考える貘T



(久馬)


絶対、アイツ、また痩せた。
もしかしたらお姫様抱っことかいうのも出来るかもしれねえな。遠くなっていくジャケット姿を何とはなしに眺めていたら、白柳が話しかけてきた。

「名残惜しい?」
「いや、そーゆーのと少し違う…」

厳密に言えば、若干は、親友の指摘のとおりなのだが、肯定はしなかった。わざわざネタを提供することもねえだろ。

「あいつ、左足どーしたの」と俺は言った。努めて平静に。「…付き合ってんなら分かるだろ」
「…ああ、…」

振り返りながら見遣った白柳の顔は、一時、驚きに凍り付いていた。それも僅かな間だ。すぐに立て直して、あの、意味深な笑みを浮かべて見せた。

「知ってたんだ。俺と、…月下のこと。」
「輕子から聞いた。あと、城崎からも」
「それでアイツ、あんなに吠えてたんだ。うるせえったらねーぜ。輕子もわざわざ言わなきゃいいのに。城崎が荒れるって分かりきってたろ」

後でばれたらもっと荒れるから、早い段階で言ったんだろうよ。まあ、そんなことはどうでもいいんだ。

「…テメー、なんで言わなかったんだ。…俺に」

耳の穴に小指を突っ込むな、馬鹿。こいつの正体を知らない、お幸せな女どもが卒倒しそうな有様である。肩を竦め、億劫そうに革鞄をだらりと垂らし、奴は口を開いた。
その言葉に予想がついたので、俺は被せて言った。

「「だってキューマが聞かなかったから」」
「……」
「……」
「…ブッハ。分かってる癖に、わざわざ聞くなよ」
「一応筋は通しとこうと思ってな」

『今の話は何の前フリな訳?』
『何のだと思う?』
『……』
『久馬が言わないのなら、俺も言わないよ』

―――言わないよ。

本気がどうのこうの、と話をしたことを、かろうじて覚えている。ハコが発した伏線めいた台詞も。おそらくあの日の前後から、二人は既に付き合い始めていたのだろう。奴の撒いた餌に俺が食いついて来なかったから、意趣返しか、単なる意地か、とにかく白柳は明かさなかったのだ。

「…久馬、怒ってねーの?」
「お、珍しいなテメェがんなこと聞いてくるなんて」
「あー、まあ…そうかな」

別に余裕ぶってる訳じゃないんだが、目下、俺の頭は別のベクトルで活動中だ。ハコからすりゃあ、相当平然として見えるらしい。で、意外らしい。
確かに俺の行動パターンからすれば、何で言わねーんだよ、で、鉄拳制裁、とか、前置きもなく跳び蹴りして終わりってとこだろうからな。

隣に並んで立って、二人でぼんやりと校舎の方角を眺めた。月下が向かったその先を。
時が経つにつれて、登校する生徒の数が目に見えて増えてくる。普通科の連中は不思議そうにこちらを見ていたし、知り合いの特進科だって朝から何事だという顔をしていた。実際、そうと聞いてくる奴もいた。
どれくらい、黙って突っ立っていただろう?
鼻の頭が段々ピリピリ、つうか、ムズムズしてくる。霜焼けみたいな感じだった。立ち話をするには、ここは些か寒いのだ。

「どっちが告ったの」
「俺」
「何てゆったんだよ」
「…ヒミツ」
「キモイ」
「ありがと」

だから褒めてねえっての。

「あいつは、…月下は。何て言ったんだ」

付き合ってる、ってことは、つまりそういうことだ。受け入れたのだ、ハコを、彼は。
改めてその事実を反芻すると、あの、肺が萎んだような感覚が甦ってくる。思考のピントを親友と月下とに合わせれば、簡単に脳味噌が沸きそうになる。親友の予想通りにだ。

「『…わからない、』…それから、」

ハコは、俺が問えば何のてらいもなく、よく喋った。元よりこういう男なのだ。俺が、こいつを気に入っているところでもある。

「それから?」
「俺が、お試しにしようって言ったの。校研が終わるまでの間、付き合ってみてよ、って。それで、もし月下が気に入らなかったら、別れよ、って」
「お前、そんなこと露ほども思ってねーだろ。…よく言ったもんだな」
「…あいつは久馬ほどには、俺のこと分かってないからね」と親友は苦笑する。

執着の有る無しが極端なこいつが、一度気に入ったら手放さないってことは、太陽が東から昇るのと同じくらいの確かさなのだ。月下め、悪魔の契約書に苗字まで書いちまった。やれやれだ。

「…ハコよ、」
「なに」
「月下のどこが気に入ったんだ?そんなに、初恋の奴に似てたのか」
「うーん…、」

白柳は少し考える風を見せて、それから、長い指で自分の髪の毛をくしゃくしゃと掻き回した。うつろう記憶と月下の姿を重ね合わせているのだろう。

確か、夏だったか。
こいつに妙な「パーティー」に誘われたことがあった。お世辞にも高校生が―――まともな神経の人間がやる類じゃない、下世話な種類の集まりだ。ハコの友人が企画したやつで、「久馬も来ないか」とお声が掛かった。
俺だって聖人君子じゃねーし(ある意味タメを張るくらいどうしようもない夢を見ているわけだし)性的なことには人並みに興味はある。でも、流石に断った。
そのとき、ハコは、友人のツレに一目惚れをしたらしい。青い鳥、ってのはそいつのことだ。目隠しをし、ギャグボールを噛ませられた相手にどうやって一目惚れが出来るのかは理解不能だが。

「似てるかな、って思ったけど…今はそうでもないかも」
「…はあ」

そりゃあ、…月下にとっちゃ僥倖だな。

「…で。気に入っちゃった理由は…ヒミツ。だって説明してさ、それで忍に本気になられても困るからね」
「テメェの趣味と俺の趣味が折り合わないことを今ここに宣言しておく」
「分かんないよー、恋は盲目って言うからねえ」

奴の言うことは真理だ。だって、ハコ自身にぴたりと当てはまっているのだから。他の奴らがそうと気付くかはしれないが、ハコが吐露したように、かなり、浮ついている。緩衝材であると同時に、壁でもあるこいつの笑顔はいつもの隙の無さを欠いているし、何よりも喋り過ぎだ。俺が訊いているからってのもあるけど、…むしろ、聴いて貰いたい、みたいな感じ。…色々と見えてねえな、多分。

「そんで話戻るけど、…月下、左足どうかしたんか」
「…あー、うーん…。…特にどうってことはないと思うけど、何で?」
「何か引き摺ってるから。歩いてて辛そうだったりしなかったんか」
「優しいね」
「…あァ?」
「気になるの?」

妙に穿った訊き方をしてくる、まさかとは思うけど、それ嫉妬なのか?
眼鏡越しの視線には鋭いひかりがあって、ただの仮定がじんわりとした真実味を帯びてきた。
あの白柳壱成が嫉妬。
天変地異の前触れか、アンゴルモアの何たらかんたらが遅まきながら落ちてきたみたいだ。

「気になる、っつうか、…俺も左足、変でさ。ちょうど病院行こうかな、って思ってたタイミングだったから、……何となく」
「―――…」

少し言い訳がましくなっちまったか?実際「何となく」で気にしたから訊ねてみただけなんだが、ハコの方はそうと捉えなかったみたいだ。薄い口脣をきゅ、と真一文字に結んでから、わざとらしいくらいの笑顔を作りやがった。

「…知らない」

それって、知ってるって言ってんだろうがよ。どうなんだよテメェはよ。

「それよりさあ、キューマ。…あのエテ公、待ってるんじゃないの」
「エテコウ?」
「城崎。お猿さん」
「…あー…!」

いかん、――…奇麗サッパリ忘れてた。

「じゃ、俺行くわ。…城崎が変なことほざいてたけどさ、…校研の班どーすんの?俺たち二人は何でもいいけど」
「…特にイジるつもりはねえよ」
「あっそう。了解」

踵を返した親友とは反対側へ、俺は駆け出した。

(「『俺たち二人』って、…テメェと月下が組むことは確定事項かよ」)

無意識か意図的かは判じかねるが、胸焼けのする一言をどーもありがとうよ。
草を踏み、砂利を踏み、トラックへと侵入する合間合間に、落ち着いた、ハコの足音が混ざっていた。人の声が少しずつ増えてきている。ジャージをまくり上げて腕時計を見れば、時計の針はなかなか愉快な時刻を指していた。
部活棟に到着した俺は、後輩を追い出すまでもなくがら空きになったシャワー室で、怒りを通り越して泣きそうになっているキノを、それはそれは必死こいて宥めた。謝ってもききやしないので、最後は逆ギレして黙らせた。物事には程度があると知れ。総合的には俺が悪いのかもしれねーけど。

で、普通科のチャイムをBGMに教室へ向かってダッシュ、何とかホームルームには間に合った。但し濡れた髪は如何ともしがたく、短時間でセーターの肩やシャツの襟をびっしょり濡らして、結局一限にはジャージ姿に逆戻りである。流石の剣菱も呆気にとられた様子で「…水泳でも始めたんですか」と目を丸くしていた。単にタイムアップで乾かせなかっただけだが、面白いから驚かせてやれ、と「はい、そうです」と返事をしておいた。

爆笑しているクラスメイトの中で、月下だけが虚ろに机の天板を見つめている。それとなく、視線を遣った先には、自重に堪えかねた芍薬みたいな、白い首があった。…同じ恋人でも白柳とは対照的だ。

パズルのピース。
月下とハコは付き合っている。登校(となれば下校もかもしれない)が一緒だ。恋は盲目。ハコは浮かれている。なのに、月下は昼飯を食わない。休み時間に席を外す。左足をおかしくしている。俺と目を合わせないのは相変わらずだが、ハコとつるんでいるのを見て、嬉しそうにしていた。

(「…まだ足りねー」)

紙の上なんかじゃない。茜色の夢を貪りもしない。親友は「頭を使って考えろ」と俺を責めた。出足は遅れたかもしらんが、まだ機を逸したわけじゃない。分かるのだ。…いや、分かるっつうか、自分でそうと決めたら、どんな手を使っても何とかしてみせるってだけの話だ。


俺は今、考え始めている。
月下のこと。そして彼と、俺の在りようを。



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