蛇(或いは白柳の解答)



(久馬)

ハコと俺の家は結構近い。徒歩で大体、十五分も行けばお互いの家に行き着く。チャリなら無論あっという間で、俺に練習のない休みの日なんかは遊びに訪ねることも多かった。仲良くなった理由のひとつには、物理的な距離の近さもあったかもしれない。

友人の家は瀟洒な洋館で、「白柳さんち」と言ったら近所で知らない人は居ないぐらいの物件である。建屋は相当でかく、邸宅と表した方が適当だろう。母体に倣うようにこいつの自室も広い。置いてある家具とかオーディオなんかも高校生がそんなん使うなよって感じのもんが転がっている。ハコは物に対する執着が極端に薄い(濃い時は特濃だが)から、インテリア雑誌の写真みたいな部屋は、入る度奇妙な感覚を呼び起こした。

さて、ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起こるとかいう話もあるが、友人が金持ちだと俺がぐったりするってのは何理論だろうな。
こと白柳に関わる件で、災厄を被ることになってんのは、いつだってこの俺なんだ。

「うーん」
『…っあ、あぁあん、いやぁ』

ぎしぎし。

「……」
『―――っはあん!そこ、そこがいいのぉ』

ぎいぎい、ぎしぎし。

「あーやっぱ、全然駄目なんだよなあ」
「テメェが一番駄目だろ!」

手に持っていた英文法の参考書をテレビ前の後頭部に投げつける。狙い過たず、凶器は奴の後頭部に直撃した。「あべし」だか「ひでぶ」だか言っていたが、軽く無視だ。ここに至るまで二十分くらい堪えたんだ、誰にも責められる由縁はない筈だ。

「何すんだよ久馬…」

夕方になってハコは、ご近所さんらしく、ラフなロングトレーナーにヴィンテージのジーンズ姿で登場した。長めの前髪もヘアターバンで上げて、瓜実型の顔を晒した容貌は、見ようによってはエクササイズ中の有閑マダムみたいだった。手には紙袋を携えていて「テレビ貸してくれ」などと言う。お前の部屋にもあるだろうが、と思いつつ迎え入れる心優しい俺。
…しかし、他方では一抹の不安があった。で、予想はどんぴしゃだ。

「エロビ見んなら自分の部屋で見ろ、このアホ!」
「分かってないなあ、忍君」

白柳は床に落ちた参考書を取り上げ、ぱらぱらと眺めはじめた。なんでもいいから再生止めろ!

「俺んちのテレビ、無闇矢鱈とでかいからさあ。ホームシアターはいいんだけど、AV鑑賞には全く向いてねーんだよな。AVはやっぱ、部屋の電気消して、ちっちゃいテレビでヘッドフォン装備で観ないと」
「じゃあヘッドフォンしろよ!筒抜けだろ!」

親が居ないからいいようなものの、内容が、まずすぎる。普通の…普通のエロビって何なんだという新たな命題が発生するが、とにかくまともじゃないんだ、ジャンルが。

「だから分かってないって言ってんの。俺一人で楽しんでたら久馬が寂しいでしょ」
「誰も頼んでねえ!寂しくもねえ!楽しむ要素は皆無だし、大体俺の好みじゃねえ!」

オーディオラックの前に重ねてあるのは、「超艶肉!緊縛女帝V」とか、「スカトロ★プレイマニアックス」なんてタイトルばかりだ。
因みに今デッキに入っているのは緊縛うんたらで、職人的に縛り上げられた女が穴という穴に何かを突っ込まれている。
正直言って、全然こない。この手のは守備範囲外なんだよなあ、じゃなくて!

いそいそと持ってきた白柳当人が、再々再放送のつまらんドラマでも見るような顔して観ているのだ。マスかかれても困るけど、大音量の女の喘ぎ(唸り?)と友人の解説を延々聞きつつ文法覚えられるほど達観しちゃいない。俺は通学鞄からMP3にくっついていたヘッドフォンを取り出し、ハコへと突き出した。

「ん」
「え」
「観るならこれ使え。うるさくて叶わねー」
「…いや、これはもう止めるし」
「ハァ?」
「AVにそこまで要求すんのは馬鹿なんだけど、なんか結局悦んでるつうか、初めっからノリノリじゃん、こーゆーの」

しなやかな指が本体の取り出しボタンを直に押す。代わりに別のディスクを入れて、俺に背を向けたまま奴は至極真面目な声で言う。

「俺、緊縛もんは大好きなんだけど、ギリまで厭がってる方がいいんだよね。リアルでもそう。背徳感とかさあ、屈服していく過程に醍醐味があるからさあ」
「それリアルでやったら犯罪だろ」

危ない奴め。差し出したヘッドフォンを受け取る雰囲気も無いので、仕方なく参考書を拾う。ハコは今度はリモコンを使って、トラックを調整しているようだった。口で言っても聞く性格じゃないから、もう少し放置して俺が堪えられなかったら追い出すか。ベッドにごろり、と横たわり、さて何処を読んでいたかな、とページを捲る。

「ねー、キューマ」
「あー?」
「あれって新手のイジメ?」
「は?」

意味わからん。でも面倒だったので、視線は本に固定だ。ハコの方も動いた雰囲気はなく、奴も相変わらずテレビに向かい合ったまま。

「何がだよ」

「何が…、って決まってるじゃん。月下だよ月下」
『ん、っ…っはあ、あ、あう』

「!!」

淡々と返すハコの声と、友人のそれとは別の――しかし、確実に男の声が耳に侵入してくる。俺はばっと顔を上げた。
白柳は、肩越しにこちらを振り向いていて、やや傾いた顔は見事に無表情だった。奴の半面を照らすひかりは、さっきデッキに放り込まれたもの―――、
しなやかな裸体の若い男が、モニターの中で淫靡に蠢いている。

「バッ…バカ!テメェ何観てるんだよクソッタレ!」
「えっ?何って」奴はまた正面を向き直る。「あーこれね。ゲイビだよゲイビ。ゲ・イ・ビ・デ・オ」

繰り返されずとも、いや、実際は聞かなくたって分かっていた。

ハコが流していたのは、一目瞭然、男同士のセックスを撮ったAVだった。
茶髪の、髪をたててピアスを山ほど開けたギャル男っぽい風体の男が、サングラスをした黒髪の男に押し倒されている。蛍光ピンクのブーメランパンツがとてつもなく阿呆っぽい。
それを認めたと同時に、俺は物凄く後悔した。注視した場所が場所だったのだ。眼球と脳が反射的に書き込みを始めている。
濡れた指、下着から盛り上がっている性器、にちゃにちゃと鳴る謎の粘着質の液体、無理矢理こじ開けられた尻の穴――。

「これはいいよ、別に。予習用に仕入れただけだから。それよかサカシタのことなんだけどさ」
『う…っ、はあ、う、んん――っ』
「サカ、シタ?」

女役らしいそのチャラ男はかなり苦しそうだ。お世辞にもイケメンとは思えないツラをさらに歪めている。猿みてえ。苦悶の表情に快楽の欠片を捜したが、よく分からない。
それでもサングラスが申し訳程度に触れている、女役の陰茎はしっかりと勃っていた。指は先走りを絡めて、腹から胸へと移動していく。その間も、もう片方の腕は尻の辺りで動いている。
ケツの穴でやる、ってのは知ってはいたが、絵として観るのは初めてだった。あんなんで気持ちいいのか?つか、マジで出来んの?

「――久馬?…面白いの?」
「……っ!」

何処か嘲弄するような風のある、友人の声でようやく正気に返った。ぎっと睨み付けると、俺はベッドから飛び降りた。足音も荒く前進、でもって、コンセントのプラグを引き抜く。

「面白いわけあっかよ!こんな…こんな、気持ち悪ィもん見せやがって。さっきの方がなんぼかましだ」
「しっかり観てた癖に」
「やかましい!この状況下で視界に入らない方が難しいだろ!」

怒鳴ったら、やれやれ、と肩を竦められた。…その反応は何だ!俺に落ち度は無い筈なんだが?!
「別に気持ち悪くなんてねーよ」と奴は言う。

「女よかそりゃあ手間掛かるけど、タチだったらやること一緒だかんな」
「タチ?」
「突っ込む方」と平坦な声。
「……」

また要らん知識が増えてしまった。聞いた手前死ねとも言えず、ああそうかよ、とも返せず、取りあえず俺のしたことは手に持ったままのコンセントを放り捨てたことだった。フローリングに硬い音が響く。友人は黒いコードをじっと見下ろした。滑らかな頬に睫毛の翳が挿す。

「久馬がやってることは蛇の生殺しだからな。お前、自覚ないだろーけど」
「…俺がいつそんな真似したよ」と俺。乾いた口脣を舐めた。「…誰に?――月下に、って言いたいんだろうな、テメェは」
「読解能力が復活したようで良かったよ」

威圧にも臆した様子はなく、奴は厭味ったらしく言った。先日来、白柳が月下のことで絡んでくるのは承知済みだ。しかもそこに俺まで巻き込みやがる。

「勝手にすりゃいいって言ったじゃねーか。月下のことは」
「俺は、するさ。でも、忍は分かった方がいい。自分がどれだけ人に影響を与えることが出来るのかをね。そうでなきゃ、彼が可哀想だ」
「俺は別に、普通にしてんだろ」
「ふうんあっそう。普通かあ」

ちっとも納得していない言い様に、段々俺までむかついてきた。処置なし、と、前髪をがしがしと掻く。

「何が気に食わねえのか知んねえけど…いい加減にしろよ、ハコ。まったく、お前が月下のことそんなに好きだなんて知らなかっ…、」

揶揄の言葉を吐きながら、自分の台詞に絶句した。
好き?好きってなんだ?
回転を止めた、筐体の中に収められたディスク。沈黙しているそれ。

「まさか、お前、月下に、」
「興味がある」

友人はゆっくりと、意思をひけらかすように緩慢に、瞬きをした。レンズの奥の双眸は冷たい。恋情を吐露する雰囲気とは程遠い。台詞と相俟って、まるで研究対象を検分する学者のようだった。

「少し前に一目惚れして――失恋した相手、…言ったろ」
「ああ…」

確かハコ曰くの「青い鳥」だ。
薄利多売の異性(どうやら同性にも手を出し始めたようだが)交遊が代名詞のこいつが、誰かを好きになるなんて、と思ったものだ。

「似てるんだよね、そいつと。違うって分かったけど、付き合ってみる甲斐はありそうだ」
「ちょ…おいおい待て待て」

いきなり付き合うとか、話が随分飛躍してないか。それ以上にぶっ飛んでいるのはゲイビとやらの存在が示す先だった。
まさかハコが突っ込まれてあんあん喘ぐ方になるとは思えない。可能性と推論に達した俺の体躯は、熾火が一気に熱を吹いたように、かっと熱くなった。
考えがうまく纏まらない。頭がぐちゃぐちゃに縺れた状態で口だけが勝手に動く。自分の身体なのに制御出来ないのだ。

「だからさ、その前にサカシタのこと駄目にしないで欲しいわけ。虐めるのも大概にせえよ、ってハナシなの」
「俺は虐めてなんかないし、…いつ、月下のことを駄目にしたよ!?テメェの都合に巻き込むんじゃねえ!!」
「いつ、って現在進行形で、でしょ」

と、白柳は言った。深く、溜息を吐きながら立ち上がる。俯く前に垣間見えたそれには、僅かな疲労の色があった。

「いつまでもそこに立ってるんだったら、下手にちょっかい出して、あいつを疵物にしないでくんない?――俺の楽しみが減るからさ」

「―――っ、帰れッ!」




精神状態がようやく落ち着いた頃、俺は一人ベッドにぼんやりと掛けていて、友人の姿はあの不愉快なDVDのケース群ごと喪失していた。西日の空は既に黒く衣を塗り替え、部屋の中は真っ暗に沈んでいた。世界中の音をかき集めて何処かに閉じ込めてしまったように、辺りを静寂が支配している。自分の呼吸すらよく聞こえない。



その夜、再び、月下の夢を見た。
夢の中の彼は、あのべったりとした液体に痩身を浸し、俺にしどけなく縋っていた。





- 27 -
[*前] | [次#]


◇目次
◇main



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -