(久馬)

自分でも相当馬鹿らしいことをしてんのは、分かってる。馬鹿って言うかだせぇって言うか、…最低のことだ。分かっててもやめられないんだから始末に負えない。

「久馬の所為だぜ?さっちゃんの手作り弁当食えなくなったの」
「うっせえ黙れエロ柳。…あとさっちゃん言うな」

前の席のやつを追い出して白柳は俺の追及に忙しい。奴は頬杖に頭を預け、机に上半身を伸ばした俺の、その髪にゼムクリップを植え付けている。
本当ならマジ殴り倒すまで五秒前ってとこだ。白柳をボコッたらそれはそれですっきりしそうなんだが、…今一つ気乗りがしないんだよな。よって、寛大な心で捨て置いている。
ぶちぶち言う親友の指が滑らかに動く様を、横倒しの視界でのったり眺める。奴は一個たりとも落とさない。器用なもんだ―――無論、無駄な才能ではあるが。

「昼誘っても行かないって言うしさぁ、休み時間はいつもどっか行っちゃうし」
「あー…」
(「つーかアイツ、最近弁当持って来てねーもん」)
「俺たちの方、近寄りもしねーしさ。…ま、肝心の久馬にシカトされちゃあ来るわけねーわな」
(「テメェだって春先は無関心だった癖に、今更正義ぶるなよ」)


茫と見渡した教室に、月下の姿はない。

あの普通科の変人がここを訪れた日――つまり、俺が月下をシカトし始めてから、まず彼は昼飯を食わなくなった。俺たちと、ではなく、食べるという行為からしていないように見える。畢竟、細い体躯はさらに痩せつつある。

重そうなほどに詰められていた弁当袋が手から消え、月下自身は四限の終わりと同時に教室を出ていくようになった。行き先はまず剣菱のところじゃない。さりとて、友人の少ない月下にそう行く先はない筈だった。普通科棟だろうか、どこだろうかとこの一週の間、友人や知り合いにそれとなく探りを入れ、時には自分で追い、ようやく検討がついた。

「っあァ!うぜぇ!」

やはりうざいものは、うざい。遂にと言うべきか、髪を挟むチクチクした感触に耐えかねて平手で白柳の頭をおしやった。頭を振るってクリップを落とす。机や床に銀色が散乱し、ひとつは馬鹿げた行為の張本人の、顔面へ突撃していた。派手に痛がるハコ。当然の報いである。

「痛たた…、…なあ、久馬」
「あ?」
「俺はね、今回こそお前が本気になるもんだと思ってたよ」
「……何に」
「月下にさ。決まってるじゃん」
「意味がわからねえ」
「わかんないんじゃなくて、フリでしょよ。…まあ、もういいけどさ」

この遣り取りは果たして何回目だろうかと思う。お互いに分かっているのだ。俺は、例え答えを持っていたとしても明かさない。ハコもハコで、俺が絶対口を割らないと決めたら何も言わないことを知っている。

「久馬が本気になったらねぇ」と小さな金属を拾い上げて友人は、静かに笑う。「俺なんてちっとも敵わないんだよ」

そんなこと、俺に告ってきた女を総取りにしてきた癖に、今更何をほざいてやがる。

「それは久馬がマジじゃなかったからでしょーよ。…他にも俺がテクニシャンだったとか、女のケツが軽かったとか諸要因は否めませんがね」
「色々突っ込みどころが満載だが、取り敢えずテメェと俺を一緒にすんな」

別に取っ替え引っ替えしたいなんて思っちゃいない。フツーに一人、うまのあう相手が居れば済むことだし、ハコと違って軽薄短小は俺のモットーじゃないのだ。
告白されて付き合いはするが、女のことを理解する前に、そいつは大抵親友に乗り換えている(そして長続きはしない)。俺としては「あっそう」で終わりだ。どんな奴かも知らないから悔しいなんて感情は沸かない。執着だの本気だの以前の問題である。よく城崎にしてやる説明なのだが、奴は今一理解出来ないらしい。

「本気とか本気じゃねぇとか、そーゆーの考えたことねぇし」

角毛が立ちまくった髪を手櫛で直しながら言うと、ハコは呆れたように溜め息を吐いた。

「本当に自省しないねキューマは。あまりにも考えなし過ぎて、むしろ俺の方が『これでいいのか』心配になるよ」
「うっさいよ。…それよかな、ハコ」
「あん?」
「今の話は何の前フリな訳?」
「何の、だと思う?」
「……」

わからない、と返事をするのは癪だったので、だんまりを決め込む。するとハコは、あの、白刃に似た笑みを浮かべて言った。「キューマが言わないなら、俺も言わないよ」と。

開け放したままの教室のドアから、月下が現れた。入り口の辺りには橿原たちが群れていたが、一瞥するのみで誰も声を掛けたりしない。俺がシカトし始めてから、頼んだわけでもないのに一律全員その行動だ。

月下の、目眦が赤く腫れている。



無視をしているんじゃない。話せないだけだ。
話す前に、手が先に動いちまう。特別抱き心地がいい身体をしているわけじゃない。同じ硬い、男の体躯だ。それなのに、あの折れそうな肩も、緩い直線で伸びる腰も、抱き留めたら二度と離したくなくなる。夢のように、ジャケットを奪い、シャツをひん剥いて、茜色の教室で見たそれと、現実が果たして同じなのかを確かめたくなってしまう。とてつもなくソリッドな欲望が、自分の中に沈んでいる。そんな状態で、何を喋ればいいっていうんだ?
普通科の1年が殴り込んできた時、俺を支配したのはその欲と、激情だった。どういう理由で、立場で、月下に馴れ馴れしく話しかけるのか、触れようとするのか。テメェに言われなくたって、自分が溜め込んでるのは重々承知だっての!

「…クソ」

賢い俺様は目の前のルーズリーフを睨み付けている。時間は夜で、ここは自室だ。階下では両親がテレビに夢中、俺は一人、暖房の効いた部屋に戻って考え事をしている。冷えた窓には露が貼り付き、本格的にやってくる冬の訪れを感じさせた。
ハコにからかわれたからしたわけじゃないが、月下と口を利かなくなってから、改めて考えたことがある―――他ならぬ、月下自身のことだ。言っておくが俺は馬鹿じゃないのできちんと考えもするし、物事を整理することだって出来る。手始めに書いてまとめてみたというわけだ。論理的思考。

(1)現状
・月下を見ると触りたくなる
・他の奴がそうするとむかつく
・月下が泣きそうな顔をすると困る
・何を話すべきなのかは不明

(2)理由
・不明
(3)解決策
・不明

我ながら美々しい筆致だ。非の打ち所がないぜ。特にこの不明の不の字のトメのあたりなんてサイコーだな。だが問題は理由も解決策も全く思いつかないことである。殴って済むなら話は早いが、月下を殴るわけにはいかない。第一、そんなことやったらあいつ死にそうだし。

「あー、ったく面倒臭ぇなあ…」

仕方なしに椅子から立ち上がって、ベッドへ転げる。布団に身を投げ出していると、羨ましいくらいのスピードで睡魔がやってくる。
校研まで残り二週間ほどだった。城崎には「やっぱり月下を外したらどうか」と進言されているが、その必要はないと返事をしている。…このままの状態でいいとは、勿論俺だって思っちゃいない。現状を反芻している内、本格的に眠くなってきたので、ごそごそと布団に潜った。夢の中の俺と月下は、現実に反比例して仲が良すぎるほどに、良かった。



とんでもない情報がもたらされたのはその後、すぐのことだった。
学校のトイレで小便をしていたらぽん、と肩を叩かれた。振り返ったら立っていたのは輕子だった。いつも通りの素っ気ない表情にこちらも頷いてみせる。

「キノに聞いたけど、月下外さないんだって?」
「あー、…まーな」

コックを捻り、勢いよく水を出してから、手を突っ込む。うちの母親は便所の使い方には酷く煩い。使用後は便座をきちんと降ろしておくこと、手は洗うこと。男ってのは全くズボラなんだから!と叱られ捲った久馬家の男三人は、皆、外へ行っても習慣が付いている。

「お前も気にくわないのかよ」
「いや、俺は別に…」と友人も、俺に倣って手を洗い始めた。「っていうか、久馬はどうすんのかな、って思ってたからさ」
「俺が?」
「居づらかったらうちのグループに来ればいいんじゃないの。その方がキノも喜ぶ」
「あァ?」

話が全く見えないのだが。かなり不審そうにしていたらしく、顔を見合わせた輕子は呆気に取られたような顔で「知らないの?」と言った。

「…何のことだよ」
「白柳と月下、付き合ってんだろ」



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