が迎えにくる度、どうにかしなきゃならない、という思いは強くなった。その実、一歩も踏み出せないでいる。彼の本音を聞き出そうにもはぐらかされて――それから色々あって、結局なし崩しで一日が終わってしまう。

時間は人の力では留めることは出来ないし、その日が来れば、僕は答えを出さねばならない。校外研修は否が応でもやってくる。
校研が終わるまで引っ張るのはほぼ無意味なことだと思う。いや、無意味どころか、久馬に愛想を尽かされる決定打を、自ら打ちに行くようなものだった。彼はどんな風に思って居るんだろう。…自分の親友と僕が付き合っていることについて。

気持ち悪いと思っているだろうか。それとも、白柳をとられた、とか?久馬においては無さそうなことだ。彼と白柳の関係は揺るぎないかたちで繋がっているもの。僕を嫌うことはあったとして、親友を切るような真似だけはしない。

(「こんな状況でも、久馬、久馬か…」)

目も合わせない、口も聞かない状態は、春先から考えれば余程慣れた環境であるのに、僕の身体も心も、それを異常だと判断しているようだった。食欲は下降線の一途、伴って体重はますます軽くなった。何とか食べ物を口に入れるのは、毎朝鏡に映る自分の姿がおぞましくて仕方が無いから。これ以上痩せたら、骨と皮だけになってしまう。味なんてよく分からないから、高カロリーの固形食を囓って済ませている。

空いた時間も、ぼんやりしているか、かけちがえたボタンの始まりを反芻しているか、またはトイレで泣いているか、だ。
折角付き合ってるんだから昼飯くらい一緒に食べようよ、と白柳が誘っても、僕はずっと断っていた。久馬が気になるなら、二人っきりで学食に行こう(自分はむしろその方が望ましい、と白柳は言う)と譲歩もしてくれたが、それにも首を横に振った。僕のことは関係なく、白柳と久馬の仲は修復された様子だったから、過去、喧嘩の種になった自分がしゃしゃりでるのは不適当だと思う。

で、固辞をした結果がこれだ。放課後デート、及び、登校時の迎車。
『車だったら糸があろうがなかろうが、見えないから関係ないでしょ』と白柳は主張した。車なんて大仰な、とこれにも反対したのだが、『我が儘言わないの』の一言で封殺されてしまった。
…驚くべきことに、どうやら白柳は「赤い糸」を、本当に信じてくれたらしい。

「月下」
「……あっ」
「―――見惚れてた?」
「えっ…、そ、その…。えっ?」

知らず知らずの内に、目線だけ隣に固定したまま、考えごとに突入していた。
柔らかい、けれどぞくぞくするような響きを帯びた白柳の声に名前を呼ばれ、僕は慌てて焦点を正した。眼鏡の同級生は弄うように首を傾けて、口角を吊り上げ、「あ、久々に出たな、それ」と言った。

それからおもむろに、胸ポケットからハンカチーフを取り出して、球を造り、僕の頭の上へ載せる。
何だろう。

「……?」
「俺だったら胸のコサージュはつけないな。腰と背中か、…腰だけにして、あとは紫陽花でヘッドドレスを作る。で、頭に載せる。
――尤も、着るのがサカシタならだけど」
「へ?」
「君になら、このマリエはよく似合うと思うよ。『さっちゃん』」

くすくすと笑声を上げる彼に少なからず憤慨し、くっつけられた白布を振り払うと、白柳の声は一層高くなった。手を解き、緩いカーブの骨組みを持つ階段へ爪先を向ける。「部屋に進んで来てくれるようになるなんて嬉しいよ」などと、からかいの言葉が飛んできたが、無視を決め込んだ。

…そう、これがもう一つの変化だ。
僕らは互いに、感情をよく表へ出すようになった。









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