考える貘V



何だその目の輝きは。あんまり騒ぎ立てると周りの注目が必要以上に俺に集まる――って、もう遅いか。

「ま、マジか!」
「ッハア?!」
「おいおいおいおい、ちょっと忍お前もかよ」
「我が校陸上部のエースがついにその道に!ちょ、お前掘る側掘られる側?!」
「それ訊いてどーすんの十和田!」
「いや、今後の参考にさあ…」

尻尾だけになった菓子を紙の上に置いて、次の言葉を待っているクラスメイトを見渡した。キノは雷に打たれたみたいに、輕子ですら呆気に取られた風でこちらを見つめている。おいおい、燃えてくるシュチュエーションじゃねえか、これ。
うん、と咳払いをし、喉の調子を整えてから厳かに口を開いた。

例え話だが、脳裏に浮かんだのはほっそりとした華奢な姿。真っ黒な髪と、それよりも尚黒いと思わせる儚げな眼差し。


「…好きになった奴が好みだから、俺。もしそいつが男だったらどうしようもねーじゃん」


はい、お前らちゃんと聴いたかー?傾聴だぞ傾聴。今相当良いこと言いましたよ、俺。

「……」
「……」
「…はあ…びびった…」
「………なーんだ」
「おい、何だよその反応は」
「世の中的には『一般論』って言いますよ、久馬君、それは」と橿原。腰が砕けたみたいに変な姿勢で三人掛けのベンチに頽れている。
「日夏報の一面に出せると思ったネタだったのに…。糞、キューマ、何でもいいから今から既成事実作れ!俺の頭の中の草稿を無駄にしないでくれっ!」

無茶言うな、立待。何故に貴様ら報道部のネタ提供の為に俺が身体を張らにゃならんのだ。
橿原同様、他の面子もへなへなと机や椅子にもたれ掛かっている。ただ、輕子だけが凝と俺を見ていた。瞬きを忘れたように。

「…という訳でだ。テメェがどう解釈すっかは自由だが、俺はそのような考えだからな。あと、変態で残念な男だが、ハコはテメェと同じで俺のダチだから、…もし今度、菌とか何とかくだらねえこと言ったら、」
「…―――!」
「待って、久…」

こちらを注視していた一人以外は、撃沈していたので、次に俺がどう動くか全く感づいていなかった。襟首を締められた城崎を含めて、だ。
衆目のある場所だし、こんな馬鹿げた事で出禁になるわけにゃいかねえ。でも、動物と餓鬼はしくじった瞬間に叱り飛ばさねえと学習しねえんだ、ってお袋も言ってたしな。俺が教育的人間であることを知らしめるにはいい機会だろ。

「う…っ、く…」
「きゅ、久馬…」
「お、おい、赦してやれよ…」

その気になれば椅子から引きずり下ろすことも可能だったけれど、流石に目立つので止めておいた。腕の筋肉が重いものを支える緊張に張り詰める。布地を掴む拳に力を篭めた。

「いいか、キノ。そんときゃテメェをボコにして、屋上から自転車のゴムでバンジージャンプの刑だからな、覚えてろよ。
…――因みに、ゴムはテメェのチャリから外す」

こくこくと光速で頷く城崎に満足し、ゆっくりと解放してやる。奴は凄い勢いで咳き込んだ。隣に居た安納が見かねて背中を擦ってやっている。
すぐ後ろに居た緑陽館の女たちが何事かと振り返っていたが、橿原と卯堂がにっこり笑って、終わりだ。ついでだったので、俺も笑み掛けてみたところ、キャッキャと騒いでいた。ジャージを着たままだったので、「あれ何処の学校かなあ」、などとはしゃいだ声を上げている。日夏学園特進科だぜ、海馬に刻んでおけ…じゃなくてだな、

「まー、ハコが馬鹿なこと言ったのは、俺が代わりに謝るよ。悪ィな、城崎」
「……久馬に…謝って欲しいわけじゃねー…」
「それも分かってる」
「じゃあさ、」と十和田が口を挟んできた。「久馬がここの金払うってので片付けるってのでオッケー?」
「…まずお前からバンジーだな、十和田」と俺。
「ウッ」
「久馬は有言実行だから滅多なことは言わない方がいいよ、トワ」

さらりと言った輕子は、俺と目が合った途端、緩慢に目礼をした。頷いて返す。おそらくこいつは親友を窘めたかっただけだったのだ。ただ、キノは白柳に辱められたことを輕子にすら明かしていなかったのだろう。城崎の爆発が読み切れなかったに違いない。
漢らしく目で語り合っている俺らを置いて、残りの連中は再び、猥談混じりの馬鹿話に花を咲かせている。

「…でもきっと白柳のことだからさ、近日中に破局!ってことになるんじゃん?」
「あー、あいつスピード結婚スピード離婚だよな。ゲーノージンかっての」
「ちぎっては投げ、ちぎっては投げだかんな」
「その表現おかしくね?卯堂」
「ニュアンスとしては間違ってない気が…」
「あ、でも確かに月下なら何とかなりそうな感じしねえ?」
「おっとぉ!十和田君問題発言ですよー!」
「だってよ、要するにケツだろケツ。それに顔はフツーだけど、あんな感じで泣きまくられたら結構…」
「オーイ、十和田ちゃーん?」
「ヒッ?!」

机に肘をつき、中指でコイコイと招くと、十和田は悲鳴をあげた。でかい身体を竦めて隣の卯堂にしがみつき、卯堂は卯堂でうざそうに押しのけている。立待がそんな二人を写メで撮った。記者の卵まで捏造とは日本のメディアもお先真っ暗だな。
橿原がのんびりと焙じ茶を啜る隣で、安納が焼きそばを追加注文している。城崎と輕子は無言だったが、そんなに厭な感じじゃなく、引っ繰り返す前に消化してやろうという親切心から、俺は十和田の皿からたこ焼きの残りを取り上げた。



夕飯ぎりぎりの時間までそんな風に過ごした後、皆、同じ方角で集まって三々五々帰っていった。キノと俺とは同じ船倉だったので、互いに自転車に跨り、冷たい夜気を切った。そろそろコートを着込まないと風邪を引きそうだ。

「…キューマ、これからランニングすんの」
「おー」
「そっか…」

最近の俺は、身体がくたくたになるまで追い込んで、夢を見ないようにぐっすり眠るようにしていた。なるべく意識を向けないようにしていると、左足首の痛みもそうは酷くない。
顧問や監督や、部長にばれたら間違いなく説教もんだが、今んとこ、身体の為にはそれが一番の方法だと思う。夢の月下と仲良くしたところで、解決にならんどころか、まともに顔も見られなくなる一方だ。目先の快楽より近々の問題解決である。流石俺。賢いぜ。

T字路まで来て、キノが左、俺が右に行く地点で、友人が俺の名前を呼んだ。

「あんだよ」
「あの…その、」

なんだ、まるで月下みてえだな。きちんと聴いてやろうと思って、自転車を降りようとしたら、城崎は首を横に振った。
街灯にぼんやりと照らされて、俺は少なからずはっとなった。薄暗がりの中、愛嬌のある顔に困惑と苦悶が浮かんでいたからだ。キノは自転車のハンドルを視認できるくらいにぎゅうぎゅう、掴んでいた。手を痛めるんじゃないかって心配になるくらい、力んで。

「…俺は、でも、…もし、ホントーに久馬がそうだったら…」
「……」

性格を映して、癇の強そうな目がこちらを見上げた。

「…友達辞めねえから」



友人に成り立ての時、ハコに言われたことを卒然と思い出した。

――誰しもが久馬みたいに完璧にやれるわけじゃないんだから、余地はちゃんと残しておいてあげてね――

俺はそこまで自分が完璧だなんて思ってねえ。
確かに他の連中よかあれこれうまくやれているかもしれないけれども、余程、そう言ったハコ自身のが立ち回り方は巧いと思う。

城崎が腹を立てていたのは、男同士で云々、じゃなくて、当然にハコに対してだ。たまたま矛先があいつの行為だったり、性癖に向かっただけの話だ。それはあの場に居た全員が分かっていたことだろう。
でも、もしかしたら、…白柳に対する嫌悪だけじゃない、城崎の本音が隠れていたとしたら。
そして輕子や、俺の発言にキノが某か感じることがあったのだとしたら。

決意に頬の筋肉を震わしている友人を見遣った。
少し前までは、俺も、お前と同じように嘲っていたかもしれないんだよ。だからそこまで恥ずかしがる必要も、追い詰められる必要もねえんだ。

何のことだ、とは敢えて聞きはしなかった。俺は口角をちょっと吊り上げて、答えた。

「…おう。…そん時は頼りにしてるぜ」



荷物と飯の為に一遍帰宅し、お袋のお小言を聞き流してからシューズを履き替える。着替えないで飯を食う近頃の習慣に母親はお冠なのである。

「あんたは本当、食べるか走るかの両方よね。一体いつ勉強してるのか、はらはらしちゃうわ」
「授業中」
「授業中まで走ってたら、私は今頃学校に呼び出されてるって。勘弁しなさいよ」

玄関口で腰に手を当てながら、…でも、諦めた様子で母は言った。発光機能のあるアームバンドとフットバンドを巻き、タオルを首元に詰め込んで立ち上がる。

「それにしても、…いつから長距離走に宗旨替えしたの」
「最近流行のバイプレイヤーを目指してんだよ」
「この馬鹿」

尻を蹴られながらも(酷い母親だ)、家から飛び出る。
見下ろした腕時計は午後十時過ぎを指していた。実際は延々と走っている訳じゃない。お袋の言うとおり、短距離選手の俺はそこまで持久力があるわけじゃないのだ。運動してない奴ならともかく、マラソン専門の連中に比べれば、全くお話にならない。走っては、少し休憩し、そしてまた走る。目的は鍛えることじゃなくて、疲労することだから。

(「今日は何処を走るかな…」)

コースは特に決まっていない。その日の気分で、適当な方角に向かって走っていた。この街は東に海、西には日夏の学園がある。二つの位置関係さえ抑えていれば何処に居てもそうそう迷うことはなかった。
ゆっくりとしたペースで走り始めると、段々と足首の疼痛が退いてきた。…悪くない。
一軒家が鬱蒼とひしめく路地に爪先を向け、縺れた思考を少しずつ解き、夜にするすると流していく――――そんなイメージを自分の中に作っていく。いずれ、その像すら跡形もなく消え失せていく。上がる呼吸と、足音だけが残る。

数十分後に俺が通り過ぎた曲がり角には「艫町」の標識が掛かっていた。



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