針路



(月下)

手を、差し伸べられているのかもしれない。

誇らしそうにお兄さんの話をして笑う、少し先を行く久馬を追いかけながら、僕は自問していた。
彼の歩みは、多分、僕に合わせてスローペースだ。何回か連れだって歩く(走る?)ことはあったけど、タフで足が長い同級生は相当に歩みが速く、僕はいつも小走りで後をついて行ってた。それが今朝は、隣でのんびりとお喋りに興じているのだ。
にも関わらず僕が遅れがちになってしまっているのは、久馬の言葉を咀嚼するのに全神経が集中しているからだった。久馬は、僕に手を差し伸べているのかもしれない。自分を友人だと思え――さっきの台詞は、そう、聴こえた。

(「……くるしい、」)

じんわりとした温もりと、心臓をじかに鷲掴まれているような狭窄感とがない交ぜになって、頭も体も往生している。
恐れていたことが現実になってしまった。久馬が振り返ってくれたら、僕は全力ですがりついてしまう。僥倖で得た、友人としての分すら超えて、それ以上を望んでしまう。

…だって、彼が好きなんだ。
伸びやかな声も、意思の強さが明らかな容貌も、気高く――傲慢ですらある心根だって。ひたすら眺めるだけだったひとと、実際に言葉を交わせる立場になったとき、憧れは恋情に成れ果ててしまった。

(「…でも」)

強張る指で、シャツの襟元を握り締める。息が苦しいくらいがいい。爪先だけでも現実に引っ掛かっているように思えるから。
僕は糸を理由に、何を誤魔化そうとしているんだろう。久馬を好きだと思いたいのか?それとも、偽物の感情だと言い訳をして、予防線を張っているだけ?

―――僕は、どうしたいんだ?

「オイ」
「…っ!な、なんだ…?」

不機嫌そうに眇目を作った彼が、少し先で立ち止まっていた。首をぐる、と回すと短髪を揺らして駆けてくる。

「おっせえ。お前もっと早いだろ、いつも歩くの」
「ご、ごめん…」
「大体、今日荷物多くねぇか。美術とか書道だっけ、選択」
「えと、書道だけど…そうじゃなくて…」

さっさと隣まで戻ってきた彼が、マチの広い手提げを奪い取った。傍若無人な動作に思わず悲鳴が上がる。

「な、なんだよ…?!」
「ご、ごめ…!それ頼まれ物なんだ」
「頼まれもの?」

そしてまあ、彼らしいと言えばらしいのだが、断りもなく袋の中身を覗き込んだ。
中には弁当が二つある筈だ。一つは僕の分で、もう一つは、

「後輩に、渡す約束してて…あの、だから、」

昼は一緒に食べられない、と前置きをしようとしてはっ、となった。成り行きで毎日昼食を摂っているのは事実だけれど、申し合わせているわけじゃない。彼が、隣の席に座るのは単なる気紛れで、今日は学食に行くかもしれない。なのに、わざわざ言うのって、何だかおこがましくないか。

「じゃあ、手っ取り早く渡してこよーぜ」
「…へっ?」
「あーまだ早いか?」と久馬は腕に巻かれた時計へ目を落とす。「誰かは居るだろ。お前みてーに用無くても早く来てるやつ、どのクラスにも一人は居るよな。居なかったら頼めばいいじゃん」
「あ、あの、渡すってなに…」
「あァ?弁当に決まってんだろーが。空にしてビビらせたいなら、俺が協力してやらんこともない」
「あ、そうゆう予定はないです…」
「ならとっとと行くぞ」
「あ、うん」
「なあ」
「え、なに」
「そいつ、どうゆうヤツ?」
「あ、前話してた後輩…。中等部のときの」
「ふぅん。………仲、いいんだな」
「良いのかな…。少なくとも、僕は好きだけど」
「お前、月下、そうゆうの結構軽々しく言うよな…」
「え?」
「…なんでもねー」

僕から弁当袋を取り上げたまま、久馬はずんずん歩いて行ってしまう。慌てて横に並んだ。

この展開だと二人で新蒔のとこに行って弁当だけ渡して、昼はいつも通り自分のクラスで食べるってことになる。
後輩に弁当を作ってきた日は、余程のことが無ければそのまま新蒔と食べていた。今日に限って渡すだけ、ってそんな都合のいいことアリなんだろうか。
どうやら久馬はその気らしい。そして僕は、彼が昼を当然の如く一緒に食べようとしている事実に、物凄く浮かれている。

(「…バカだ」)

その一方で、新蒔とは特に今日、と約束をしているわけじゃないんだ、勝手に僕が作ってきただけだ、もしかしたら休みかもしれないじゃないか、と言い訳を必死に考えている自分がいる。
次第に情けなくなって、やめた。弁解をする相手も意味もない。ただの自己欺瞞だ。
渡して、きちんと言おう。新蒔はそうすべき、大切な友人なのだから。

うん、と決意を固めて頷いていたら、不可解そうな表情で久馬が僕を眺めていた。…恥ずかしい。朱が散ったみたいに、顔面が熱をもつ。それでも、遠慮呵責なく視線を浴びせながら、久馬が問うた。

「百面相はいーから…おら、何組なんだよソイツ。まさかこの期に及んでクラスわかんねーとか言ったらブッ飛ばすぞ…」
「あ、クラスは分かる。1年10組」
「10…って、ハァ?!普通科か?ソイツ、中学はウチの特進だったんだろ?」
「ああ、ちょっと変わってるよな…」

勢いよく前進していた彼は、脱力感たっぷりに回れ右をした。普通科は天神門寄り、とっくに行き過ぎている。

「変わってるっつうか変人だろ…、ってか、そーゆーことは早く言えっ!」
「ひゃ…うっ!」

またしても尻に蹴りを入れられて、僕は得体の知れない鳥みたいな声を上げてしまった。やった久馬も久馬で叫び声が大仰だったのか飛びすさっている。

「ごっ…ごめん…!」
「ごめんじゃねーだろ、…い、今のはお前が悪い!反応し過ぎだ!変な声出すな!顔赤くすんな!あと、な…泣くなっ」
「わ、分かった、二度と口きかない!」
「バッ…!お前は極端なんだよ!フツーにしとけフツーに!」

最大限の謝罪と打開策を述べたつもりが、逆に叱り飛ばされてしまったので、もう一度頭を下げた。そうしたら肩の通学鞄が奪い取られた。見上げた久馬は、罰ゲームか、という程に鈴なりの荷物だらけになっている。そんな姿ですら格好良い。ぼうとなっている僕に秀麗な顔を憤然とさせて、彼は言い放った。

「後戻りして行って帰ったら、ホームルームギリだろ。走るぞ!」

たん、と勢いよく駆け出した彼を追いかける、僕の気持ちは、最早説明がつかないくらいぐちゃぐちゃに縺れていた。




決意虚しく、タイミングの悪いときは重なるもので、訪れた1年の教室に、新蒔の姿はなかった。しかも、取り次ぎをしてくれた下級生にとんでもなく不審がられてしまった。確かに朝一で特進科の2年生が現れたら何事かと思うだろう。


「カツアゲですか」
「…へ?」
「すみませんがシャケとはどのような関係で」

その子は、絶望的なまでに背の高い生徒だった。しかも染髪禁止の筈なのに、艶やかな金茶の持ち主だった。とどめに顔立ちがきつめで、久馬が後ろに控えていなかったら、もう少しで逃げ出してしまうところだった。
相変わらず民族大移動のように鞄を持っていた久馬は、「俺が話すか」と小さく言ったが、流石にそれはないと思った。それじゃあ子どものお使い以下だ。

きっと新蒔は人気者だから、久馬における城崎のような、取り巻きが居るのだろう。渾名で呼ぶくらいだしこの背の高い彼は、仲の良い友人のひとりなのだ。誤解させちゃいけない。

つっかえながら、言葉を注意深く選んで、カツアゲに来たわけじゃないことや、新蒔が中学の後輩であることを伝え、重ねて弁当を渡してくれるよう頼んだ。
彼は一通り話を聞いた後で、不承不承といった態で小袋を受け取ってくれた。

「取り敢えず、預かります。まあ、休みはしないと思いますけど」



「カツアゲとかって、…特進科、やっぱり怖く見えるのかな…」

物珍しそうに、あるいはうっとりと(これは久馬限定だけど)僕らを見やる普通科生の波に、逆行する形で校舎へ向かう。未だに担がれた鞄をちらちら気にする僕を、久馬はきれいに無視した。

「あのニュアンスだと、俺らが、っつか、そのアラ何とかってやつがしてんじゃねえの」
「まさか!」と僕。「…新蒔は久馬みたいなやつなんだ、そんなわけないだろ」
「…はあ」

釈然としない様子の彼は、すぐにニヤニヤとし始め、「そういや、好きとかなんとか言ってたな」と呟いていた。新蒔と仲が良いのが、そんなに嬉しいのだろうか。よく分からないけど、久馬は少し悪どそうなくらいが一番男前に見える。
白柳と喋っているとき、その表情が散見されることを思い、僕は妬心にまみれた溜め息を吐いた。




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