ヒステリシス



(久馬)


背後では複数の人間が立ち上がる音、すぐ脇じゃ、か細い非難が俺の耳朶を打つ。
それらの一つ一つが、いやに響いて聞こえる。永遠に揺れ続ける音叉みたいだ。神経がささくれだっている。

「…きゅうま、…腕…」
「うっさいよお前。少し黙っとけ」
「テメー、さっちゃんを放せ!苦しがってんじゃんか!」
「…あー?」

往生際悪くじたばたしている月下を見下ろしていたら、件の金髪浅黒ギャル男が片手にオマケのチビ、もう一方に弁当箱をぶら下げて、俺にガンを飛ばしていた。顎を突き出して分かりやすく威嚇のポーズだ。

(「…へえ、いい度胸じゃねえの」)

…アタマ悪そうな外見に拍車が掛かっているけどな。
切られたメンチを正面から受け止めながら、もがき続ける同級生をさらに引き寄せる。何の気なしにやった動作ではあるが、肩を組むより、こっちの方がしっくりくるのが不思議だ。
これ見よがしに口の端を吊り上げてやったら、チャラ男のこめかみが引き攣った。ざまぁ。でも、全然すっとしねえ。


月下はと言えば、ようやく諦めたようで、はく、と息を呑み、目を白黒させていた。痩せた体躯はガチガチに硬直していた。分かりやすく処理が追い付いてない感じ。
全体的に薄い胴体、骨っぽい肩。見た目通りの感触だ。女子のそれとは比較にならない硬さだった。
にも関わらず、彼の体温は俺によく馴染んだ。本人を隣にして震えていた指は、実物に触った途端、現金にも大人しくなってしまった。
頬をうっすら染めて、自らの呼吸を必死に宥める月下を眺めていると、さらに落ち着くような気がする。
妄想は俺を内側から突き破ってしまいそうな具合なのに、まるで一時的な餌で我慢しているようだ、と思い、その例えの奇妙さに内心で眉をひそめた。

(「…餌ってなんだよ、餌って」)

ああ、駄目だ。また苛いてきたぞ。
現状を把握するべく頭で色々考える一方で、融点に達した感情がどろどろと出ていこうとしている。

「おい、白柳!あれ止めた方がいいんじゃねえの」
「……」
「ひーちゃん、そいつに何言っても無駄だぜ。笑ってんもん」
「剣菱呼ぶ?」
「輕子、余計なことすんな。久馬に任しといた方がいーって」

…凄っげえが腹立つ。お腹立ちだよ俺は。外野で比扇とか城崎あたりがうにゃうにゃ言ってるみてえだけど、どうってこたぁない。スルーだ、スルー。

現在の俺の関心は目の前にいる、普通科のバカだ。そしてそのバカと俺が似ているとかほざいた月下のやつだ。
こんなよく分からんちゃらいやつの為に朝の貴重な一時を消費してしまったのかと思うとむかつきも倍増だし、それ以上にチャラ男に対して無邪気に笑ったり、嬉しそうにしてみたり――警戒心なんて更々ない顔をする月下に憤りを感じる。
弱気な同級生の登校時間に合わせて早起きして、逃げないようにおつかいまで付き合った。俺があれこれ配慮してようやく取り戻したものを、チャラ男は一声で終了、って一体どういうことだ。

「用が済んだらさっさと消えな。――目障りなんだよ」

言って、金髪の横で困惑しているもう一人にも声を掛ける。

「おいそこのチビ」
「チビじゃない!」
「テンプレの反応ありがとうよ。ありがとついでにテメェの連れ、持って帰れ。このバカっぽいの、如何にも日本語が通じなさそうだから、わざわざお前に言ってやってんだぜ」
「……」

小柄な普通科生は色素の薄い目で俺を見上げた。不服そうだが、どこか納得ずくの表情にも思える。俺の判断に誤りが無ければ、チャラ男は友人にすらひかれているようなイロモノ野郎ってことだ。ますます月下を折檻したくなってきた。俺とコイツの共通項なんて、どんなに考えても日本人かつ性別男以外にねえもん。

「…新蒔、行こう」

チビは少し沈黙した後、腰のあたりからはみ出た、金髪のシャツをくいくいと引っ張りながら言った。

「イヤだ」
「厭だじゃないよ。…昼休みだってもう終わりそうだし。早く戻らないと遅刻だ」
「サイトー、お前に流れてる血は何色なのよ。この状況でよくそんなこと言えるなぁ!」
「はあ?」
「このオレサマ野郎、」と言って、チャラ男は俺を指差した。「コイツを倒さねえことには、さっちゃんが可哀想じゃねーか。コイツ間違いなくいじめっ子だぜ。超悪ヅラじゃん」
「…ほーお…」

思わず怒りに任せて月下の細い首を絞め掛けてしまった。肌触りのいい、彼の手がそっと、咎めるように俺の腕へと触れる。無意識らしく、こちらを見もしない。背筋を反らし懸命に吸って、吐いてを繰り返している。

「…うっ、く…」
「…っ、」

『きゅう、ま…、っ…はあっ…』

「―――!」

絡み付く腕、艶かしく踊る腰。背中をかきむしる、楕円の爪先――、

堰を切ったようにまずい記憶がぶり返した。慌てて月下から目を逸らし、かぶりを振る。

「…さっちゃん、ちょい待ってろ。その陰険ムッツリ野郎から解放しちゃる」
「…なんだと…?」

折角与えてやったチャンスを棒にしたいらしく、チャラ男は俺が悶々としている間も相変わらず立っていた。なおかつ、ファイティングポーズまでとっている。茶髪のちびっこはヤツの腰のあたりに両腕を回し、でかい蕪を引き抜くみたいにして撤退しようとしている。見事なまでに失敗してるけど。

「…ムッツリってどういうこった」と俺は罵った。
「うるせー!オレの嫁を直ちに放せッ!」
「嫁、だぁ?」

聞き捨てならんことのオンパレードである。やっぱりコイツ、

「――潰す」
「ちょ…ちょっと待って、久馬っ」
「引っ込んでろ」

拘束する場所を首根っこから手首に変えて、チャラ男から隠すように月下を背中へと回した。大した重さもない癖に彼はもたもたと抗う。何でもいいから、マジ大人しくしててくれ!

「さっちゃん!」

その呼び方も気に喰わねえんだよ。いきなり出てきて、馴れ馴れしくしやがって。
怒りを自覚すると、じわじわと焼き付く感じが身体の末端にまで回っていく。

テメェの、全部が、気に入らねえんだ。

「駄目だっ!」

月下が肩にすがりついたが、今度は落ち着くどころか余計にカッと来た。振り払おうとする俺の耳に、ざらりと粗野な声が這入り込んでくる。

「こーゆーカッコつけに限ってアタマん中じゃヤリたい放題なんだよ!やーい変態!フケツ!悔しかったら言い返してみろッ」
「あーらーまーきィイ!火に油を注ぐんじゃねえぇ!」

ちびっこの制止も聞かず、チャラ男はぱっと後ろを向くと、俺に向かってケツを突き出し、平手で叩いてみせた。
人生において初めての体験だったが、…普通に堪忍袋の緒が切断された。

最早何も躊躇うこたぁねえな。
拳を握り、少し後ろに退いてから素早い動作で前へと繰り出す。狙いは男の頬だ。ごつくて生暖かいものが拳固に当たる。接触した瞬間、そこから力を込めて殴り飛ばす。重い。けたたましい音。クラスの連中がざわめき、即座にぴたりと黙り込む。

「―――!」

月下が何か叫んでいた。よくもまあ、と思えるほどの大きなそれに、こいつもでかい声が出せたのかと感銘を憶える。チャラ男の長い四肢が吹っ飛び、巻き添えになったチビは隣でしゃがみこんでいた。出入口の近くだったので机が一つ倒れたくらいの損害だ。大したことはない。指の背が生温く濡れている。
血だ。

「―――やめろっ!…やめてくれ…!」

金髪の下、鼻から赤く流れたしるしを見て、やっぱりかと思う。二発目は何処がいいだろうか?逆の頬かな。腹でも蹴るか?思わず殴りやすいところにいってしまったが、衣服で隠れないところって色々と面倒だよな。

誰かが背中に勢いよく飛び付いてきた。振り返れば案の定、彼だった。紙のような顔色だが、珍しく泣いてはいない。歯を食いしばり、あらん限りの力で俺を止めようとしている。必死さが伝わってきて、またムカついた。

「放せよ」
「厭だ!」
「…っ、さっちゃん、に…逃げろ」
「――うるさいよテメェ」
「新蒔、立て!…ほら、立ってくれ!」

タイムアップだ。もうただじゃ済まねえよ、ちびっこ。

「駄目だ…っ!」

自分が殴られでもしているかのように、月下は悲痛な声を上げる。お前が哀しがる要素なんてどこにもないのに。
それだけでは厭きたらず、なんと彼は俺とチャラ男の間に痩身を滑り込ませた。…しかも、上半身を何とか起こそうとしている、新蒔某に抱きつくなんておまけつきで、だ。

「…何の真似だよ、それ」
「……」

蹴り上げた途中の足を降ろして、俺は、穏やかに問うた。


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