Dialektik



(月下)


何に、と訊ねられ、二の句を失った。僕の行動原理であるそれ。けれど、常識で考えても説明が付く現象じゃない。だって、久馬と僕の足首は、運命の赤い糸で繋がってるだなんて言ったところで、誰が信じる?

眼鏡を掛けた白柳の視線は、少しの欺瞞も赦さないと僕を縫い止めている。気管が干上がったみたいにからからに、乾いている。口脣を舐めた。舌の肉が妙にざらついて感じる。

「何が、君をそんな風に追い詰めているの?…言って、月下」
「……君は信じない」

絞り出すように言うと、彼は耳を舐めるようにしながら、僕の横顔にまつわりついた。声音だけなら白柳は限りなく優しく、紳士的だ。ただ、前言の通り、解放してくれる雰囲気は皆無だった。

「信じるかどうかは、聞いてみないと分からないよ」と彼は言う。「それに、ぶちまけてしまえばすっきりすると思うしね」
「君は、…白柳、僕を狂人だと思うだろう」
「どうだろうか。俺は年がら年中、『頭がおかしい』って言われてるけれど、…少なくとも、月下はとってもまともに見えるよ」

ああ、でもそんな俺が言ったところで説得力は無いのか、と笑って肩を揺らす。
白柳は抱きつくような姿勢になっていて、身動ぎをする度、まるで咎め立てるみたいにその締め付けはきついものになった。彼の体温はどちらかといえば冷たい方だと思うのだけれど、長く密着していれば、なりの温かみを帯びる。
久馬に腕を掛けられた時もだったが、どうにも僕は人の体温に弱い。きっと耐性がないからだ。こんな風に、他人に受け入れられた経験がないから。反応の仕方が、わからない。

「…ひ、っ…あ?!」

じわり、と浮き出た涙を、生温い感触がすくい取った。な、何だ?!目玉を引ん剥いて恐る恐る隣を見る、と、白柳がチェシャ猫みたいに笑っている。目眦を舐められたのだ。

「今、びくびくーってした。…いい反応」
「や、やめろ…!」
「話してくれるまで、やめませんよ−」
「……」

――……観念するしか無さそうだった。



幾ら人が少ないとは言え、トイレの個室に男子二人という図は非常にまずいだろう。白柳も渋々承知してくれ、それでも逃がさないと言わんばかりに手を繋がれて、僕らは中庭へ移動することにした。

昼休みにだって限りはある。あまり猶予がない頃合いにも関わらず、普通科棟方面に進む僕らを、通り過ぎる特進科生たちは不思議そうに見ていたし、白柳に声を掛けてくる者すら居た。すらりとした貴族的な風貌へ愛想よく笑いかけた後で、みな、背後で萎縮する僕に不可解そうな眼差しを向けた。
そんな友人たちへ、白柳は事も無げに言う。

「うん、これからちょっとデート」
「えっ」
「さあ、行こ。月下」

行動の強引さと早さは、久馬と白柳、二人に共通する傾向なのかもしれない。


中庭の奥には温室がある。鍵はほぼ常時開いているものの、立ち入る人間は稀のようだった。少なくとも僕が時間を潰すようになってから、やってきた人間は居ない。鉄骨と硝子で張られた鳥鍵のような建物は、季節感を失わせるほどに温かく、扉を開けた瞬間、いっそうの蒸れた、青い匂いが肺を満たした。歩く道の両側に、本来は咲く筈のない花や草が、自分たちの在りようをひっそりと沈思している。

白柳の手に引かれ、ベンチの所までやってきた。これまた有無を言わさず座らせられる。彼も隣へ腰を下ろした。組み合わさった手はそのままで、いつ放してくれるのだろうか、という気持ちがある一方で、不思議な安心感も同居していた。

白柳が何を考えているのかは分からないし、それが怖くもある。だけど、彼はいつだって僕の話に耳を傾けてくれていた。久馬が僕を遠ざけた後も、気に掛けてくれていたのだ。信じて貰えるかどうかは分からないし――その結果、白柳にすら疎んじられるかもしれない。

(「いいじゃないか、もう」)

最早、取り繕うものが残されているだろうか?白柳に嫌われたって今更だ。…僕にとっては、久馬が断絶の刃を振り下ろした時点で、すべてが終わっているんだから。

「…白柳は、…僕の中学時代の仇名、知ってる?」

意を決して切り出すと、隣で頷く気配がした。

「『情報屋』」
「……」
「元中だったら大抵のやつが知ってるんじゃないの」と白柳。「結構有名だったからね。月下に聞けば分かる、とか、相談してみれば、みたいな感じでね。…あれ、もう止めちゃったの?」
「言うのは、…止めた。そんな簡単ものじゃなかったんだ」
「『言うのは』?」

僕はゆっくりと、白柳を見た。彼はずっとこちらを観察していたようだった。口の端は僅かに吊り上がっているけれども、笑顔じゃないことは、もう、分かっている。

「…見えるんだ。僕には。誰と誰が、繋がっているのか」

スラックスの脚を組み、左の足首に触れる。感触が実際に伝わることはない。でも、確かに僕のそこには、赤い縄が結わえられている―――久馬に厭われてしまった、この今も。

「ひとの左足首にね、それぞれ、縄がついているんだ。赤い糸だよ。伝説に言う、あれ、知ってるだろ」
「小指についてる…ってやつ?」
「そう。でも、小指じゃないんだ。足なんだ。これくらいの太さの、真っ赤な…赤じゃないときもあるんだけど、大抵は赤い色の縄が結んであるんだ」

縄で繋がれている相手は、遅かれ早かれ何らかの形で必ず結ばれる。多くは恋情。でも、憎悪や嫉妬や、無関心に変じる場合もある。発生する理由は分からない。気持ちが先か、縄が先なのか。想いに従って、縄が失われることがあるのか、ないのか。
初めはひとと違うちからを手に入れたことが、皆の反応が、面白くて、優越感が満たされるようで、思うままに能力をふるった。後でその業が自らに降りかかることすら、考えもしないで。

「…へえ」

滔々と説明をしても、白柳の表情は全く変わらない。喋っている内容の虚実を確かめようとしている…ようにも、見えなくは、ない。そして同じくらい、どうでも良さそうに見えた。

彼は眼鏡を外し、胸ポケットに放り込むと、繋いだままだった手を自分の方へと力任せに引いた。よろめいた僕の、両足を無理矢理彼の膝に乗せる。まるで靴を履き替えさせて貰っている子どもみたいなポーズに、顔面がぶわっと熱をもった。人目が無くて本当に良かった。恥ずかしすぎる。

「…っ!な、何だ…っ」
「ここ。…ここに、縄がついてる、ってこと?」
「う…っ、うん…」

きれいな、長い指が靴下越しに足首へと触れる。白柳に縄は見えない筈なのに、なぞるようにして指先が円を描く。

「月下にもついてるんだ。…だから、お喋りを止めたんだね」
「……信じる、のか?僕の話…」
「さあ、どうだろうか。まだ何とも言えないね」
「……」

当然だと思う。もしそんなことを言われたって、僕だって、俄には信じられない。むしろとんだ妄想話だと思うだろう。

「でも、月下が誰と繋がっているのか――あるいは、『繋がっていると思っている』のかは、分かったよ」
「――…」

なおも指で撫で上げるようにしながら、白柳は囁いた。


「久馬だ。…そうでしょ?」


沈黙は時に何よりも雄弁だ。俯いた僕に、彼は、どこか満足した――納得したような溜息を吐いた。

白柳は、何よりもその答えを知りたかったのかもしれない。唐突にそんな気がしてくる。
親友として、まさかとは思うけれど、それ以上の存在として、久馬に接しているのだとしたら、彼に対して妙に距離を取ってみたり、近付いてみたりする人間の真意を見定めようとしたっておかしくはない。

「月下自身は、自分の感情だって思いたいの?それとも、何かにそう強いられてるって思う方が楽なの?」
「…わからない」
「自分がしたい、って気持ちに分からないって返事は無いと思うけどなあ。…まあ、いいや。それならそれで」
「……」

あやすように、彼は僕の痩せた足を軽く叩いた。二度、ぽん、ぽん、と。どうしてか突き放されているように感じてしまって、思わず白柳を見上げる。眼鏡の同級生は、少し呆気に取られた後で、苦笑した。

「俺に信じて欲しいの?」
「……」

わからない。でも、多分、――…そうなのかもしれない。
話したところで、先に白柳が言っていたみたいに、胸のつかえが取れた気には全くなれなかった。まさか、彼は、このことを久馬に話したりとか、するだろうか。

「人に、話したのは。…初めてだったから」

それだけをようよう答えると、「まあ、そうだろうね」と白柳は言った。

「じゃあ、さ。…俺の足首に、縄がついているか見てみてよ」
「えっ」
「それが、誰と繋がっているのか、教えて?…その返事次第によっては、俺はきっと君を信じると思う」

茫然と、彼の顔を見た。相変わらず、何も、どこまでいっても変わらない。アルカイックな笑みを湛えたままで、こちらの出方を待っている。

「久馬から…僕を離したいんじゃ…?」
「今はあいつの名前は、言わない。ほら、…どうするんだい?サカシタ」


見えざる手に導かれるようにして、僕の目は彼の腰から、下へと視線を降ろしていく。結論を急いだのか、白柳はひらりと脚を組んだ。彼の左足が目の前に晒されて、僕は、



悲鳴をあげた。




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