ふたりW



(久馬)


「……」

黙り込んだ俺を、月下は、焦点がずれた不可思議な眼差しで見ていた。以前はムカついてたけれど、最近慣れた、それで。
時に沈黙ほど雄弁なものはない、っつうのは些か詩的に過ぎるが、まさにお互いそんな状態だった。
白皙の面の上でへにゃりと眉尻が下がった。こいつのこういう表情ってわりと常態なのに、見ると謎の罪悪感が生まれる。何故だ。

「どうして…?」
「どうして、って…、別に、」

(「俺が聞きてえよ」)

ゲイビの一件以来、ハコとは微妙にぎくしゃくしている。耐火庫で揉めた――俺が生徒会に殴り込んだ――翌日とは比べ物にならないくらいの、明確な軋轢だ。世の中では当然の帰結なのかもしらんが、俺とハコの歴史からするとかつてない事態である。
城崎や橿原や、他の連中に気付いた風はない。透明なセロハンのような、薄く分かりにくいもんが、俺と友人を隔絶しているのだ。

表面上は今まで通りだ。
でも、白柳の物問いたげな素振りとか、平生なら何でもないようなからかいの言葉が妙にカチンと来る。あいつもそれを勘づいているようで、駆け引きのように、俺の様子を窺いながら態度をすり替える。
大概が月下と一緒にいる、昼の時間に事は起きた。休み時間は他のやつもいるし、ハコは月下の方に行ったりもする。
つまり、あいつはこの、ビビりでモヤシで、料理上手な同級生に対する俺の姿勢に全身で物申しているわけだ。言いたいことは口で言え、と怒鳴りたいが、ハコにしてみれば一通りは言ったつもりなんだろう。

「…珍しいな」
「何がだよ」
「久馬と…白柳って、ちょっと喧嘩みたいになっても、…いつも、次の日になると平気になってたから」

もしかしたら、耐火庫でのやり取りを思い出しているのかもしれない。月下は少し考える様子をみせた。

「…でも、無理してる感じじゃなくて、―…二人ともそうしよう、って気持ちがある気がして」
「…お前、…よく、見てんだなあ」
「だ、だって、久馬も白柳も目立つから…あ、も、勿論良い意味でだけど!」

月下は僅かに微笑みながら言い、それからいらんフォローまでした。いや、マジで無理すんな。自分らの立ち位置くらい理解しとるわ。
俺が再び驚いちまったのは、月下が存外に俺らのことを見ていたからだ。ただ見物してるだけじゃない、関わり方までしっかり把握している。感心してみせたら、彼は、ゆるやかに首を振った、
―――横に。

「周りの皆も知ってると思うよ。…でも…、前から思ってたんだけど、どっちも謝ってる感じ、しないよな…?」
「俺らがそんなセーカクしてっかよ。謝らねーんだよ、二人とも」
「…ふ、あははは、そっか」

(「…笑った…」)

「だから、凄いなって。僕、だったら。…多分何て言ったらいいか分からなくて話せなくなる」
「…意地だ」
「え?」

月下が俺を見る。俺も、彼を。互いのレンズに映る姿を。月下は慌てたように顔を背けようとして、おそらく、――止めた。
そこには何の強制も威圧も存在しなかった。ひどく心地がいい。誇張表現かもしれないが、身体が軽くなった気すらする。
ただ相手が自分をきちんと捉えているだけのことなのに。

「…無視すんのは好きじゃねーし、あいつに負けた気分になるから、厭だ」

俺がもし、そんなことをしちまうとしたら、ほんとうに途方にくれたときだ。そいつにどうすれば――どうしてやればいいのか、方策が思い付かないときだ。

「だから、半分は意地だな。残り半分は…」
「なくしたくない友達だから」
「……お前、そうゆうクサいことよくヘーキで言えるな…」
「えっ、あっ、」

月下は見る間に涙目になった。…あーやっちまった。

「で、でも」
「ま、まあ、…否定はしねえよ」

これから先のことなんて分からない。中学で付き合ってた友人も、今のやつらも仲良くやれていると思う。でも、ずっとは無理なんだ、って兄貴も親も言うのだ。いつか離れていくものなんだって。
でも、白柳とは「いつかはどうたら」なんて、そんな確証のないもので駄目になりたかない。あいつは日頃から俺のことを「成績のいいバカ」だとからかうが、俺だってちゃんと考えてんだ。だから、日々の些細なことは拘らないようにしてるんだ。

「…じゃあ、大丈夫だ」

月下の柔らかい声が、燻りをやさしく撫でていく。口の端にまた、あるかなきかの笑みが浮かべられていた。

「久馬と白柳は大丈夫、…ちゃんと、繋がってる。」

――糸なんて無くても。

「はっ?」
「…いや、何でも、ない…」

小さく囁かれた語尾を聞き取り損ねたけど、月下はそれきり話し止めたので、ゲロさせるタイミングを失してしまった。
既に進む先を向いた横顔をそっと盗み見る。瞳はまだ潤んだままだが、上っ面は落ち着いて見える。

(「…いや、違う」)

こいつ、また、泣きそうなの我慢してんじゃねえの。理由はさっぱりだけどな、瞬きの仕方が妙にとろくなったり増えたりしてるのだ。割合に長い睫毛が上下するたび、黒く艶やかなそこに水分が増す。
人と歩けば早いもので、普通科の校舎を通り過ぎ、奥に建つ我らが特進の教室棟があらわれてきた。教室に着いて、月下が同じ調子で喋るとは思えない。こいつが気にしいなのは学習済みだぜ。

「お前は、さ」
「え…?」
「そうゆうヤツ、いねぇの」
「……僕は、…友達いな…、少ないから」
「……」

今さりげに訂正したな、コイツ。「いない」って、言おうとして、恥ずかしくなったか会話を配慮したかで止めたとみた。

「少ないって、じゃあ、俺はなんなわけ」
「えっ」
「俺はなんだっての」
「え、あ、…の、その、ク…ラスメイ」
「だからそれは事実で、」

―――ん?

『それは事実であって感情じゃねえだろ』
『好きか嫌いかって話だよ』

俺は、こいつに何言わせてぇんだ…?

「だって…、」

月下はこちらの煩悶も知ることなく、弱々しく呟いた。

「久馬に、め、迷惑が掛かるし…」
「誰がいつ迷惑だなんていったよ」
「あの、城崎に…この前、グラウンド、で…」
「やっぱお前気にしてんじゃん」
「…!」
「『別に俺と月下は仲良くなんかねーし』だっけ。確かそんな感じのことゆったよな、俺」
「…っ、」
「…あのなぁ」
「――あのっ!」

薄氷のように張り詰め始めたのは後悔だ。
確かに、俺はあの時そう思っていた。答えは保留にして、場をやり過ごすことを選んだのだ。

「僕、…分かってるから。班に入れてくれた、こと、本当に感謝してる。久馬に…白柳にも、だけど、負担になるようなことしないから」

今だって、特段何か考えてるわけじゃねえ。ただ自分の中ではっきりしてることを言おうとしているだけだ。


「俺はお前のこと、ただのクラスメイトとかって思ってない」
「――――!」


月下の双眸が底無しの悲嘆を以て俺を見た。立ち止まっている己すら自覚出来ていないようだった。するすると顔色が白くなる彼に、説明出来ないのが歯痒い。
だってさ、夜毎(例えそれが現実じゃなくたって)、裸にひん剥いて押し倒してる相手をまともな友人と思えるか?

「…なんかそういうのじゃねえんだけど。でも、…城崎に言ったのは、ちょっと違うから」
「ち…がう…?」
「そぉ」

城崎――キノは悪いやつじゃねーけど、ハコとは付き合うなだの、プロテインはこのメーカーにしろだの、過干渉っぽいとこがあんだ。それだけ俺に魅力があるってことだけどな。
だとしても、友人を言い訳にグダグダ態度を留め置くのは、俺の主義に反するから。

―――…だから。

「口じゃうまく表現出来ねえけど、ま、おいおい分かんだろ」

促すように、…せめて、「ここ」においては、普通の友人のように、固まっている月下のケツを脛ではたく。「うひゃあ」なんて真抜けた叫び声ににやりと笑った。

「だから、『少ない』とか『いない』とか金輪際言うんじゃねーぞ。俺一人で相当な人数稼げるからよ。……いいな」



どうして、お前が遠い日の影のようなもんに怯えているのか、俺は知らない。でも、手に入らない、憧憬や羨望や、…諦めに、雁字絡めされているのは分かる。
それはまだ、お前にも届くものなんじゃないのか。剣菱だって高説垂れてたじゃねえの。時間は有限だけど、青春は無限ですって。


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